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2012.11.14 (Wed)

いとし、いとしと言う心 35


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ドイツへ来てからというもの、何度琴子を抱きしめる夢を見たことか。目が覚めると、そこはベッドの上で部屋には自分しかいなかった。
しかし、今は違う。こうしてはっきりと琴子のぬくもりを感じている。
これは夢じゃないと何度も自分に言い聞かせ、琴子を抱く力を強くしようとした時だった。

「あ、あの…。」
腕の中から聞こえる声に直樹は我に返った。
「悪い。」
すぐに力を緩めると、琴子は「ううん」と首を横に振りながら少し体を離した。
考えてみたら、琴子は自分を見つけ驚いただけであった。つい抱きしめてしまったが。

「ところで、何でここに?」
まさか一人で遠い異国まで来るとは思えない。誰かと一緒だろうと直樹はここでようやく気付いた。
「随行員として。」
「随行員?」
全く予想もしていなかった言葉が琴子の口から出て、直樹は驚いた。もしや誰かと結婚して新婚旅行で船旅をしているのかと覚悟していたが、もうしそうならば、随行員という言い方はしないだろう。
とりあえず、二人はベンチに腰を下ろした。

「あのね、直樹さんが言ったでしょう?」
「俺が?」
一体何を言っただろうかと直樹は考えをめぐらせた。
「そう。“お前は勉強も苦手で手先も不器用だから、一人で生きていくことは無理だ。いい人と結婚しろ”って。」
「ああ。」
「でもね、私、どうしても結婚したくなかったの。」
ということは琴子は独身であるということか。まず直樹はそのことがわかり安堵した。

「それで、どうすれば結婚しなくて済むかなと思って。で、思いついたの。」
「何を?」
「職業婦人になればいいんじゃないかって!」
「職業婦人!?」
直樹は目を丸くした。まさか琴子からそんな言葉が出てくるとは。

大正の世、確かに女性も職を持つ者が増えた。バスガール、電話交換手、タイピストといったものである。

「お仕事を持てば結婚して男性に頼らなくても生きていけるでしょ?」
「まあ、そういう考え方もあるが。」
「それで、看護婦になろうかと。」
「へえ看護婦ね。ふうん…え!?」
何となく聞き流してしまったが、今何と?
「看護婦!?」
琴子は頷いた。

「だって患者さんが体を治すお手伝いができる、立派なお仕事でしょう?」
「そりゃあまあそうだけど。」
「看護婦になれば一生独身でも生きていけるじゃない?」
「まあ、ナイチンゲールも独身だったしな。」
「そうそう。」
「それで看護婦か。」

直樹がドイツへ行ってから、重雄は琴子に見合いを勧めることはなかった。それは助かったが、いくら父親がそういう感じであってもそのうち周囲が騒がしくなることだろう。
そうなると琴子も再縁話を無視できなくなってしまう。琴子は直樹以外の男と結婚する気はもうなかった。
どうすれば再縁話に耳を貸さなくて済むか。思いついたのが松下の存在であった。
松下は夫を戦争で亡くしてから再婚をしていない。それは女学院の教師という職業に就いているからできることであるのではと琴子は考えたのである。
ならば自分も何か職業を持とう。そして一番に思い浮かんだものは看護婦であった。
そして琴子は直樹がドイツへ行った半年後、看護婦養成所へ入学したのだった。



「それで、ドイツへは何で?」
二年の間の琴子の暮らしぶりはよく分かった。ただドイツに今いる理由がやはりわからない。
「養成所の先生、そのまた先生がナイチンゲール記章をいただくことになって。」
「何だか先生だらけで分かりにくいな。」
「そのお式がイギリスで開かれて、終わった後にドイツの大学も見学するという話が出たの。いい機会だから学生を一人選んで、イギリスの看護婦やドイツの大学を見学させないかってことで。」
「成程。」
日本の看護婦教育もナイチンゲールの看護教育を取り入れつつある。本場の看護婦の現場を見学することはいい勉強になるに違いない。そして日本の医学はドイツ医学がお手本である。
「それでお前が?よく選ばれたな。」
「頑張ったもの、と言いたいところなんだけれど。みんな行きたがらなかったっていうところが本音。」
琴子はえへっと笑った。
「やっぱり外国は怖いって言っていて。手を上げたのが私一人だったの。」
「度胸のある奴。」
いくら職業婦人をめざすとはいえ、やはり日本を飛び出すことは本人もその家族も怖がるものらしい。
そのような人間が多い中、希望した琴子も許可をした重雄も大したものだと直樹は感心した。

「だって…ドイツって聞いたら我慢できなかったんだもん。」
しゅんとなる琴子の手には、風呂敷包みが握られている。
琴子の格好は帽子にコート、そしてマフと西洋風である。そこにミスマッチな風呂敷が何ともおかしいが、それは琴子がちっとも変わっていないことを示しているようで直樹はホッとするものを覚えた。


「直樹さんがいるドイツ。そこに立てたらどんなにいいかって。会えなくても同じ空気を吸えるだけで幸せだったの。」
直樹は琴子がいじらしくなった。ここまで自分を思ってくれているとは。

「看護婦になったことも、せめて直樹さんと同じ世界にいたいと思ったからなの。」
「俺と同じ世界…。」
コクンと琴子は頷いた。
「しつこいと思うでしょ?呆れるでしょ?でもね、一緒にいられないのならば、せめて同じ医学関係の仕事ができたらって思ったの。少しでも直樹さんの近くにいられるような気がするから。」
琴子は一生懸命自分の気持ちを直樹に告げた。
「看護婦になれたら、たとえ直樹さんが誰かと結婚しても…何とか頑張れそうだった。」

そこまで琴子が話した時である。

カラン、カラン。

この場にふさわしくない音が響いた。
下を見ると、琴子の手から風呂敷包みが落ちている。その中から転がっていたのは…。

「お茶…?」
茶筒であった。直樹はそれを拾い上げた。

「あ、それは、ええと。」
琴子は真っ赤になってあたふたと風呂敷を畳む。
「その…直樹さんにもし会えたら…お茶を淹れてあげたいなって…あはは。」
「わざわざ日本からこれを持ってきたのか。」
直樹の口元にも笑みが浮かんだ。
「ったく、会えなくてもいいとか言っておきながら、会えることを願ってたんじゃねえか。」
やはり琴子はやることが可愛いと直樹は思う。
「直樹さん。」
琴子は直樹から茶筒を受け取りながら、その顔を見つめた。
「…ずっと会いたかった。」
直樹はたまらず琴子を抱きしめる。
「俺も。」
今度は直樹も素直になった。自分の気持ちを隠したため、今まで苦しい思いをしてきたのである。



その後、琴子は養成所の先生たちに事情を説明した。そういうことならばと先生たちは後から帰国することを許してくれたのだった。





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 |  2012.11.14(Wed) 22:10 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.11.14(Wed) 22:14 |   |  【コメント編集】

琴子ちゃん…けなげでいじらしくて可愛いすぎます(*^.^*)
彩 |  2012.11.14(Wed) 22:15 |  URL |  【コメント編集】

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 |  2012.11.14(Wed) 22:17 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.11.14(Wed) 23:03 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.11.15(Thu) 15:47 |   |  【コメント編集】

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