日々草子 いとし、いとしと言う心 1

2012.09.15 (Sat)

いとし、いとしと言う心 1

初心に戻って謙虚な気持ちになりませう。







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時は大正。
社会に出る女性が少しずつ増えてきたものの、まだまだ女性は結婚して家庭に入ることが一番の幸せと考えられていた時代。
良妻賢母になることを求められる少女たちは、結婚するその日までのわずかな自由な時を楽しんでいた。

「ご覧になって、和子様が歩いていらっしゃるわ。」
「ああ、鈴子様に微笑んでいただいてしまった。」

と、騒いでいるのは斗南女学院の生徒たち。女子校では見目麗しい生徒を追いかける光景は日常茶飯事といったところ。

「今月の少女画報、手に入れられまして?」
「もちろんですわ。あの続きが今から気になって。」

少女雑誌に夢中になっている者も多い。



「まあ、確かに素敵な先輩はおいでだけど。」
素敵な先輩目当てに騒いでいる同級生達をのんびりと見つめているのは、相原琴子である。
「でもやっぱり、殿方との恋に憧れるわねえ。」
うっとりと頬づえをつく琴子に、
「そうよね。逞しくい殿方に甘えてみたいわ。」
「うん、うん。」
と同調しているのは琴子の親友の理美とじんこである。

「私だったら、そうね。朝学校へ急いでいる時に角を曲がったところで殿方とぶつかるの。」
「ありがちな話だわね。」
「いいの!」
茶々を入れてきた理美に琴子は舌を出した。
「それで、恋が芽生えるのよね。でも何らかの理由でお父様に反対されて、私たちは駆落ちを決意して。私はストールをかぶって雪の中北へ向かって…。」
「まだ雪が降ってないけれど。」
今度はじんこが突っ込む。
「いいの!真夏のギラギラした太陽に駆落ちは似合わないでしょう?」
「いや、そもそも。」
理美が手を上げた。
「琴子のお父様、絶対反対なんてしないと思うわ。」
「うんうん。」
じんこが頷く。
「だって、一人娘の琴子をなんだかんだと可愛がっておいでだもの。琴子が選んだ方だったら喜んで許して下さると思う。」
「それじゃあつまらないわ。」
琴子が口をへの字に曲げた。
「どうしても駆落ちしたいっていうのならば、そうねえ。」
じんこは考えた。
「…三度のご飯よりも賭け事が好きで、お妾さんが数えきれないくらいいて、琴子をののしってばかりのような人だったらきっとおじさまも反対されると思うけれど。」
「…そんな人、絶対いや。」
琴子の言葉に、理美とじんこはケラケラと笑い転げた。

「でもまあ、結婚なんて先でしょうねえ。」
琴子は溜息をついた。
「お父様、まだ私は家にいていいっておっしゃっているから。」
斗南女学院は華族の令嬢たちが集う名門の学校である。現在17歳の琴子たちは最終学年に在学中で、クラスメートの中には卒業を待たずに嫁入りしていく者も多かった。

「さ、湊屋にでも行きましょうよ。」
「そうね。夢二の新作が出ているわよ。」
「私、今度は何を買おうかしら。」
琴子たちは騒ぎながら、学校を後にする。
まだまだ結婚なんて先の話、この時の琴子はそう信じて疑わなかった――。



「琴子、嫁に行きなさい。」
唐突な父の言葉に、琴子はお茶を噴き出した。
「何?どういうこと?」
何の前触れもない言葉に、琴子はむせなながら父を見た。
「いや、いい話があるのだよ。」
子爵である父重雄はニコニコとしている。
「私の友人に息子がいてね。ちょうどお前と年齢も合うとのことで話がまとまったんだよ。」
「それ理由になってないじゃない。」
「いや、幼い頃からの付き合いだが本当に素晴らしい奴でなあ。これからの華族は特権に甘んじてはいけない。商売で身を立てることも必要だと始めた貿易の仕事がまあ当たって当たって。私も商売をしているから、お互い助け合えていいなと話をしていたんだよ。」
「私はお父様のお友達と結婚するわけじゃないでしょう。」
「そりゃそうだ。向こうにはちゃんと奥方がいるし。」
「そういう問題じゃなくて。」
突然降ってわいた結婚話に琴子の頭は混乱していた。それに加え、父のこのあっけらかんとした態度はどうだろうか。

「大体、うちは男子はいないからお婿様をということじゃなかったのですか?」
相原家は重雄と琴子の二人きりの親子である。琴子の母悦子はとうに亡くなっていた。
「うん、そのつもりだったのだけれどね。イリちゃんと親戚になれるのならば嫁にやってもいいと思って。」
「イリちゃん?」
「ああ、苗字が入江だからイリちゃん。あっちは私をアイちゃんと呼んでいるんだ。まあそれで私たちの親しさが分かるだろ?」
「だったらお父様が結婚すればいいじゃないの。」
そんなことできるはずもないのだが、脳天気な父に琴子は苛立ちをぶつけた。
「ああ、肝心の息子について話すのを忘れていた。」
今になって重雄が気付いたらしい。
「イリちゃんに似て頭がすこぶるいいらしい。何せ一高から帝大とストレート。帝大始まって以来の優秀ぶりだと評判らしいからな。」
「ふうん。」
「ガリ勉か」と琴子は内心面白くなかった。
ところが、とりあえず結婚前に顔だけでも合わせておこうということで、すでに見合いの日取りまで決まってしまっていたのである。



「嫌がった割には、気合の入った格好じゃないか。」
見合い当日、会場となった帝都ホテルの一室に琴子と重雄はいた。
「当然じゃありませんか。変な恰好をして相手に侮られては困りますから。」
琴子は胸を張って見せた。
今日の琴子は先日重雄に買ってもらった、流行の洋花模様を取り入れた振袖にこれまた美しい刺繍を施した半襟を合わせている。
「負けるわけにはいきませんから!」
「負けるって、戦じゃあるまいし。」
しかし琴子にとってこの見合いは戦も同様なのである。
雰囲気からして断ることは難しそうであるが、嫁ぎ先が見つかりそうもないのでお願いしますといった感じで嫁ぐなんて琴子の誇りが許さない。

「ごめん、ごめん、遅くなって。」
どうやら先方が到着したらしい。スッと襖が開き男性が入ってきた。
「やあアイちゃん!」
「イリちゃん、忙しそうだねえ。」
「アイちゃんも同じだろ?」
どうやらこちらが、入江重樹侯爵―琴子の嫁ぎ先の当主らしい。
「こちらが娘だよ。」
重雄に促され、琴子は挨拶をした。
「ほう、これは可愛らしいお嬢さんだねえ。」
重樹は琴子の姿に目を細めた。
「すまないねえ。息子は大学の教授の元に出かけていて、ちょっと遅れているみたいで。」
「さすがだねえ。休日だというのに大学かい。」
「大学からまっすぐここへ来るよう言ってあるから。あとうちのもちょっと遅れているみたいだね。私は会社からまっすぐ来たから別々になってしまって。」
「いいよいいよ。のんびりとしてよう。」
重樹は少々頭髪が薄いものの、にこやかで優しそうである。とても世界を相手にしている貿易商とは思えない。
この重樹の息子ということは…琴子は想像した。
――ま、優しそうだからいいか。
この時代、親の命令は絶対である。この縁談はもはや避けることはできないだろう。
重樹が優しい人物だったことが唯一の救いといったところか。

「お連れ様がお見えでございます。」
「おう、来たか。」
重樹が入口を見た。襖がスッと開く。

「遅くなって申し訳ありません。」
入ってきた人物を見て、琴子は言葉を失った――。

「…実子?」
思わず琴子は呟いてしまった。それを聞いた重雄が琴子の脇腹を突いた。
だがそう言わずにいられないくらい、男性は重樹にあまり似ていなかった。
被っていた制帽を脱ぐと、サラサラとした豊かな髪の毛が現れた。そして帝大の制服、金ボタンに詰襟姿が凛々しい。
「直樹、相原子爵とそのご令嬢の琴子さんだ。」
「初めまして。入江直樹です。」
自己紹介されても、琴子はボーッとしたままだった。
「琴子、ご挨拶を。」
重雄がまた琴子の脇腹を突く。それで琴子は我に返った。
「は、初めまして。相原琴子です。」
彼こそ、琴子が読んでいた外国の小説に出てくる貴公子そのものだった。まさかそんな人物が現実にいて、しかも自分の夫となるとは。

とりあえず直樹の母が到着するまで、琴子と直樹はホテルの庭園を散歩することになった。

直樹が歩くとすれ違う人々の視線が集まる。
「あ、あの…。」
思い切って琴子は口を開いた。直樹が足を止め振り返った。
美しい目に見つめられ、琴子は思わず目を伏せた。
「何?」
「あの、突然の…お話で…直樹さんはどうお思いかと。」
突然の縁談に戸惑っているのは自分だけじゃないだろう。直樹はどう思っているのか琴子は訊ねてみたくなった。
「進めてもいいと思っているけれど?」
直樹からの返事に琴子は驚いた。なんと相手は乗り気ではないか。
それはなぜだろうか。琴子は考えた。
――こんな可愛い人を妻に迎えられるなんて幸せだし。
「…なあんて言われたりして。」
そんなことを勝手に想像していた琴子に、直樹は続けた。
「これで面倒事から逃げられるしな。」

「…はい?」
琴子は耳を疑った。
「面倒?」
相手を見ると、いたって直樹は真面目な顔である。どうやら冗談ではないらしい。
「あちこちから縁談が来て、断るのに面倒だったんだ。あんたと結婚すればもう縁談は来ない。面倒なことから逃れてやっと周囲が静かになる。」
「あ、あんた?」
この綺麗な顔から「あんた」呼ばわりされてしまった。琴子は信じられない。
「け、結婚はそういうものじゃないでしょうが!!」
琴子は思わず大声を出してしまった。散歩をしていた人々が何事かと見つめる。
「はあ?」
何を言っているのかと直樹は琴子を見た。
「結婚というものは、この人とならば生涯を共にできるという人とするものでしょう?面倒から逃れるためにするものではありません!」
「…驚いた、今時そんなことを言う人間がいたのか。」
直樹は意地悪く言った。
「あんた、もしかして俺が“こんな美しいお嬢さんを妻にできるなんて幸せだ”と思って結婚すると考えた?」
「うっ!」
言い当てられた琴子は顔を赤くした。
「悪いけど、そんなことちっとも思ってないから。」
「じゃあ、断ればいいじゃないの!」
琴子は言い返した。
「それは無理。」
「何でよ?」
「両親が乗り気でね。説得するのも面倒。」
「面倒面倒って、あなたはやる気があるわけ?」
「無駄なことに時間を割きたくないだけ。」
人生の一大事を決める結婚ということを「無駄なこと」と言い捨てる直樹に、琴子は呆れ果てた。
こんな人と結婚しなければならないのだろうか?
一緒に暮らすなんて無理である。もう我慢ができない。

「お父様!!」
直樹を置いてホテルに戻った琴子は、すぐに父に結婚を止めることを告げようとした。
しかし――。

「まあまあ、何て可愛らしいお嬢さま!」
一人の女性の登場で、琴子は次の言葉が口から出なかった。
「こんな可愛らしいお嬢さまを当家に迎えられるなんて、何て素晴らしいのかしら!」
入江侯爵夫人の紀子であった。どうやら紀子は一目見て琴子を気に入ってしまったらしい。
「まるで華宵の絵から抜け出してきたかのよう!」
「は、はあ…。」
紀子の興奮ぶりに、琴子は何も言えなかった。

「ああ、直樹さん!このお話進めてよろしいのよね?」
後から現れた直樹に、琴子を抱きしめたまま紀子が確認する。
「ええ、いいですよ。」
返事をした直樹を琴子は睨んだ。が、直樹は無視した。

こうして琴子は入江家へ嫁ぐことになってしまったのだった。





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 |  2012.09.15(Sat) 23:14 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.09.15(Sat) 23:38 |   |  【コメント編集】

またまた面白いお話が始まりますね〜!
kazigon |  2012.09.16(Sun) 00:04 |  URL |  【コメント編集】

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 |  2012.09.16(Sun) 00:25 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.09.16(Sun) 20:52 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.09.16(Sun) 23:33 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.09.17(Mon) 22:42 |   |  【コメント編集】

佑さん、ありがとうございます。

お返事遅くなって申し訳ありません。
そうなんです、今回は結婚からスタートです。
二人が真実の夫婦になれるか、それともそのまま~なのか。
楽しんでいただけたらと思います。
水玉 |  2012.09.22(Sat) 21:04 |  URL |  【コメント編集】

おばちゃんさん、ありがとうございます。

お返事遅くなって申し訳ございません。
お母様、落ち着かれてよかったですね^^
今日は急に涼しくなったりして、健康でも体が気温においつかなくて体調崩しそうです。
ご病人や妊婦さんは尚更、大変でしょうね。どうぞお健やかにお過ごしいただけたらと願っております。
水玉 |  2012.09.22(Sat) 21:05 |  URL |  【コメント編集】

kazigonさん、ありがとうございます。

面白いと最後まで思っていただけるよう、頑張りますね!
水玉 |  2012.09.22(Sat) 21:06 |  URL |  【コメント編集】

anpanさん、ありがとうございます。

ありがとうございます!
時代物お好きだとおっしゃっていただけてうれしいです!
水玉 |  2012.09.22(Sat) 21:07 |  URL |  【コメント編集】

茉莉花さん、ありがとうございます。

茉莉花さんも時代物お好きなんて、ありがとうございます!!
そうだった、この時はタイトルが未定だったんでした(笑)
一度使ってみたかった言葉をタイトルに持ってきてみました♪
水玉 |  2012.09.22(Sat) 21:08 |  URL |  【コメント編集】

ら~ゆさん、ありがとうございます。

そうなんです!
私も袴姿の琴子ちゃんをもう一度書きたくて!今回は頑張って女学生を続けてもらっております。
私の中でもはいからさんは名作ですよ。母が集めていたんです。
ちなみに今でも親子で話題になるのは…印念中佐&牢名主さん(笑)
水玉 |  2012.09.22(Sat) 21:10 |  URL |  【コメント編集】

紀子ママさん、ありがとうございます。

うう…本当に幸せ者です。ありがとうございます!
いつも紀子ママさんからは優しい言葉をいただいて、どんなくだらないネタも拾っていただいて、ゴルゴまでお付き合いいただけて…感謝してもしきれません!
そうなんです、入江くんは冷たそうで優しいんですよ。その優しさを表現するのが下手なので、琴子ちゃんになかなか通じないのです。
水玉 |  2012.09.22(Sat) 21:12 |  URL |  【コメント編集】

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