日々草子 マドモアゼル・カメリア 21

マドモアゼル・カメリア 21







それから少しの後、直樹は病院に復帰した。
大泉家との婚約解消については誰も訊ねてこなかった。それは直樹にとって助かることだった。
むしろ周囲は、婚約解消によって「華族」というつながりを別にして直樹を見てくれるようになった気がする。あれだけ嫌味を言っていた先輩医師たちも最近は直樹の実力を素直に認めるようになったのは災い転じて福となすといったところだろうか。
そんな中、直樹を病院に尋ねてきた人間がいた。

「…お仕事中にお邪魔して申し訳ございません。」
ベージュのワンピースに身を包んだ沙穂子は伏し目がちに直樹に謝った。
「…こんなところに来て、おじい様に怒られますよ。」
直樹の口からは優しい言葉はでなかった。平民に下った直樹とかかわりを持つことは大泉侯爵から禁じられているはずである。
病院内で話をすることも憚られたので、仕方なく直樹は沙穂子を病院内の庭へと案内した。

「琴子さん…お元気になられたみたいでよかったですね。」
ベンチに座った沙穂子が言った。
「あの…琴子さんが病気になったことは私にも一因があります、きっと。」
「…。」
直樹は何も返事をしなかった。
「私、琴子さんにお願いしたのです。直樹様を取らないで下さいって。その後、祖父も同じようなことを琴子さんに話したようです。」
沙穂子、そして大泉侯爵と二人から言われれば琴子があのような行動を自分に取った理由も納得できた。
「祖父が何をしたか、薄々は気づいていました。それはおそらく琴子さんのことを深く傷つける行為だったことでしょう。琴子さんに何とお詫びしていいか。許してくれなんて甘いことは申し上げられません。」
「…でしょうね。」
自分でも冷たいと思ったが、もう少しで琴子は危なかったし父の秘書も危ない目に遭った。そこで「気にしないで」などと軽々しくは言葉にできなかった。
「琴子さんからは何も?」
「ええ。彼女は何も俺に話していません。」
「そうですよね。琴子さんは…そういう方だと思います。」
数度会っただけだが、沙穂子は琴子がどういう人柄か分かっているかのようだった。

「今日はそれを話すためにいらっしゃったんですか?」
これではまるで「用が済んだら早く帰れ」と言わんばかりだった。
「…。」
沙穂子は直樹の冷たさにまた俯いてしまった。

「教えて…いただきたいことがあります。」
「俺が?」
「はい。」
それまでずっと直樹の目を見なかった沙穂子が、ここで初めて顔を上げその目を見た。相変わらず美しい女性だとさすがの直樹も思わずにいられない。
「なぜ、直樹様は琴子さんを選ばれたのでしょうか?」
「それは彼女を愛しているからです。」
驚くくらい、率直な理由が口から出て直樹は驚いた。
「私ではだめな理由を教えていただけないでしょうか?」
沙穂子も引き下がらなかった。このようなことを訊ねることなど恥ずかしくてできない、深窓の令嬢育ちの沙穂子が必死で勇気を振り絞っていることは直樹にも分かった。

「…彼女は俺の生き方を認めてくれました。」
「生き方…それはお医者様をされることですか?」
直樹は頷いた。
「家族と親友以外で、俺が医者という職業に就いたことを認めてくれたのは彼女が初めてでした。それだけではなく、俺の仕事に影響を受けて看護婦になりたいと思ってくれました。俺はそれが何より嬉しかったんです。」
「では…私がもし、看護婦になりたいと申し出たら直樹様は私を見て下さいましたか?」
沙穂子が看護婦?直樹は思わず笑いそうになった。しかし相手は真剣である。笑うのを何とか堪えて答えた。
「そのようなこと、侯爵はお許しになるわけがない。それにお嬢様には難しい仕事ですし。」
「分かっております。私には務まりません。」
沙穂子は言った。

「では、看護婦でしたらどなたでもいいということに…なりませんか?」
沙穂子にしては意地悪な質問が出てきたと、直樹は思った。
「ご自分のお仕事を認めてくれて、お手伝いもしてくれる。そのような方でしたら誰でもよろしいということにならないでしょうか?」
「なりません。」
直樹はきっぱりと答えた。
「別に彼女が看護婦になると言ったから、仕事を手伝ってもらえると思って結婚したいわけではありません。」
「何だかおかしいですわ、直樹様。」
おかしいと言いながらも沙穂子は笑っていなかった。
「琴子さんが看護婦になるから結婚されることとは違うのですか?」
「俺が守ってやりたいと思ったからです。」
直樹は沙穂子を見た。
「彼女は一人でいつも頑張ってきました。父親との暮らしを支えるために芸者をやりながら店も手伝い、そして看護婦の勉強も始めた。弱音一つ吐くことなくいつも笑顔しか俺に見せなかった。そんな彼女の傍にいて支えたい、守りたいと思ったんです。俺がそう思うのは世界中で彼女だけです。そして…。」
「そして…?」
沙穂子が直樹の次の言葉を待つ。
「俺も彼女に支えてほしいと思いました。彼女が傍にいれば俺は怖いものなど何もない。隣を見たらいつもそこにいてほしいんです。」
直樹の話を聞いて、沙穂子はまた俯いてしまった。もう自分が入る余地は直樹の中には何一つないと悟ったのかもしれない。

「…私も直樹様にそんな風に思われたかったです。」
沙穂子から消えそうな声が聞こえた。
「直樹様。」
沙穂子は直樹の名前を呼んだ。
「私も…琴子さんのような境遇だったらあなたに想いを寄せていただけたでしょうかと考えることは愚かなことなのでしょうか。」
「愚の骨頂」と直樹は冷たく言い放ちたかった。琴子のような境遇だったら愛されたか?そのような境遇で自分が生きていけると思っているのだろうか。芯の強さからたくましさまで、琴子と比べるに及ばない。
だがここまで沙穂子が口にしたということはきっと恐らく、自分でも間違っていると分かっているに違いない。賢い沙穂子がそれを分からないはずはない。だからそこを責めることで沙穂子をこれ以上傷つけることはやめることにした。

「帰ります。お邪魔いたしました。」
「…お元気で。」
もう二度と会うことはないだろうと思いながら、直樹は沙穂子の後ろ姿を見送っていた。



病院の門前に待たせていた車に乗り込もうとした沙穂子の目に、今一番会いたくない人物が飛び込んできた。
「あ…。」
相手も沙穂子に気が付いたらしい。足を止めた。それは琴子だった。
沙穂子は車に乗らず琴子をじっと見つめていた。前に会った時よりも少し痩せたようだがこれは病気で臥せっていたからだろう。頭の上には可愛らしいリボンを飾り、そんなに高価なものではない着物に身を包み胸には大事そうに風呂敷包みを抱えていた。
琴子は沙穂子に向かって一礼した。沙穂子は頭を下げるべきだと思ったが、それができなかった。
「お嬢様?」
ドアを開けている運転手が乗ろうとしない沙穂子を心配している。
結局、沙穂子は琴子を無視する形で車に乗り込んでしまった。



「あの…侯爵様のお仕事は大丈夫でしょうか?」
教本を膝の上に広げたものの、琴子の口から出てきたのは勉強ではないことだった。
「侯爵って俺の父のこと?」
「その…大泉様とのことで何か起きてないかと思って。」
「…彼女に会ったのか?」
沙穂子が帰ったタイミングを考えると琴子に遭遇することは予想のつくことだった。
すると琴子は頷いた。
「もし、私のことで侯爵様のお仕事にご迷惑が掛かっていたら…。」
「そしたら、俺との結婚は白紙に戻すってか?」
琴子から返事はなかった。
「お前はそんなこと気にしないでいいって言っただろ?」
直樹は拳で軽く琴子の頭を小突いた。
「それとも何だ?父上のために俺と別れるか?お前が望むならそうしたっていいけど。」
自分のことよりもやはり周囲を気遣う琴子に意地悪なことを直樹は口にする。
琴子は返事の代わりに直樹の白衣の腕をぎゅっと掴んだ。それは「いやだ」という意味に直樹はとれた。
「大丈夫だよ。うちは何の影響もない。それにお前と別れることになってみろ。んなことしたら俺は両親に家を追い出される。」
入江家の両親はまだ結婚もしていないうちから自分たちのことを父、母と呼んでくれと琴子によく言っていた。だが遠慮深い琴子はまだそう呼べずにいた。とにかくそれくらい、重樹と紀子は琴子を可愛がっている。

「そんなことより勉強だ、ほら本を開いて。」
「はい。」
今日琴子が病院に来たのは、直樹の時間が空いている時に勉強を見るためだった。すっかり健康を回復した琴子は家の負債も渡辺の尽力で片付いたこともあり、芸者稼業をやめ看護婦の勉強に専念することになったのである。遅れた分を取り戻したいという琴子の意向で直樹がこうして空いている時間を利用して勉強をみていた。

「あの、先生?」
「何?」
「その…私が五十歳、六十歳になっても先生、お嫁さんにしてくれますか?」
「は?」
何をいきなり言い出すのかと、直樹は琴子の顔を見た。
「だって私、覚えが悪くて。このままだと看護婦になるのがそれくらいになりそうなんだもん…。」
直樹と琴子が結婚するのは、本人たちの意向もあり琴子が看護婦になってからという話になっていた。
「先生、それまで待っていてくれますか?」
真剣な琴子の顔に、直樹は思わず笑ってしまった。
「…どうしようかな。」
「へ?」
てっきり「待っている」という優しい言葉が返ってくると期待していた琴子は驚いた。
「俺も男だからな。五十、六十の婆さんよりも若い女の方に目が行きそうだし。」
「そんなあ…。」
琴子は今にも泣きそうな顔になった。直樹はプッと思わず噴き出してしまった。
「冗談だよ。そんなことにならないよう、ほら、集中しろ。」
「…待っていてくれます?」
「お前が五十、六十だと俺も五十、六十だよ。爺さんを相手にする若い女がいるか。」
「…よかった。」
「だからといって安心してさぼるなよ。俺は気が短いんだ。そんな長いこと待っている自信はない。」
「は、はい!」
琴子は慌てて教本に目を向けた。



「…それじゃ、今度は水曜日が俺の休みだから。その時にうちで。」
「はい。」
短い授業を終え、琴子は丁寧に教本を風呂敷に包んだ。
「しかし、家だと母上がなあ…。」
直樹は眉をひそめる。勉強の邪魔はしてこないものの、何かと二人を構いたがる母紀子が直樹には悩みの種だった。

「かといって、他に勉強できる場所はないし。まさか待合旅館でやるわけにもいかねえしな。」
「ま、待合!?」
つい洩らした直樹の一言に琴子の顔が真っ赤になった。
「何、お前意味分かるの?」
奥手だと思っていた琴子の様子に、つい直樹の意地悪が炸裂し始める。
「そ、そんな…行ったことはないですけれど。」
ここで行ったことがあると言われたら、直樹は相手の男の名前を聞き出し一発殴りに行くところである。
「待合なら静かだし邪魔は入らないから、勉強にもってこいだろうけどな。お前が希望するならそれでもいいぜ?」
「いえ…そんな滅相もない!!」
真っ赤になりながら手をブンブンと振る琴子。
「まあ、別のことしそうだけど。」
「ベ、別って!そんな、まだ結婚もしてませんし!大丈夫です、先生のお宅で十分ですから!」
本気で主張する琴子に、直樹は声を上げて笑い出してしまった。
「冗談だよ。俺だって結婚するまで待つことはできるから。まあ、楽しみは先にとっておくのも悪くないしな。」
「先生って…好きなおかずとか最後に食べるでしょう?」
からかわれて少し膨れ気味の琴子が、直樹をじとっと見上げた。
「ご名答。だからお前のことも最後まで楽しみに待っておくから安心して勉強に励んでくれ。」
紀子も自分たちの結婚をそれだけ喜んでくれているということで、ここは我慢するしかないかと、また赤くなっている琴子を見ながら直樹は思ったのだった。






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水玉さん、更新ありがとうございます。

沙穂子さん、自分と琴子ちゃんを比べ、嫉妬に苦しんで、、、答えがほしくて入江くんを尋ねてきたのね。
「では…私がもし、看護婦になりたいと申し出たら直樹様は私を見て下さいましたか?」
なれないことは分かっていても入江くんに聞かずにいられなかったのでしょうね。
でも、琴子ちゃんが医者(生き方)を認めてくれたからと言っても、
華族の沙穂子さんにはそれが入江くんにとってどんなことか分かることができないような気がしました。
この時代にそれができることが、琴子ちゃんのすごさなんですものね!
入江くんが、支えたい守りたい、支えてほしい琴子ちゃん。
沙穂子さん、結果琴子ちゃんを命の危機に陥れた一人だし、あの時の琴子ちゃんに対しての沙穂子さんは、美しい外見の中に、冷酷な大泉侯爵と変わらない冷たさがあり、そこも琴子ちゃんとの大きな違い。
沙穂子さん、気が付いているようで気が付いていないように思えました。
それを、沙穂子さんが早く気が付くことができたらいいなと思いました。

今日のツボ~~♪
☆“相変わらず美しい女性だとさすがの直樹も思わずにいられない”
一応普通の感想はもつんだっ!(笑)
そして、琴子ちゃん(好きなおかず笑)を、
“我慢するしかないかと”自分に言い聞かせている、
普通の男入江くんでした!(笑)

水玉さん、今日もありがとうございました!!!

No title

お嬢も一生懸命だったのね・・・・ふぅぅっ
後半の直樹さんと琴子ちゃんの、ほっこりとしたやり取り
なんだかうれしくなりました♪

こうして更新される水玉さんのお話を読むことが出来、本当にうれしいです♪
いつもありがとうございます。
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

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御訪問ありがとうございます
このブログについてのお願い
当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

コメント及びメールなどでの苦情及び批判は公開、非公開を問わず、私へ告げることはご遠慮いただけますよう、お願い申し上げます。

このブログ及び掲載されている話が嫌いだと思われたら、黙ってあなた様の中から、このサイトの存在を消去していただけますよう、お願い申し上げます。

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