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2012.09.23 (Sun)

いとし、いとしと言う心 6


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直樹は大抵、部屋に籠っていることが多かった。

「お義父様のお仕事のお手伝いを?」
「ええ、そうなの。」
てっきり大学の勉強が忙しいのかと思いきや、重樹の貿易関係の仕事を手伝っているために籠っているのだと、紀子が琴子に話してくれた。
「本当に、琴子ちゃんのことをもっと構ってあげればいいのに。」
すっかり日課となった、夕食後の紀子と琴子のお茶の時間である。今日はテーブルには紀子と琴子が一緒に焼いたビスケットが並んでいた。
「琴子、砂糖入れたのかよ。」
一枚頬張った裕樹が顔をゆがめた。
「入れたわよ、ちゃんと。」
今では裕樹ともこんなやり取りをするまでになった琴子である。
「これ、お義姉様に何という言い方ですか。」
裕樹をとがめる紀子であるが、琴子は意に介さない。むしろ、こういう態度を取ってくれている分、家族として受け入れてもらっているという実感がわくのである。

「兄様はすごいんだぞ。」
兄大好きな裕樹が胸を張った。
「父様の会社の人からも頼りにされているんだ。」
「へえ、そうなんだ。」
「それが困ったところなのよね。」
息子を誇りに思うところだというのに、紀子が浮かない顔をする。
「そういうことだから旦那様がすっかり頼りにされていて。肝心の大学のお勉強がおろそかになっているのではないかしら?」
紀子は紀子で、直樹には学生らしい生活を送ってほしいと母らしいことを願っているのである。
「何せ、高校の頃から手伝わせているんですもの。」
「高校生から!?」
琴子は驚いた。高校生といえば今の自分とさして変わらない年齢ではないか。琴子は父重雄の仕事内容など全く分からない。
「ええ。一高は全寮制だったから夏休みとかの休暇の間にね。秘書の真似事をさせてたのよ。」
「すごいなあ…。」
パリンとビスケットを琴子がかじった時だった。

「奥様…。」
女中が紀子の傍へ寄ってきた。
「そろそろ、直樹様へお茶をお持ちしようかと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、そうね。お願いするわ。」
「かしこまりました。」
女中がお茶を淹れるために下がろうとする姿を目で追いかけていた琴子であったが、
「あの!」
と、気が付くと立ち上がっていた。



ノックの音がして、直樹は書類から目を上げた。時計を見ると女中がお茶を運んでくる時間である。
返事をしなければ「失礼します」と入ってくるので、そのまま黙っていた。

「…失礼します。」
聞こえた声に直樹は振り返った。
「お茶を淹れてきました。」
やってきたのは女中ではなく、琴子であった。
「何でお前が?」
思わず直樹は口走る。
「いえ、まあ…その…。」
琴子は考えた。素直に「直樹の世話を少し焼いてみたくなった」と言えればいいのだが、どうも言えない。
「少しは奥さんらしいことをすれば、お義母様が喜んで下さるから。」
それはあながち嘘ではなかった。琴子がお茶を淹れると申し出た時の紀子の喜びようは言葉に言い表せなかった。
「お口に合うか分からないけれど。」
面白くなさそうな顔をしている直樹の机に、琴子は書類に気を付けながら湯呑を置いた。

「それ、お義父様の会社関係の書類?」
琴子は机の横に立ったまま、書類を見た。
「そうだけど。」
「意味分かるの?」
書類は全て英語で書かれているようだった。琴子にはさっぱり分からない。
「分からないとできないだろ。」
「そうよね。」
琴子が頷いている間に、直樹は湯呑に口をつけた。

「…。」
相変わらず難しい顔をしている直樹が琴子は気になってしょうがない。「おいしい?」とでも訊ねたいところである。
「お前が淹れたのか?」
直樹は琴子の顔を見た。
「そうだけど?」
何かおかしい点でもあったのだろうか。不安になった琴子は、
「雑巾の絞汁とか、隠し味に入れてないから。」
というようなことを口走ってしまった。
すると直樹は下を向いた。
「気分でも悪くなった?」
と琴子は心配して、直樹の様子をそっと窺った。
――あれ?
直樹の口角がほんの僅か、上がっている気がする。
――もしや、笑っている?
笑っているのかどうか判断に迷っていると直樹が顔を上げ、
「人間、一つくらいは取り柄があるもんだな。」
と、また一口飲んだ。
それを聞いた琴子の顔にパーッと笑みが広がる。どうやら褒められたらしい。
「そう?あのね、お茶にはちょっと自信があるの。なぜかというと、実家の父がお茶にうるさくて。淹れ方を事細かに教えられてね。何でこんなに口うるさいのかと思いながら毎日淹れていたのよ。」
「ったく、お前は本当によく喋るやつだな。」
呆れ返っている直樹の声で、琴子は我に返った。
「ごめんなさい、邪魔しちゃって。」
考えてみれば直樹は仕事中なのである。直樹に初めて褒められた嬉しさからつい舞い上がってしまった琴子だった。
「まあ、いい気分転換になった。」
直樹はまた机に向かったのだった。



これを機に驚くべきことが起きた。
「お茶を頼む。」
部屋から出てきた直樹が、居間にいる琴子にお茶を頼むようになったのである。
「はい!」
琴子は張り切ってお茶を淹れる。
「おいしくなりますように。」
呪文のように繰り返しながら丁寧にお茶を淹れ、直樹の部屋へと運ぶことが琴子の日課となったのだった。



直樹との距離も少しづつ縮まってきて、学校生活も順調。
その日、琴子はパーラーで理美たちとお喋りに興じてから家へ戻ろうとしていた。
重樹と紀子は車で通えばと言ってくれているのだが、実家にいた頃から徒歩通学で会った琴子はそれを丁重に断っていた。学校と入江家はさして遠い距離ではない。

「あら?」
琴子は少し先に、直樹の姿を見つけた。制服姿であるところを見ると大学の帰りであろう。
直樹はどこからか出てきたところのようである。琴子は直樹に見つからないよう傍の家の門の所に身を隠し首だけ出した。
「あのお家から出てきたんだわ。」
趣のある日本家屋がそこに建っていた。その門から直樹は出てきたようである。
「お友達のお宅かな?」
渡辺男爵家はこちらの方角ではないと聞いているから、渡辺の家ではないだろう。
話しかけて一緒に帰ってみたい、そんなことを琴子が考えていた時だった。
琴子の目が、大きく見開かれた。

直樹に続いて、家からもう一人出てきた。それは女性だった。
束髪に和服姿、そして何とも美しい顔立ち。
「誰…?」
その女性に直樹は笑顔で話しかけている。女性も牡丹のような笑顔で返している。一目で二人がかなり親しい間柄と分かった。
そして女性は、直樹の肩に手を置いた。一瞬、直樹と抱き合うのかと琴子はドキリとしたが、違った。女性は直樹の肩についていたゴミを取ったらしい。取ったゴミを直樹に見せて笑っている。
直樹はその女性に見送られて、歩いて行く。琴子は後を追いかけたくとも足が全く動かなかった――。



「お妾さんは一人いたら、百人いると思えって言わなかったっけ?」
その後どうやって入江家に戻ったか分からない琴子は、茫然としていた。
「あの綺麗な方…かなり親しかったわよね。」
忘れようと思っても、何度も何度も琴子の頭の中で二人の姿が繰り返し映し出される。
あのような優しい笑顔を自分は向けられたことがない。あの笑顔はあの女性だけのものだと思うと、琴子の胸は苦しくなった。
その晩、ベッドに入った後も琴子は直樹に何も聞けずじまいであった。


************


「おい、俺の妾達に挨拶しておけよ。手土産用意してな。」
「手土産って、百人分?」
琴子は真っ青になった。
「当たり前だ、全員に配らねえと不公平だろうが。」
直樹は「やっぱりバカだ」と琴子を意地悪く見ている。
「琴子ちゃん。」
そこに現れたのは紀子だった。
「お妾さんへ直樹さんがお世話になっているお礼をするのは、妻の大事な役目ですからね。」
「はい…。」
「それから、用意は自分の手でおやりなさいね。」
「百人分ですか?」
「当然です。お金もうちでは用意しませんから。」
それから琴子は、せっせとデパートを回って百人の妾へのお礼の品を準備した。
それらをリヤカーに詰め込む。もちろん、リヤカーを引くのは琴子である。
「琴子。」
次に登場したのは重雄だった。
「お父様!」
何ていう姿を見られたのだろうか。琴子は恥ずかしくなった。
「お前がしっかりしないから、直樹くんは百人も妾を作ったんだぞ。普通なら二、三人で済むのに。」
「ごめんなさい。」
「それに、お前のせいでうちは破産寸前だ。」
「ええ?」
重雄は困った顔をした。
「百人分の品代で、財産がなくなったのだよ。」
「そんな、お父様!」
「ああ、不甲斐ない娘を持ってわしはご先祖に何とお詫びをすればいいのか。」
オヨヨと泣き崩れる重雄であるが、今の琴子にそれを慰める余裕はない。もう出発しないと今日中に百人の妾に挨拶ができない。
琴子は後ろ髪を引かれる思いで、重雄を置いてリヤカーを引いた。

「いつも直樹さんがお世話になっております。」
リヤカーから品を出しては、妾に配る琴子。日本髪もいれば束髪もいる。最近話題のモダンガールもいる。本当に多種多彩の妾たち。
「あら、しけたもんねえ。」
「もうちょっと高価なもんを期待してたのにさ。」
琴子が頑張って用意した品を妾達はけなし続ける。

「あと一人…。」
クタクタになって、すっかり軽くなったリヤカーを琴子は見た。
「ああ!!」
何ということだろうか。あと一つ残っているはずの品がそこにはない。リヤカーは空であった。
「何で?どうして?」
「それはお前が数を間違えたからだろう。」
直樹が冷たい目をして琴子の前に立っていた。気づかないうちに百人目の妾宅に到着していたのである。
「ったく、お前は数もまともに数えられないのか。やっぱりバカだ。このバカが。」
「ごめんなさい、ごめんなさい。」
「いいじゃないの、あなた。」
謝り続ける琴子の前に次に登場したのは、あの女性だった。
「私は奥様の着ている着物でいいわ。」
「これを!?」
琴子は自分が着ている着物を見た。
「いいのか?お前は優しい奴だなあ。」
直樹は琴子の見せた態度とは打って変わって、甘い態度を女性に見せる。
「じゃあ、脱げ。」
そして再び琴子に冷たい眼差しを向けた。
「…はい。」
琴子は渋々直樹に従った。しかも家にも入れてもらえない。道で着物を脱ぐ。
「どうぞ。」
襦袢姿の琴子は着物を女性に渡した。その体に容赦なく、冷たい風が当たる――。


************


「うう…もう許して…。」
「…うるさい奴だな。」
うなされている琴子の声で、直樹は眠れなかった。明かりをつけて本でも読もうとするが、あまりの寝言に集中できない。
「冷たい…冷たい…。」
「まさか寝小便でもしてるんじゃねえだろうな?」
直樹は布団の中から琴子の寝ている周辺を探った。シーツは全然濡れていない。
「ったく、寝ている時も喋り続けているんだな、お前は。」
直樹が琴子の額を弾くと「もう何もないんですう」という言葉が返ってきた。
「借金取りに追われている夢でも見ているんだろうか?」
相原家も裕福だったはずだがと、直樹は首を傾げる。

その晩、琴子は直樹の妾たち(?)に散々うなされて苦しんだのだった。そして直樹はその琴子のうめき声に悩まされ、一睡もできなかったのだった。


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 |  2012.09.24(Mon) 00:21 |   |  【コメント編集】

★茉莉花さん、ありがとうございます。

おお!万華鏡が三位なんですか!ありがとうございます♪
初めて書いた時代物ですので、思い出深いです^^
あとは何だろう…?
凄く楽しみです!
水玉 |  2012.09.25(Tue) 21:17 |  URL |  【コメント編集】

★紀子ママさん、ありがとうございます。

最近大正時代の雑誌の紹介とか読んだんですけれどね、読者アンケートとかがあったんですよ。
そしたら浮気は「絶対いや」という人もいれば「一人くらいなら」という人もいて。
この時代、上流階級は跡取りのためになら正妻公認の愛人もいたしかたなしという風潮だったのかもしれません。
でも100人ってすごいですよね(笑)
毎日通ったとしても、一年に三回くらいしか会えないわけなんですよ、皆さん。
残りの65日は一応正妻琴子ちゃんのためにとっておいてあげてねと入江くんに言いたいです(笑)
水玉 |  2012.09.25(Tue) 21:19 |  URL |  【コメント編集】

★もりくまさん、ありがとうございます。

いえいえ、私も「ザマーミロ」と思いながら書いていました。
少しは琴子ちゃんのために眠れぬ夜を過ごしてほしいなあと。
寝小便とか入江くんにとってはまだ琴子ちゃんはお子様なんでしょうね。
お茶だけでもほめてもらえて、琴子ちゃんは大喜びだったんでしょうね。
本当にいじらしい…。
水玉 |  2012.09.25(Tue) 21:20 |  URL |  【コメント編集】

★彩さん、ありがとうございます。

初めまして!御訪問ありがとうございます。
少しずつ縮まっていく二人の距離をどうぞ最後まで見守っていただけたらと思います♪
水玉 |  2012.09.25(Tue) 21:21 |  URL |  【コメント編集】

★ぷりんさん、ありがとうございます。

100人ってすごいですよね~。
琴子ちゃん、夢に出すほど入江くんが気になって仕方ないんですよね。
本当に不憫だわ…うう。
水玉 |  2012.09.25(Tue) 21:22 |  URL |  【コメント編集】

★ら~ゆさん、ありがとうございます。

そうなんですよ!
今回は後半、笑いに走ってみました(笑)
リヤカーとか引いている琴子ちゃん想像したらおかしくて(笑)
雑巾の搾り汁、このころからあったんでしょうかね?でも結構大正時代の女性も現代の女性と通じるものがあったりして楽しかったりします。
あと一人いたら百人…そうです、まさしくゴキブリです!琴子ちゃん、ゴキブリとお妾さんを混同しちゃってますから。
私は牢名主と吉次さんとお父さんの三角関係がすごく受けました!
なんか最後失恋した牢名主さんが気の毒で…。
編集長は確かに「邪魔!」って感じでしたよね。
番外編を読んだ時「ええ、そういう人生!?」と驚いた記憶があります。
でも編集長の自称婚約者の袋小路つめ子さんは結構好きでした!名前からして受けまくる!!
水玉 |  2012.09.25(Tue) 21:24 |  URL |  【コメント編集】

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