日々草子 いとし、いとしと言う心 13

2012.10.03 (Wed)

いとし、いとしと言う心 13

ちょっと間をあけてしまいました。
続きを待っていてくださった方、申し訳ございませんでした。







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「最近、直樹は帰りが遅いことが多いな。」
夕食の席で重樹が何気なく洩らした言葉に、琴子は思わず喉をつまらせそうになった。
「そうですわね。今日もいませんし。」
紀子が重樹の傍の空席を見つめた。
「新妻をほったらかしにして何をしているのかしらね?」
紀子はどちらかというと琴子を気遣っている。
「琴子ちゃん、何か聞いているかい?」
「え?」
重樹に問われ、琴子は背中に汗が流れることを感じた。
直樹が帰りが遅いのは、医学部で実習が本格的に始まっているからである。直樹からきちんと説明を受けているものの、まさかそれをここで話すわけにはいかない。
「あの、大学で…。」
琴子は考えた。「大学で補習を受けている」…直樹は自分ではない。そんなことを口走ったら、優秀な息子に何が起きたかと重樹と紀子は仰天するに違いない。
「大学で何かあったのかい?」
重樹が優しく琴子を見る。
「大学で…お友達に…勉強を教えているとか。」
何と幼い理由かと琴子は自分の頭を殴りたくなった。これではすぐにばれてしまうのではないだろうか。
「まあ、何てことでしょう!」
ところが琴子の返答に紀子が声を弾ませた。
「あの直樹さんがお友達に勉強を教えているなんて!」
「そうだなあ。」
重樹も嬉しそうに頷いた。
「他人に必要以上に関わりを持たない直樹が、そんなに面倒見がいいとは!」
「ええ、ええ。これも琴子ちゃんのおかげですわ!」
「私ですか?」
こんな展開でいいのかと驚きながら、琴子はキョトンとなった。
「そうよ、琴子ちゃんが直樹さんのお嫁さんになってくれたから変わったのね。」
「ああ、本当に何て素晴らしい嫁を迎えたんだろうねえ。」
喜び合う義両親に、琴子は複雑だった。全く疑われなかったことは安堵したものの、こんな優しい二人に嘘をついている後ろめたさの方が大きい。

しかし、このように懸命に直樹に協力してきた琴子であったが、それも束の間であった。



「お帰りなさいませ。」
「お帰りなさいませ、お義父様。」
その日、琴子は紀子と並んでいつものように玄関で重樹を迎えた。しかし、いつもなら「ただいま」とにこやかに挨拶をしてくれる重樹の顔が固いままであった。
「…直樹は戻っているのか?」
重樹は天井を見上げて尋ねた。
「ええ、今日は早い帰りでしたわ。」
紀子が答えると、
「なら呼んで来なさい。」
と、重樹は一人で先に居間へと歩いて行ってしまった。いつもと違う重樹に紀子たちと共に出迎えていた使用人たちも怯えた顔をしている。
「どうされたのかしらね?」
紀子もただならぬ夫の様子に心配そうな顔をしている。
「琴子ちゃん、呼んできてもらえる?」
「…はい。」
琴子は緊張を覚え、二階へと上がった。

「父上が?」
机に向かって勉強をしていた直樹は少し考えた後、立ち上がった。
「あの…直樹さん。」
「何?」
「お義父様、ご様子がちょっとおかしかったのだけど。」
「…ばれたんだろう。」
「え!?」
直樹の言葉に琴子は驚いた。
「ばれたって、直樹さんのことが?」
「ああ。まあ、そろそろ潮時かとは思っていたけどな。」
長い間隠し続けていたことがばれるかもしれないというのに、直樹の態度はどこまでも落ち着いたものだった。



「今日、会食していたホテルのレストランで小原教授と会った。」
直樹が座った途端、重樹が口を開いた。紀子と琴子、裕樹は二人が座っているソファではなく、窓際の椅子に座って様子を見ていた。
「小原教授からお前を失ったことが誠に残念だと言われ、わしは何のことかと尋ねた。」
聞いたことのない名前であるが、どうやら小原とは法学部の教授のようである。
「そうしたら、今年の春からお前が医学部へ移ったというではないか。どういうことなんだ?」
重樹の言葉に紀子と裕樹の表情が変わった。無理もない、まったく知らなかったのであるから。
「…そういうことです。」
直樹は静かに答えた。
「今年の春から医学部へ編入しました。」
「…何だって?」
今まで落ち着いていた重樹の顔色が変わる。
「なぜ医学部に?」
「医者になりたいからです。」
とうとう直樹は言った。
「医者に?では、わしの会社はどうするんだ?」
「俺は父上の事業を継ぐことはできません。いえ…。」
直樹はきっぱりと告げた。
「父上の会社を継ぎません。」
この言葉に
「馬鹿者!!」
と、重樹が怒鳴った。紀子と裕樹、そして琴子もこれには真っ青になった。しかし当の直樹だけは全く顔色が変わっていない。驚いている様子もない。

「何を勝手なことを言っているんだ!継がないだと?」
「はい。」
「今まで…今までお前にしてきたことはどうしてくれる!」
「それは父上が勝手に決めてきたことではありませんか?」
「何!」
「父上が最初からご自分の跡継ぎに俺をと決めつけていただけでしょう?」
直樹が重樹を睨んだ。重樹の顔が怒りで赤くなってきている。
「しかしお前だってその気でいたから、手伝ってきたのではないか?」
「断れないように仕向けていたのはそちらです。」

あの直樹があそこまで重樹に刃向うとは。琴子はどうなるか震えていた。それは紀子と裕樹も同様である。

「あの頃の俺は他にすることもなかったので言いつけに従っておりました。しかし今は違います。俺はやりたいことができたんです。」
「許さん、許さんぞ直樹!」
重樹は聞く耳を持たないという感じであった。重樹の激情的な態度に引きずられまいとしているのだろうが、やはり直樹もどこか気が高ぶっている様子である。
「わしの許しも得ずに勝手なことをすることは、断じて許さん!」
「俺は金儲けよりもやりたいことがあるんです!」
「金儲けだと!」
これは直樹が言い過ぎだと琴子は思った。まるで重樹の仕事を見下しているかのような直樹の言い様である。
そこで重樹は琴子と目が合った。

「琴子ちゃん、知っていたのか?」
紀子たちと比べて、琴子の様子はどこか落ち着いたものを重樹は感じていた。
「あの…。」
ここで全てを告白して嘘をついていたことを謝らねばと琴子は思った。
「…知っていたのか。」
重樹は悟ったようだった。
「琴子に口止めをしたのは俺です。」
謝ろうとした琴子より先に直樹が言った。
「偶然気づいた琴子に、俺が口止めしたのです。ばらしたら、相原家の事業をめちゃめちゃにすると脅しました。」
「直…」
「お前は黙ってろ!」
なぜそんな嘘をつくのかと琴子が青ざめ、その琴子を直樹が止める。
「…ご覧のように横暴な態度で俺は琴子を脅したのです。琴子は怯えて俺に従うしかなかっただけです。」
「この大馬鹿者が!!」
重樹は直樹の顔を殴った。自分より背の低い重樹により、直樹の長身がソファに沈められた。
「あなた!」
これにはたまらず、紀子が飛び出してきた。
「貴様は何てことをしてきたんだ!」
重樹は相原家を窮地に陥れることを匂わせた息子の態度に怒りを爆発させた。
「何て卑劣な真似を!」
そして重樹はまた拳を上げた。
「あなた、おやめになって!落ち着いて!」
紀子が重樹の体に抱きつく。
「父様、やめて!」
裕樹は重樹の腕を何とか下ろそうとする。
琴子は直樹の体を起こそうとした。が、直樹がそれを乱暴に振り払った。

「お前のような奴はもう知らん!この恩知らずが!」
妻と子に止められ、やっと腕を下ろした重樹は直樹を見据えた。
「勘当だ!今すぐ家を出て行け!」
重樹は玄関を指し、怒鳴った。
「あなた、それでは琴子ちゃんが可哀想です!」
勘当を止めさせようと紀子が琴子を理由にする。
「琴子ちゃんはどうすればいいのです!あなたの親友の娘さんですよ?」
そこで重樹は我に返ったようだった。
「それは…。」
「…離縁します。」
殴られた時に切った唇から流れる血を拭うこともせず、直樹が冷たく言った。
「勘当されたのですから、ここに置いておくわけにはいきません。俺は琴子を離縁します。」
「お前はどこまで勝手なんだ!!」
落ち着いたかのように見えた重樹がまた怒りに震え始めた。
「お前の勝手な行動で妻を離縁するなど!」
「仕方のないことです。」
直樹の言葉に、琴子はその場にペタンと座り込んでしまった。直樹が自分を離縁する?

「直樹さん、今すぐお父様に謝りなさい!」
これでは家族がバラバラになってしまう。紀子は直樹に謝罪を命じる。しかし直樹は横を向いて紀子に従う気配すらない。
「兄様!」
泣きながら裕樹が直樹にすがるが、
「裕樹、もうお前の兄などではない!」
と重樹が厳しい声を上げた。
「今すぐ出ていけ!」
重樹の最後の叫びを合図に、直樹は居間を出て行った。
「直樹さん!」
「放っておきなさい!」
追いかけることを止められた紀子は「ああ…」とその場に崩れてしまった。琴子も直樹を追いかけたかったが、そのような紀子を置いておくこともできなかった。



直樹はいつの間にか出て行ったらしい。紀子を落ち着かせた後部屋に戻った琴子が直樹の部屋を覗くと、そこにその姿はなかった。
机の上に琴子は「琴子へ」と宛名書きがされた封筒を見つけた。直樹の文字である。
琴子は震える手で封を開けた。
いつ用意したのか、それは離縁状であった――。




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 |  2012.10.03(Wed) 15:31 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.10.03(Wed) 16:23 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.10.03(Wed) 17:56 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.10.03(Wed) 19:14 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.10.03(Wed) 20:40 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.10.03(Wed) 21:55 |   |  【コメント編集】

更新ありがとうございます

まさかの展開に びくびくしています。少しずつお互いを大切にする気持ちが 芽生えたと思っていたのに…直樹は琴子を手放して この先どうなっちゃうのΣ( ̄□ ̄)!
ぷりん |  2012.10.03(Wed) 22:30 |  URL |  【コメント編集】

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 |  2012.10.03(Wed) 22:39 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.10.04(Thu) 05:44 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.10.04(Thu) 09:52 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.10.04(Thu) 11:19 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.10.04(Thu) 16:43 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.10.04(Thu) 17:19 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.10.04(Thu) 21:44 |   |  【コメント編集】

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