日々草子 いとし、いとしと言う心 11

いとし、いとしと言う心 11



「夜会?」
「そうなの、そうなの!」
紀子が嬉しそうに招待状を琴子へと見せた。それは某家で催される夜会の招待状であった。
「すてき!」
招待状のデザインからして洒落ている。琴子は感嘆の声を上げた。
「でしょう?」
「お義母様のドレス姿、おきれいでしょうね。」
「あら、あら。何を言ってるの、琴子ちゃん。」
「オホホ」と紀子は笑い声を上げた。
「行くのは琴子ちゃんよ。」
「私が!?」
自分を指して琴子は口をあんぐりと開けた。
「そうよ。」
「でもこれ、“入江侯爵様令夫人様”となっていますよ?」
招待状の宛名を琴子は確認する。
「そうだけど、その日私は別の夜会にご招待されているの。」
何でも重樹の取引先の外国人が主催する横浜での夜会に夫婦で出なければならないのだという。
「だから、琴子ちゃんと直樹さんに。」
裕樹は友人の誕生会に招かれているのだという。
「先方に確認したら、息子夫妻でもいいって仰っていてね。まあ大勢招待しているから別に招待されてなくてもばれないと思うけれど。」
「そんな私、こんな席は初めてで…自信がありません。」
琴子の年頃だと社交界にデビューを果たしている令嬢たちも多い。相原家の場合、そういうところに琴子を出して早々に目をつけられ婚期が早まったら困るという、重雄の意向もあり琴子は出席したことがなかった(デビューしなくとも早々に嫁いでしまったのだが)。
「大丈夫よ、直樹さんにエスコートさせるから。」
「でも直樹さん、こういう場にあまり出ないって聞いたことがありますが。」
「ああ、そうね。直樹さんは派手なことは嫌いだから。でも大丈夫よ。愛する妻の引き立て役に徹するくらいの仕事をしてもらわないと!」
それならば自分が直樹の引き立て役になるのではないかと、琴子は思った。

「行かない。」
直樹の返事は予想通りのものであった。
「そんなところへ行っても何の得にもならない。くだらないおしゃべりに付き合わされて時間の無駄だ。」
紀子がむいた梨を食べながら直樹はそっぽを向いた。
「何てことを!あなたは別に壁に立っていればいいのよ!琴子ちゃんさえ目立てばいいのだから!」
「め、目立つってお義母様…。」
「あら!目立たないと!うちは披露宴もしていないんですもの、まだあなたたちが結婚をしていることを知らない方が多いはず。この夜会でアピールしてくればいいのよ。」
どうやら紀子の目的はそれらしい。
直樹と琴子が押し問答を繰り広げている間、琴子はそっと招待状を見た。
「この日付…。」
それは琴子にとって特別な日であった。

「とにかく俺は行かない。琴子が行くことは止めない。好きにしろ。」
「んまあ!一人で行かせられるわけないでしょ!」
「俺は忙しいんだ。」
直樹は紀子から逃げていってしまった。
「何て男なのかしら!」
プリプリ怒っている紀子に琴子が声をかける。
「直樹さん、大学のお勉強で忙しいんですよ。」
直樹と一緒に夜会へ行ってみたいと思った琴子であるが、医者になるための勉強が多忙を極め始めていることを唯一知っているのも琴子である。琴子は直樹の夢が実現するためにはどんな努力も惜しまないつもりだった。夜会で勉強の邪魔をするなんてとんでもない。
「琴子ちゃんは優しすぎるわ。」
紀子は琴子を抱きしめた。

その晩、琴子は招待状をそっと鏡台の引き出しにしまった。
直樹の傍にいられればそれだけでいいのである。



「ああ、大失敗だわあ!」
紀子たちが外国人主催の夜会へ出発する日の朝、紀子が居間でがっくりとうなだれていた。
「行く前から何を失敗したのです?」
新聞を広げている直樹が、聞きたくないが聞かないとうるさいだろうという思いで口を開いた。
「今日が何て大切な日だかということを失念していたのよ!」
「今日?」
直樹はカレンダーを見た。
「何ですか?父上の会社の給料日は過ぎていますが。」
「そんなことは経理に任せればいいので私に関係ありません!」
紀子はキッと直樹を睨む。
「あなたが一番知らなければいけない日ではないですか!」
「俺が?」
全く気付く気配のない直樹に、紀子が叫んだ。
「大事な妻の誕生日を忘れているなんて!!」
「琴子の?」
直樹はまたカレンダーを見た。九月二十八日…。
「あいつ、今日誕生日なのか。」
「ああ、これだから!」
だが紀子はそれ以上直樹を責めなかった。
「もっと早く気づいていれば予定など入れなかったのに!何ということでしょう、私が忘れるなんて!可哀想な琴子ちゃん…一年で一番大切な日に、こんなどうしようもない男のお茶くみをして過ごすなんて。」
そういえば、あの時招待状を寂しげに見ていたなと直樹は琴子の様子を思い出していた。
泣き叫ぶ紀子であったが、重樹の取引先の夜会を欠席するわけにはいかない。泣く泣く重樹に引きずられるように、出発したのだった。



「ああ、幸子はどうなるのかしら?」
少女雑誌を読み終え小説の世界の余韻に浸っていた琴子の耳に、コンコンとドアをノックする音がした。
「はい?」
「俺。」
直樹の声に、琴子はお茶の準備をしなければということを思い出した。誕生日の夜、何もなくとも愛する夫の世話ができることだけで、琴子は幸せである。
「ごめんなさい、今お茶を…。」
話しながらドアを開けた琴子の目が大きく見開かれた。
「…何だ?」
「いえ、だって。」
琴子が驚くのも無理はなかった。立っている直樹は燕尾服姿なのである。
「ええと…着替えがなくて仕方なく着ているとか?」
全て洗濯にでも出してしまって、他に着るものがなくて燕尾服なのかと琴子は思った。
「ばあか。」
直樹は琴子の頭を小突いた。
「たとえ着替えがなくてもこれは選ばない。」
「それじゃあ、どうして?」
「夜会に行くんだよ。」
「え?そうなの?」
まさか直樹が出席するとは。それでは誕生日に一人ぼっちということではないか。琴子は寂しさを感じた。
「ま、いっか…一人で歌でも歌って楽しく過ごせば…。」
「何をごちゃごちゃ言ってるんだ。さっさと支度しろ。」
「支度?」
「お前も行くんだよ。」
「ええ!?」
琴子は驚いた。
「だって勉強で忙しいのではないの?」
「俺を誰だと思ってやがる。一晩出かけたくらいで遅れるような成績は取っていない。」
相変わらずの自信家の直樹であった。

驚いたが嬉しさが少しずつこみあげてきた琴子だった。誕生日にあきらめていた夜会に、直樹と出られるなんて夢ではないだろうか。
嫁いできたばかりの頃、紀子が作ってくれたドレスに初めて袖を通し鏡に自分の姿を映しながら、琴子は頬をひっぱった。
「痛い、夢じゃない。えへへ。」
頬を擦りながら、琴子は髪にプラチナにオパールをあしらった飾りをつけた。紀子から譲り受けたものである。

「お待たせ!」
玄関ホールで待っていた直樹はその声に階段を見上げた。琴子は学校も普段も寝間着も全て和装なので、直樹が洋装姿を見るのはこれが初めてであった。
「…細いな。」
袖のないドレスのため肩からショールを羽織っているものの、琴子の白く細い腕が直樹にはまぶしく映った。
「え?ああ、遅くなってごめんね。」
「細い」を「遅い」と琴子には聞こえた。



夜会は某男爵家で催されている。男爵といっても事業が成功して築いた財産を元に爵位を手に入れた家である。その財産力を誇示するための夜会なのでそれは豪勢なものであった。
主催者の男爵夫妻に二人で挨拶をした後、滅多にパーティーに出てこない直樹はあちらこちらから声がかかった。
直樹に少し待っているように言われ、琴子は壁際へと下がった。
「すごくきらびやか…。」
最先端のドレス姿もいれば、日本髪姿もいる。皆あでやかである。紀子には目立つよう言われていたものの、とても彼女たちの中へ入る勇気はなかった。

「入江様のご子息様がご結婚されたのは本当でしたのね。」
「ショックですわ…。」
壁際の琴子の耳に噂が入ってくる。本当に直樹は人気があったのだなと改めて思う。
「…と思いましたのにね。」
「そうそう、大泉様のお嬢様が本命かと思っておりました。」
――大泉様?
あまりに具体的な名前のため、琴子は気になった。
――どなたかしら?
斗南女学院の生徒ではないだろう。あまり多くない生徒数の女学院でそのような名前は耳にしたことがない。

「ちょっと。」
声をかけられたのは、シャンパンに舌鼓を打っていた時だった。
「入江様の奥様ってあなた様?」
登場したのは、五、六人の女性たちであった。こちらも和洋様々の姿である。年齢も様々な所を見るとどうも何組かの母と娘らしい。
「はい。」
琴子が返事をすると、女性たちの目が一斉に吊り上った。
「信じられない。」
「大して美しくもないじゃないの。」
この夜会に出席しているのならば、いずれも名家の令嬢であろう。それなのにこの言い草は何だろうか。
しかし琴子には言い返せなかった。相手が一人か二人だったら立ち向かう気になるというものだが、さすがにこの人数に対し琴子一人では勝ち目がない。
相手にするのもどうかと思い、琴子はニッコリと笑い「失礼いたします」と移動しようとした。
しかし、
「待ちなさいよ。」
と、彼女たちが琴子の行く手を阻んだ。
「何をされるのですか?」
何という不作法な振る舞いだろうと琴子は呆れる。

「お母様、私はこのような人に負けたのですか?」
ドレス姿の令嬢が和装の母親に泣きついた。
「本当に、入江様も何ということをして下さったのでしょうね。」
母親が軽蔑の眼差しを琴子へと向けた。
「奥様、どうせ入江家の財産狙いでございましてよ。」
洋装姿の女性が言葉をかける。
「そうでしょうね。だってこのような方、今まで夜会でお会いしたことございませんもの。」
話を聞いていると、どうも彼女たちは直樹へ縁談を持ちかけていたらしい。結婚できなかった腹いせを琴子にぶつけているのであった。
「ああ、大泉様のお嬢様だったらあきらめもつくのに。」
またその名前が出た。一体誰なのだろうかと琴子は思った。どうも今日はこの場にいないらしい。



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