日々草子 いとし、いとしと言う心 18

いとし、いとしと言う心 18






午前の授業が終わり、学生たちは各々弁当箱を取り出し始めた。その中で直樹はそっと教室を出ていく。
「入江、今日も愛妻弁当かあ。」
「うらやましいなあ、この野郎。」
「からかわないから、教室で食えばいいのにさ。」
すれ違う級友たちが直樹の肩を叩いて行く。

三四郎池のほとりに座り、直樹は弁当箱を開けようとした。
「ん?」
弁当箱の上に何やら手紙が置いてある。それは琴子に買ってあげた夢二のレターセットの絵柄だった。

『直樹さんへ。午後もお勉強頑張ってね。琴子』

「あいつは…まったく。」
そして直樹は弁当箱の蓋を開けた。たちまち不思議な香りが直樹の鼻へと届く。
「またネギかよ。」
弁当箱の白飯には梅干しではなく、なぜかネギを焼いたものが乗っていた。
最近はこうして琴子が直樹の弁当を作るようになっていた。が、その味はなかなかよくなる気配はない。
そしてどういうわけか必ず焼きネギが入っているのである。
「この香りじゃ、教室で食うわけにいかないしな。」
一人呟きながら直樹はネギをかじった。



「お前、便箋を大事に使うって言ったよな?」
弁当箱が空になっていることを喜んでいる琴子に、直樹は告げた。
「大事に使ってるけど?」
「使ってねえだろ。何で入れてくるんだ?」
直樹は琴子からの手紙をヒラヒラと振りながら、琴子を睨む。
「一緒に暮らしているのに、手紙なんてわざわざ入れるか?」
「だってえ…。」
「直樹への手紙だからこそ、その便箋を使ったんだ」と琴子は言いたかったが、恥ずかしくて言えない。
「だって、何だよ?」
「…それじゃあ、お義父様やお義母様へ出してもいい?」
矛先を変えようと琴子はした。
「だめだ。」
「ほら、そうなると使うところがないじゃないの。」
琴子としては入江の両親に直樹の近況を知らせる手紙を出したくてたまらないのだが、直樹が禁じているので出せずにいる。



「ねえ、直樹さん。」
その晩、琴子はかねて訊きたいと思っていたことを口にした。
「その、家庭教師先の生徒さんなんだけど。」
「何?」
琴子の料理を黙々と直樹は食べている。
「その…。」
「女性なのか」と聞きたいが、率直すぎてまずいかと琴子は悩む。
「何だよ?」
「…勉強うまくいっている?」
「まあな。」
直樹は煮えているかどうかを箸を立てて里芋を確認している。
「元々見込みがあるし、一高も大丈夫だろう。」
「一高?」
琴子の顔が輝いた。
「一高って言った?その生徒さん、一高めざしているの?」
「そうだよ。だから一高から帝大に進んだ俺が雇われたんだ。受験経験者の方が教え方がいいだろうってことで。」
当時の帝大、東京帝国大学に入る学生の多くは、一高こと第一高等学校出身者で占められていた。すなわち、一高へ入ることが帝大へ入るための近道であった。
「一高ってことは、男の生徒さんなの?」
「当たり前だろ。」
直樹は当然のことだろうという顔で琴子を見た。
「一高に女は入れないんだから。」
「本当に、本当に男?もしかして男のふりをしている女の人とかじゃない?ちゃんと確認した?」
「どこを確認するんだよ!着ているもんを脱げって命じろってか?」
「いや、そんな!」
自分で言っておきながら、琴子は顔を赤らめた。
「そっかあ、男の人だったのか。」
途端に機嫌がよくなった琴子を眺めつつ「何を考えていたんだか」と直樹は呆れている。




直樹の家庭教師先の問題も片付き、家事も順調(と自分では思っている)な琴子が買い物をしていた時だった。
「琴子!」
懐かしい声に琴子は振り向いた。
「琴子、あんたはこんなところにいたのね!」
「理美、じんこ!」
それは斗南女学院での琴子の親友たちだった。
「突然休学するんだもん!」
「心配していたのよ!」
「ごめんね、二人とも!」
二人は学校帰りに、理美の知り合いの元へ寄った帰りなのだという。

「へえ、旦那様が勘当!」
近くに入る店もなかったことから、三人で立ち話をすることになった。琴子がこれまでの経緯を話すと、二人は目を丸くした。
「お医者様かあ。うんうん、あの入江様だったらなれるわよね。」
「素敵だと思うんだけどなあ。」
理美とじんこが直樹が決めた将来に賛成してくれて、琴子の心も明るくなる。
「反対されて家を出るって、すごいわよね。」
「なかなかそこら辺の男にはできないわよ。」
「でしょ、でしょ?」
琴子はまるで我がことをほめられたかのように誇らしくなる。



家庭教師先から家へ帰るところだった直樹は、琴子の姿を見つけた。時間的に買い物帰りだろうと思い荷物でも持ってやろうと足を速めた時、琴子が一人ではないことに気づき、その足を止めた。



「で、二人で暮らしていると。」
「えへへ。」
琴子が笑うと、つられて理美とじんこも笑う。
「クラス一家庭科のできなかった琴子が、料理をねえ。」
「ちゃんと食べられるものを作ってるの?」
「失礼ね!」
そこで琴子は、女学院の松下から料理をはじめとする家事を教わっていることを二人に打ち明けた。
「松下先生があんたに個人授業!」
二人が驚いたのは言うまでもなかった。



直樹は三人の様子を遠くから眺めていた。
琴子が話をしているのは以前入江家にやってきた二人であると思い出す。
「そういえば、あの時も…。」
二人を見送りながら寂しい顔をしていた琴子を見て、女学院へ通いたがっていることを知り、両親へ話をしたことがあった。結果、琴子は女学院へ戻れることになったのだった。
それなのに、今は自分の都合で琴子を女学院から遠ざけてしまった。あれほど行きたがっていた学校を琴子から奪ったのは自分なのだ。
そこまで考えた時、どうやら三人の話が終わったらしい。琴子の友人がこちらへ向かって歩いてくる。
直樹は制帽を目深にかぶり、うつむいた。

「それにしても、すごいわよね。」
理美がじんこに話しかける。
「普通、あんなことできないわよ。」
「全てを捨ててなんてね。」
じんこも理美に同意する。
「琴子くらいなものよね、そこまでできるのは。」
「本当!」

二人が話す声をうつむきながら、直樹は耳にしていた。

理美とじんこに琴子をけなす気など全くなかった。これは二人が琴子の行動に心から感心していることから出た言葉である。勿論、琴子本人がこれを聞いてもけなされているなどとは思わないことは間違いない。
しかし、三人の友情の深さをそれほど知らない直樹の耳にはそうは聞こえなかった。直樹には二人が琴子に呆れているというように聞こえたのである。
琴子に申し訳ない気持ちが募っている直樹の心に、二人の言葉は別の意味に聞こえてしまった――。



「ぷりぷりになってきた!」
琴子は鏡に向かって、頬をつついた。クリームの効果がどうやら表れてきたようである。
「これであとは直樹さんが…。」
と、想像しただけで琴子は「きゃっ!」と顔を赤くした。未だ直樹は琴子に触れようとしないのが最近の気がかりである。
「夫婦なんだけどなあ…。」
やっぱりまだ直樹は自分のことを女性として意識していないのだろうかとがっくりと仕掛けた琴子であるが、
「いけない、いけない。今はお勉強が忙しい大変な時なんだから。」
と、くだらないことを考えないよう頭を振った。

その頃、直樹は机に向かっているものの勉強は一向に進んでいなかった。
琴子の荒れた手や、慣れない家事にいそしむ姿、そして先日の友人たちと一緒にいた時の姿ばかりが浮かぶ。
「俺は自分のことしか考えていなかった…。」
琴子が自分の暮らしに必要であることは間違いなかった。琴子がいない生活など考えられないくらい大切な存在である。だが、それは琴子から幸せを奪っていることになっているのではないだろうか。
最近の直樹はそればかり考えていた。



悶々としたまま日々が過ぎた。
その日、直樹は帝大の附属病院で実習をしていた。
「…直樹くん?」
病棟を歩いていた時、直樹は呼び止められた。教授も学友も「入江」と名字を呼ぶ。名前で呼ばれるなど一体誰だろうと直樹は振り返った。
「やはり直樹くんか。そのような格好をしているから一瞬誰か分からなかったよ。」
そこにいたのは、好々爺然とした風貌の老人であった。
「大泉の…!」
直樹は驚いた。その老人は爵位こそ持っていないものの多額納税者として貴族院議員にも選ばれている財産家、大泉家の当主であった。
「知人が入院しているのでその見舞いにね。いやでも、まさか白衣姿の君に会うことになろうとは。」
そう語る大泉氏の隣では、白百合のような美しい女性が直樹をにこやかに見つめていた――。




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出た……白百合のようなお方が・・・・・

もう!!直樹さんがこっそりキスしているから
琴子ちゃんにも気持ちが伝わらないし琴子ちゃんの気持ちも聞けずに
一人で悶々と!!
もう!!おばか!!はっきり気持ちを伝えなさい!!!

あのお方、ただの付き添いだったらうれしいのだけど・・・・
直樹さん!勝手に勘違いして琴子ちゃんを悲しませることだけは
許さないからね!!

やだ~!やっぱり登場しますか・・・爆弾家族・・・
だからこそ先が楽しみになるのですが・・・・

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こんばんは!

更新ありがとうございます!

せっかく二人の穏やかで幸せな日々が続いていたのに・・・
なにやら雲行きが怪しくなってきましたね(>_<)
あのご家族もタイミングよくご登場ということで・・・あぁ、心配。

続き気になります~~~!!!

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プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
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そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

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