日々草子 いとし、いとしと言う心 16

いとし、いとしと言う心 16


松下の個人特訓の成果が少しずつ表れてきたこともあり、琴子の料理も最初に比べたら大分ましなものとなってきていたが、まだまだ完璧には程遠い。

「ご飯のおこげにはね、お塩をかけるとおいしいんだって。」
琴子は自分の茶碗の中のおこげに塩をパラパラと振った後、直樹にもすすめる。
「それもお前の先生から教わったことか?」
「ううん。これは八百屋さんのおかみさんから教わったの。」
ちなみにこの知識を松下に披露したら「そんなことをしないよう気をつけろ」と叱られたのだという。
それでもここまで成長したのだから、大したものだと内心思う直樹ではある。

「今日からちょっと帰りが遅くなるから。」
玄関先で靴ベラを琴子に渡しながら、直樹が言った。
「実習?」
「いや、家庭教師。」
「家庭教師?」
直樹が高校時代から手伝っていた重樹の仕事の報酬を貯金していたことで、何とか暮らしている二人ではあるが、それも永久にあるわけではない。直樹の勉強に必要な医学書は高額なものも多い。
「帝大生ってことで、家庭教師の仕事が多いんだ。時間を取られない割には給金もいいし。」
この時代、上の学校へ進む人間も限られていることから、家庭教師を求めるほどの家は財産に余裕のある家である。
「そんなに遅くはならないけれど。」
「…分かった。」
直樹を見送りながら、琴子は複雑な心境だった。
「家庭教師って…女の子かなあ?」



琴子はこの日もせっせと直樹のために食事の支度をしていた。
「ただいま。」
玄関から直樹の声が聞こえ、琴子はいそいそと迎えに出た。
「あら?」
直樹の傍には見知らぬ海老茶袴におさげの女学生が立っている。
「どなた?」
琴子が訊ねると直樹は、
「家庭教師先の生徒だ。」
と女学生を紹介した。そして、
「これはうちのおさんどんだ。」
と、琴子を紹介する直樹。
「おさんどん…。」
「妻」と紹介されなかったショックを隠し切れない琴子。その琴子に直樹は更に驚くことを告げた。
「今度、俺は彼女と結婚するから。」
「はい!?」
「入江先生のお嫁さんにしてもらいました!」
無邪気な笑顔を見せる女学生の頬に、直樹が口づけをする。
「ちょ、ちょっと!何をしてるの!」
自分だってそんなことされたことがないのに(本当はあるのだが、琴子は眠っていて気づかなかった)と、琴子は焦った。
「ああ、やっぱり若い子の肌は気持ちいいなあ。」
普段の直樹からは決してでない言葉である。そしてまた女学生の頬に唇をつける。
「私、私のほっぺも気持ちいいよ?」
琴子は頬を直樹の前に突き出した。直樹は指先で少しだけそれを突くと、不愉快そうな顔をした。
「ハリが全然違う…。」
「ハリ?」
「こっちは突いたらすぐに跳ね返ってくる。」
直樹は女学生の頬を突いた。
「だけどお前は突いたら引っ込んだままだ。」
「そんな!」
「もう婆さんには用がないんだ。」
「ひどい!私のほっぺだって、この間帝大生さんたちに“木村屋のあんぱん”みたいだって言われたのに!!」



「…また変な夢を見てるみたいだな。」
隣の布団でうなされている琴子のせいで、またもや直樹の目は覚めていた。
「ったく、今度は何だよ?」
直樹は琴子の額をピンと弾いた。すると、
「あんぱん…木村屋のあんぱんなんだからあ…ううっ。」
と苦悶の表情を琴子は浮かべた。
「…そんなにあんぱんが食いたいんだろうか?」
そんなに食に執着するようには見えなかったがと、直樹は首を傾げた。



「入江、新婚生活はうまくいってるか?」
「おかげさまで。」
直樹の答えに渡辺は、
「もう素っ気ない奴。」
と笑う。
「…なあ?」
法学部の校舎の前を通りかかった時、直樹は足を止めた。
「気のせいか、あんぱんを食っている奴が多いようだが。」
「え?」
直樹の言うとおり、法学部の学生たちはなぜか手にあんぱんを持ち本を読んだり、学生同士で議論したりしている。
「法学部であんぱんが流行しているって噂は本当だったみたいだな。」
「え…あ、そうだね。うん、流行っている…よ?」
渡辺はドキドキしながら答えた。
「何かきっかけがあるのか?」
「き、きっかけ!?」
渡辺の心臓は一気に鼓動が早くなった。それもそのはず。法学部内であんぱんが流行している理由は…。

「はあ、本物がいいなあ。」
二人の耳に学生の声が聞こえてきた。
「仕方ねえだろ。俺たちはあんぱんで我慢しないと。」
「可愛かったなあ。あのほっぺ。」
「まずい」と思いながら、渡辺は親友の表情をうかがった。直樹は会話を交わす学生たちをじっと見ている。
「入江、あっちに行かないか?」
渡辺の声は直樹には聞こえていない。

「くそ!入江の奴がうらやましすぎる!」
「あいつはこんなんじゃなく、あの細君のほっぺを好き放題触れるんだよな!」
「本物に縁遠い俺たちは、あんぱんで我慢するしかないのか!」

女性には縁遠い学生たちは、かつて大学にやってきた入江直樹の新妻の可愛らしさが忘れられず、その頬を思い出すためにあんぱんを買っては食べているのだった。

「…うまいか?」
背後から聞こえた声に、あんぱんをぷにゅぷにゅと押していた学生たちが振り返った。
「ひぃぃぃ!!」
そして立っていた人物を見て、この世のものとも思えない声を出す。
「や、やあ、入江くん。いい天気だね。」
「どうかい、食べる?」
「結構。」
冷たい顔にこれ以上声をかけない方がいいと、学生たちはそそくさとあんぱんを手に逃げて行った。

「渡辺。」
「な、何?」
直樹の背中から青白い炎が上がっている様子に渡辺は怯えていた。
「まさか、お前まで食っているとかないだろうな?」
「いやあ、まさか!!」
ブンブンと首を大きく振り、渡辺は否定する。
―― 一個くらいは食べたけど、そんなことを打ち明けたらたぶん俺の命はない。
「ならいい。」
直樹はスタスタと歩き始めた。助かった渡辺は「はあ」と息をついた。



「片付け、おしまいと。」
最近は食器も割らなくなってきた琴子が、前かけで手を拭きながら居間へ戻ると、自室にこもっていると思っていた直樹がそこにいた。
ならばお茶を淹れようと支度をしようとした琴子に、直樹が声をかけた。
「お前、明日暇か?」
「え?」
唐突に訊ねられた琴子はキョトンとなったが「別に予定はない」と答える。明日は日曜日で直樹の大学も家庭教師も休みである。琴子の家事も比較的余裕がある日であった。
「ならば出かけるぞ。」
「どこに?」
「銀座。」
「銀座!?」
これまた意外な地名が直樹の口から出て、琴子は驚いた。
「たまには、息抜きも必要だし。」
明日は夕食も贅沢して外で食べようという直樹の提案に、琴子は胸が弾んだ。
「それじゃあ、おめかししていかないと!」
いそいそと箪笥に向かって「これにしようかな」「帯はこれがいいかな」と数少ない着物から選んでいる。
それを眺める直樹の頬が自然と緩んでいく――。












ひとつお詫びをさせてください。

沢山のコメントをありがとうございます。
なんというか気分は「ケガで休養中の芸人さんの代役をつとめて仕事が増えた元旬の芸人さん」って感じです(だからといって海パン一丁でパソコンに向かうことはありませんが)。

それはどうでもいいとして、そういう立場ならばコメントのお返事を心こめてせねばならないのですが…。
申し訳ありません。
現在、目、首、喉、歯が痛んでおりまして(歯は治療中ですので。そのうち歯医者体験記でも書こうかと企んでおりますが←需要ゼロでしょうが)。
十年近く行っていなかった歯医者が何とか一山越えたことと(当分通院続きそうな気配ですけれど)、母の定期検診が何事もなくホッとしたのとで、なんか一気に力が抜けたところで色々ガタが来たかんじですので大したことないと思うんですけれどね。

ということでコメントのお返事が滞っております。
それなのに本文が書けるというのはどういうことかとお叱りを受けても仕方がないのですが…。
このような拙い文章の続きを待っていてくださる皆様の優しさに甘え、本文を優先させていただくことをお許し下さい。
あと、今書くことが楽しくてたまらないので!

こういう状況なのでコメント欄を閉鎖して拍手コメント欄だけにしようかと思ったのですが、拍手ボタンが表示されないこともあるので今のままにしておきます。

コメントはとてもありがたいし、創作の何よりの源となっております!!

それなのに、本当に勝手を申し上げて申し訳ございません。




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水玉さんが書く事が楽しいと私も楽しく嬉しいです♪

アンパンと琴子ちゃんの接点直樹さんもびっくりですね。
いひひひっ!ジリジリと直樹さんいじめ。面白い!!
琴子ちゃんと直樹さん、ほんわか夫婦で私まで暖かくなります。
銀座デート楽しみですね。

歯医者、私も通っています・・・・
是非歯医者談義しましょう!!!!!!

季節の変わり目くれぐれも体調だけは気を付けてくださいね。

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プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

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当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

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