日々草子 いとし、いとしと言う心 28

いとし、いとしと言う心 28

数寄屋橋で待っていてくださった方も、赤狩りと赤い襦袢を結び付けて考えた方も、入江くんの顔に傷がつくことを心配されている方も、本当にありがとうございます!!

長くなっているので「いつまで続くんだよ~」と欠伸されているかなと心配しつつ…。
冗長になって退屈にならなければいいなあと思いつつ、なんかすでにそうなっているかもと思いつつ…。
皆様の反応を確かめながら書いております。








「お願いします、あの方はそんなことをする方ではないんです!」
いくら琴子が懇願しても官憲は直樹に会わせてくれなかった。
「また明日まいります。」
「来たって無駄だけどね。」
官憲のせせら笑う声を背に、琴子は警察を後にした。

相原家へ戻ってから一週間、琴子は昏々と眠りつづけ、更に春が近いとはいえ、襦袢姿で家の中を走り回ったためか、高熱を出して寝込んでしまったのである。
ようやく目覚めた時、琴子は重雄から驚くべき知らせを受け取った。
「直樹さんが逮捕…?」
琴子がまず思ったことは、薮小路の報復によって直樹が逮捕されたのかということであった。だが違っていた。
「反社会的な行動を計画した罪だそうだ。」
「反社会的って…。」
そう言われても、琴子にはピンと来なかった。ただ恐ろしい印象だけは感じる。
「直樹くんを逮捕したのは、特高らしい。」
「特高ですって!」
それはさすがに琴子でも分かった。特高―特別高等警察の略である。政治運動対象の特別な警察。そして彼らは拷問など平気で行う恐ろしい存在。

「お父様、直樹さんがそんな恐ろしい計画をするわけないわ!」
病み上がりの体でふらつきながら、琴子は父にすがった。
「勿論、わしだって信じている。何かの間違いに違いない。」
「それじゃあ…。」
すぐに釈放されるのではと琴子は期待する。しかし重雄の言葉にすぐに愕然となった。
「入江侯爵邸も警察に調べられたらしい。今でも屋敷の周りは見張られているそうだ。」
「そんな!」
そういう状況をかいくぐり、重樹は相原家へ入江家に近づかないようにと連絡をしてきたのだという。
「わしらの方まで害が及ばないようにとの配慮だろう。」
重樹ともようやく仲直りができ、直樹はこれから医者の道を邁進できると思っていたのに何ということだろうか。
相原家へは警察は踏み込んでこなかった。琴子とは離縁していたせいであろう。

琴子はいても立ってもいられず、直樹が拘留されている警察へ毎日足を運んだ。だがいくら足を運んでも直樹とは会わせてもらえなかった。

「琴子ちゃん!」
今日も門前払いされ、落ち込んで自宅へ戻る途中のことだった。
「渡辺様!」
いつもの制帽、制服姿ではなく私服姿の渡辺であった。その顔からは優しい笑みが消えている。
二人は近くの珈琲店に入った。

「…そっか、実家へ戻っていたんだね。よかった。」
薮小路の正体を知っていた渡辺は、まずは安心した。
「直樹さんのおかげです。直樹さんが助けに来てくれたから…。」
そこまで話すと琴子は涙がこらえきれなくなった。
「私を助けたばっかりに…直樹さんが…。」
「違うよ、琴子ちゃん。」
渡辺が琴子を慰める。
「直樹さんが家に来なかったら…。」
相原家から戻る途中に直樹は逮捕されたと琴子は聞いていた。もし自分を助けて相原家へ送り届けなければ、直樹は逮捕されなかったのではないかと琴子は思っていたのである。
「入江は琴子ちゃんが心配でたまらなかったから助けに行ったんだ。琴子ちゃんが大事だからだよ。あいつは自分の意志で助けに行った。それにどこにいたって逮捕はされていたよ。特高はそういう奴らだから。」
最後の部分だけ渡辺は声を潜めた。誰かに聞かれたらまずい。
「とにかく誤認逮捕であることは間違いないんだ。入江は反政府だとか社会主義だとかそんな考えは全く持っていない。それは一高から今までずっと一緒だった俺が保証する。」
渡辺も何度も警察へ足を運び、高校時代から今まで直樹がそのような考えを持ったことや集会等に参加したことは一度もないと主張したのだが聞き入れてもらえなかった。

「おそらく巻き込まれたんだろう。」
「巻き込まれた?」
「ああ。入江や俺はそんな活動に興味は全くなかったけれど、一高にもそういう考え方の集団が存在はしていたんだ。もちろん帝大にもね。」
渡辺はまた声を潜める。琴子はごくりと唾を飲んだ。
「俺はともかく、入江は首席入学の上、在学中もずっと首席だ。目立つ存在であることは間違いない。その名前も知られていただろうしね。そういう奴を仲間へ引き入れようと色々計画を練っていたところに踏み込まれたのかもしれない。」
「それではすぐに出て来られるはずでは?」
琴子の問いに渡辺は力なく首を横に振った。
「政治犯の疑いのある人間は簡単に釈放しないよ。入江のお父上も色々尽力しておいでのようだが、それでも状況は変わらない。」
「じゃあ直樹さん、もしかして死刑とか…。」
自分で言いながら、琴子は震えが止まらない。直樹がそんなことになったら…。
「そこまでは行かないと思う。事を起こしたわけじゃないし、本を出したりして世間を動かそうとしたわけじゃないからね。」
だが特高といえば拷問である。琴子はそれが心配だった。

「ああ、それなら大丈夫だよ。唯一の明るい知らせだよ、琴子ちゃん。」
渡辺がやっと笑顔を見せてくれた。
「一応、弁護士に面会に行ってもらったんだ。さすがに弁護士だけは通してもらえてね。入江、ぴんぴんしてたって。」
「本当ですか、よかった!」
琴子も胸を撫で下ろした。しかし弁護士が出向いても釈放されないとは。
「私、明日も警察へ行ってみます。」
「俺も大学の友達に協力を仰いでみるよ。みんな君のファンだから協力してくれるだろう。」
「私のファン!?」
琴子は目を丸くした。
「そんな女優さんでもないのに?」
「琴子ちゃん、一度大学へ来たことあったろ?その時にみんな、入江の奥さんの可愛らしさにまいってしまったんだよ。」
渡辺は琴子には言わなかったが、木村屋のあんぱん騒動を懐かしく思い出す。今でもあんぱんは帝大法学部でよく食べられているくらいだった。
「こうして琴子ちゃんは入江の力に十分、なっているんだからね。だからあまり落ち込んじゃだめだよ。」
「…はい!」
渡辺に励まされ、琴子は少し元気を取り戻したのだった。



一方、直樹は警察の牢にいた。
反社会運動などした覚えは全くない。一高や帝大といった日本の優秀な頭脳が集まる集団の中には確かにそういう考えの持ち主がいたことは直樹も知っている。恐らく、帝大のそういう思想集団の中で自分の名前が取りざたされていたのだろう。過去に何度か接触された時があった。
しかし時勢が時勢である。直樹とて政府のやり方に不満が全くないわけではないが、時勢を読めない生き方を選ぶほど愚かでもなかった。だからそういった集団へは近寄らなかったし、接触されても無視していたのである。それなのに逮捕されるなど、理由が分からない。

警察の取り調べは口調こそ厳しいものであるが、拷問など乱暴なことは一切されていなかった。おそらく警察側も確たる証拠がないため手を出せないのだろう。それに加えて直樹が華族の子息であることも拷問が避けられている理由の一つに違いない。
しかし入江家には捜索の手が及んでいるだろうし、大泉家にもおそらくは警察が踏み込んでいるに違いない。

「せっかく琴子とまた暮らせると思ったんだが…。」
琴子はどうしているだろうか。離縁している関係から相原家にまでは迷惑はかかっていないと信じたい。
自分が逮捕されて心配しているだろうか。自分を愛してくれているのならば心配しているだろうが――。
直樹は薄汚い壁にもたれ、溜息をついた。



「だめだ、全然相手にされない。」
珈琲店にて渡辺が頭を抱えていた。
「私もまた会わせてもらえませんでした。」
琴子も落ち込んでいる。
直樹が逮捕されてからもう一月が経とうとしていた。琴子も渡辺も必死なのだが警察は頑なである。
琴子と渡辺は顔を合わせた時に、こうして知恵を絞っていた。
「渡辺様は大丈夫なのですか?」
直樹のことが心配なのは親友として当然であるが、こんなに動き回って渡辺家や渡辺自身が目をつけられることはないだろうかと琴子は心配していた。
「ああ、こっちは大丈夫。学部が違っているから全然疑われていない。琴子ちゃんの方は大丈夫?お父上とか心配されているんじゃない?」
「私も平気です。父もずっと直樹さんや入江家の皆様を心配していますし。」
重樹より絶対に近づくなといわれているので、重雄も琴子も入江家へは足を運べない。その代り重雄も情報を得ようと必死になっているため、琴子がこうして警察へ足を運ぶことも認めてくれていた。

「入江の父上がつけた弁護士も頑張ってくれているんだけど、それでも警察は入江を釈放してくれないんだよなあ。」
泣く子も黙る特高が相手である。法律などあってもないようなものになってしまうのだ。
「特高が弱い相手とかいないのでしょうか?」
辺りを気遣いながら琴子は声を潜める。
「特高が弱い相手…。」
渡辺は腕を組み考える。
「…軍人かな。」
「軍人さんですか。」
「ああ。やはり軍部を無視することは特高でも難しいだろうし。」
かといって、二人に軍人の知り合いなどいない。渡辺家は商売を行っている男爵家であり親戚にも軍人はいなかった。相原家も同様である。
「入江家もそうだしなあ。俺の友人に軍人はいないしなあ。」
結局、今日もいい知恵は出なかった。



「琴子さん?」
直樹が逮捕され、一か月半が経った。いつ春が来たのか、琴子が気付かないうちに桜が散り始めていた。
琴子は相変わらず警察へ足を運んでいるが一度も会わせてもらえていない。自分が来たことすら直樹に伝えてもらえない状況が続いていた。
そんな時、琴子は懐かしい人と再会した。
「松下先生!」
それは斗南女学院の教師、松下であった。琴子が直樹と共に暮らしていた時は家事全般を教えてくれた人物である。

「よかったわ、お元気そうで。」
松下は琴子を自分の家に連れてきて、再会を喜んでくれた。
「女学院、退学になってしまい申し訳ありませんでした。」
結局、出席日数が足りずに琴子は女学院を退学処分となってしまったのだった。

「何ですって!?」
琴子から、薮小路家へ再び嫁ごうとしたこと、色々あって直樹が助けに来てくれたことを話し、そして今直樹が逮捕されていることを聞いた松下は耳を疑った。
「入江様が逮捕って、一体何がどうなっているのです?」
直樹とは面識のない松下であるが、琴子の話からそんな短慮を起こすような人物ではないことは感じていた。そんな男がなぜ故逮捕されたのか。
「それが先生…。」
恩師を前に琴子が安堵した。そして涙がこぼれる。
「泣いている場合じゃありませんよ。さ、お話なさい。」
松下は琴子の手を取る。それでも琴子はしゃくり上げ続けている。
「琴子さん?」
「先生…直樹さんが…。」
しゃくり上げながら、琴子はたどたどしく話を始めた。

「特高に…政治犯ということですね。」
琴子の話を聞き終え、さすがに松下も顔が真っ青であった。
「入江様はそういう活動を?」
「まさか!そんなことは一切ありません!」
涙を拭き、琴子は断言する。
「何度も警察にそう言っても、全然聞いてくれないのです。会わせてももらえないし。」
「でしょうね。」
政治犯ならば面会も厳しく制限されることは松下も知っている。

「直樹さんのお友達も一生懸命やってくださっているのですが…。」
「そう…。」
「弁護士の先生の話もなかなか聞いてもらえなくて。軍人さんでもなければ釈放の手助けはできないだろうと。」
「軍人…。」
松下はそこで琴子の手を離した。
「先生?」
「琴子さん、入江様の釈放のお力になれるかもしれません。」
「先生が?」
突然の松下の申し出に琴子はキョトンとなった。松下は女学院の一教師である。教師が一体どうやって?」
「琴子さん、お忘れのようですね。」
松下はついと立った。そしてすぐに写真立てを手にして戻ってきた。
「あっ!」
それは松下の夫の写真であった。軍服姿で微笑みかけている。琴子は松下の亡き夫が軍人であったことを思い出したのだった。
「主人のお友達で、現在陸軍の少将の地位にいらっしゃる方がいます。その方にお願いしてみましょう。」
陸軍の少将は、大将、中将に次ぐ地位であり陸軍省の局長も務める高位であった。
「ですが、先生。」
そのようなことをしたら、松下にも迷惑がかかってしまうのではないかと琴子は心配した。
「何を言うのです。」
松下は笑った。
「教え子の窮地を救うのは、教師として当然です。」
「先生…。」
「大丈夫。その方は今でも月命日に来てくださるくらい、主人とはとても親しくして下さった方です。必ずお力になって下さるでしょう。」
「でしたら、私も一緒にお願いさせて下さい。」
琴子は手を付き頭を下げた。
「私からもその方にお願いさせて下さい、先生。」
琴子の申し出に、松下はゆっくりと頷いたのだった。




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プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

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当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

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二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

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