日々草子 いとし、いとしと言う心 23

いとし、いとしと言う心 23

お返事もできないのに、コメントを毎回ありがとうございます。
初めましての方もいらっしゃってとてもうれしいです。
パラレルばかりで原作をかなり逸脱しており申し訳ないのですが、楽しんでいただけていると思うとますます筆が進みます。
どうぞ最後までお付き合いいただけますように。

ヘタレ街道を突き進む入江くんを引き続き、お楽しみ下さい。









この日の夜も、直樹は沙穂子の淹れたお茶を飲んでいた。すっかりそれが習慣化している。

「お勉強はお忙しい時期なのですか?」
直樹が机の上に広げている参考書とノートを沙穂子は見た。
「いえ、それほどでも。」
文系からの編入なのに、天下の帝大医学部で直樹はトップの成績を維持していた。だからそれほどあくせく勉強する必要はないのであるが、何もしていないとつい琴子のことばかり考えてしまうから机に向かっているだけである。
「でしたら、今度のお休みに少しお付き合いいただけないでしょうか?」
「沙穂子さんに?」
「ええ。直樹様、ずっと机に向かっておいでだから御身体を壊すのではないかと心配なのです。たまには外の空気も吸われてもいいのではないかと思うのですが。」
買い物があるので付き添ってほしいのだと沙穂子は言った。
「ですが俺はこちらには…。」
「書生のつもりで過ごしていると仰りたいのでしょう?」
「はい。」
「書生でしたら、主の令嬢の付き添いを断れないはずですよ?」
沙穂子は茶目っけたっぷりの視線を直樹へ送った。この美しい顔に大抵の男ならばすぐに参ってしまうだろう。
「…沙穂子さんにはかなわないな。」
ここまで言われたら仕方がない。直樹は沙穂子に付き合うことを承諾したのだった。



沙穂子が直樹を連れ出したのは、日本橋丸善であった。
「直樹様のおかげで、素敵な品を選ぶことができました。」
包んでもらった万年筆を手に、沙穂子が笑った。
「ご趣味にあえばいいのですが。」
「とんでもございません。おじい様も直樹様に選んでいただいたと知ったら、喜ばれると思います。」
沙穂子の美しさに、すれ違う男性たちが目を奪われていく。

「この次は白木屋に寄りたいのですけれど、よろしいかしら?」
丸善を出て二人は歩道をゆっくりと進んだ。
「本日はお嬢様のお供ですので。」
おどける直樹に、沙穂子が「まあ」と微笑む。
「白木屋というと、着物ですか?」
「ええ。もうすぐ春でしょう。それらしい柄の物が欲しくて。」
「しかし、俺に着物は分かりませんが。」
「まあ、そんなこと。私はただ…。」
そこで男がすれ違い様に沙穂子にぶつかった。不意の出来事だったので沙穂子はよろけてしまった。その体を直樹が咄嗟に支えた。
「大丈夫ですか?」
「はい、ありがとうございます。」
頬を赤く染めた後、沙穂子は姿勢を正した。
「あの、直樹様。」
「はい。」
「もしよろしければ…このまま歩いてもよろしゅうございますか?」
「え?」
沙穂子の手は直樹の腕に添えられていた。
「人が多いですから、その方がいいかもしれませんね。」
直樹の返事に沙穂子は嬉しそうな顔をしたのだった。



その二人の様子を眺めている人間がいた。
それは琴子であった。車の後部座席から直樹と沙穂子の姿を見つけたのである。
美男美女でお似合いの二人だった。歩く人々がすれ違う度に二人を振り返っている。直樹と自分が歩いている時はそのようなことはなかった。
この分だと、お似合いの夫婦となることは間違いないだろう。沙穂子は初めて見たが、おしとやかで三歩下がって歩く大和撫子である。このような素晴らしい女性ならば重樹と紀子も受け入れることは間違いないと琴子は思った。


その晩、琴子は机に向かっていた。引き出しを開けると、直樹に買ってもらった夢二の便箋画目に飛び込んできた。琴子はそっとそれを机の上に出す。
「これは使えないな。」
この便箋は大事な人へ使うと、買ってもらった時に直樹と約束したものである。「大事な人」は直樹しかいない。
「もう使うことはないでしょうね。」
思い出を封印するかのように、琴子はそれを元の通りにしまった。そして白い普通の便箋を取出し、万年筆のキャップを外した――。



それがないことに気づいたのは、沙穂子との外出から戻った時だった。
着替えようと上着を脱いだ時、内ポケットに入れていたはずのそれがなかったのである。
「落としたのか?」
だとしたら外に違いない。財布などを取り出す時に落としてしまったのかもしれない。そうなると見つかることは絶望的である。
ずっと大事にしていた「それ」をなくしたということは…。
「あいつのことを思い出すことをやめろということだろうな。」
フッと笑うと直樹は上着をハンガーにかけたのだった。



三四郎池のほとりで、直樹はいつものように弁当を食べていた。その弁当は大泉家の料理長が作った幕の内である。沙穂子が栄養の面を考えて指示をしているということも知っている。

「…ここはちっとも変っとらんな。」
弁当を食べ終え、教科書を開いていた直樹は目を上げた。
「わしが通っていた頃と何一つ変わっとらん。」
「父上…。」
重樹が池を懐かしそうに眺めている。
「隣、いいか。」
「はい。」
直樹は驚きつつ場所を空けた。重樹がそこに座った。

「どこか具合でも悪いのですか?」
あれだけ大喧嘩をした息子の前に姿を見せたのである。
「そんなことはない。たまたま赤門を通りかかったら懐かしくなって立ち寄っただけだ。」
重樹も帝大卒である。

「…元気そうじゃないか。」
直樹を見ないまま、池から視線を逸らすことをせずに重樹が話しかけた。
「父上も。」
それだけの会話の後、二人は黙り込んでしまった。



「…結核はいつか治せる病となる日が来るのか?」
「え?」
なぜいきなり父が結核の話などをするのかと、直樹は驚きその顔を見た。重樹は変わらず池を見ている。
「お前の友達の、服部くん。」
「服部?」
そしてその名前が出てきたことに直樹はまた驚いた。
「一高の休暇の折には、渡辺くんと共にうちにも遊びに来ていただろう。」
「そうでしたね。」
「渡辺くん同様、将来が楽しみだったものだが…惜しいことだ。」
「ええ。」
「あの病が治せたらどんなによかっただろうに。」
「…いつか必ず、治る病となります。死病などと呼ばせません。」
いつか絶対に治せる病にしてみせると、直樹は誓って医学部へ編入したのだった。

「お前がそんなに力を入れるなんて、珍しい姿を見たものだ。」
重樹がクスッと笑った。
「…なぜ突然服部のことを話されたのですか?」
直樹は重樹に訊ねた。すると重樹は、持っているカバンを開けた。
「ほら。」
「これは…。」
重樹が直樹に見せたのは、直樹が服部のためにと作り続けたノートであった。
「なぜこれを父上が?」
これは服部家にあるはずである。
「琴子ちゃんが届けてくれたんだ。」
「琴子が?」
直樹は更に驚く。

「琴子が入江の家に出入りしているのですか?」
「一度だけ来てくれた。これをわしたちに見せるために。」
ここで初めて重樹は直樹の顔を見た。
「あいつがなぜこれを?」
「分からんのか?」
重樹は呆れた表情を浮かべた。
「琴子ちゃんが何を考えて起こした行動か、お前には分からんのか。」
「琴子が考えて?」
直樹はノートのページをめくりながら、考える。

「お前が医者になることを許してほしいと、琴子ちゃんはそれを持って頭を下げたんだぞ。」
「俺が医者になることを許す?」
「ああ。お前がどんな思いで医者になろうとしているのか、それをわしたちに説明してくれた。離縁されてわしたちを恨んでも仕方がないというのに、そのような態度は一切見せなかった。琴子ちゃんはお前の将来だけを考えてくれたんだ。」
「なぜ琴子はそこまで…?」
離縁までされ、自分のことなど忘れてしまっているだろうと直樹は思っていた。
「まだ分からんのか、お前は。」
重樹は完全に呆れ果てていた。
「琴子は俺のことを親に決められた夫としか見ていなかったはずです。離縁すればもう関係は終わったのです。それなのになぜここまでするのかが、俺にはさっぱり分からないのですが。」
「やれやれ、何てことだろう。」
重樹はがっくりと肩を落とした。

「人の気持ちがこんなに理解できない奴が医者になって患者を診察しようとしているとは。恐ろしい世の中だ。」
「理解はしています。」
「いいや、しとらん。」
重樹がビシッと言った。

「琴子は妻というものは夫に従うものだと言われて育ってきたはずです。それが名家の令嬢というものですから。だから俺が別れると言ったら素直に従ったじゃないですか。」
「琴子ちゃんは並大抵の令嬢とは違う。」
「え?」
「普通の令嬢ならばその通りだろう。夫が妾を何人持とうが、夫から振りかえられなかろうが気にしないだろう。しかし琴子ちゃんは違うんだ。」
「どう違うと?」
「ここまで話しても分からんのか、お前は!」
重樹は溜息をついた後、言った。

「琴子ちゃんはお前を愛しているからだろうが!」

「愛…してる?俺を…?」
直樹は呆然となった。
「愛しているからこそ、お前のために骨を折っているのだろう。愛しているから、お前が家を出た時に全てを捨てて追いかけた。これが愛してないというのならば、何だというのだ?教えてみろ。」
「…。」
直樹に言葉はなかった。琴子が自分を愛している、それが信じられない。

「勝手にお前は琴子ちゃんのことを誤解して傷つけた。その罪は重いぞ。」
呆然としたままの直樹に重樹が続ける。
「まったく、お前には勿体ない嫁であったな。」
その通りだと思う。自分には勿体ない妻であったと今も直樹は思っている。だからこそ、自分より幸せにしてくれる男の元へと――。

「これが昨日届いた。」
重樹が直樹に封書を渡した。見覚えのある琴子の文字であった。宛名は重樹である。
「わしと紀子は読んだ。お前に読ませようと思って持ってきた。」
読む勇気がないのならば破って捨てろと言いながら、重樹は立ち上がった。

「…医者になりたいのならば、もう少し人の心を理解するよう努力しろ。」
「父上?」
「あんなに傍にいる人間の心すら理解できない医者に、わしは患者として診察してもらうなんてまっぴらごめんだ。」
「父上、お待ちを。」
「…そろそろ午後の授業だろうが。幼い頃から優秀だと褒められてきたお前であっても、帝大医学部は甘くないぞ。」
それは「医者になることを許す」という、重樹の遠回しの表現であった。



しかし直樹はせっかく許してくれた重樹に逆らってしまった。この日の午後の授業を全て欠席することになってしまったのである。
それは、重樹が持ってきた琴子の手紙のせいであった。

「…。」
手紙を読み終えた直樹は、動くことができなかった。
そこには「自分も再婚が早くも決まったので、直樹と新しい妻のことを祝福してあげてほしい」という内容のことが書かれていたのである――。






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手紙のことは、琴子が直樹のことを思って書いた作り話だと思われますが、
常々思うのですよ。。。 もしも琴子に、直樹と並んでも遜色ない容姿で家柄も人柄(これ大事!)もよい人との縁談が持ち上がったりしたら、直樹はどうするんでしょうね???
琴子は、直樹のことを万能だと思っているけれど、かなり偏った人間ですよね。。。 そして、無意識に直樹の足りないところを補っている。破れ鍋に綴蓋っていうやつ???この場合、破れ鍋にしてはかなり高機能ですけど…
だから、もしも直樹以上に素晴らしい人が現れたとしても、結局琴子は直樹以上に好きになることはないと思うですよ。
琴子人生にとって、直樹は必要不可欠な存在ですしね。穏やかすぎる人生なんてつまらないですもんね。2人だからこそ楽しいって思える。
その辺のこと、直樹はわかっているんですかねぇ

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プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

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このブログについてのお願い
当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

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