日々草子 マドモアゼル・カメリア 15

2012.04.27 (Fri)

マドモアゼル・カメリア 15

私と母へのお気づかいの言葉、本当にありがとうございました。
母が痩せたのはまあ仕方ないとして、なぜか私まで3キロ近く痩せました(笑)病院へ通うことがいいウォーキングになったのかもしれない…(それだけ運動不足だったということでもありますが)

とりあえず私は元気ですのでご安心を!

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【More】









「お嬢様はもうこちらにはいらっしゃいません。」
置屋のおかみの物言いはにべもないものだった。
「…もう落籍れておしまいになりましたので。」
「本当ですか?」
直樹はおかみに聞き返す。
「ええ、それはもういいお話でございましたから。」
「しかし、彼女については預かっているだけだと言っていたような気がしましたが?」
「それはそうでしたけど、お嬢様がぜひにと乗り気でおいででしたからね。」
前はあんなに直樹に愛想のよかったおかみは、今日は目を合わせようともしない。
「このような場所へおいでになってよろしいのですか?御婚約されたばかりでしょうに。」
おかみは嫌味を直樹へぶつけてくる。
「心配無用です。」
「まあ、御理解のある奥様をおもらいになるのですね。」
おかみの態度には直樹に対する怒りが滲みでていた。

「彼女を落籍したのは、西垣という御仁でしょうか?」
以前日比谷公園で会った眼鏡の男性を直樹は思い出しながら、訊ねた。
「お答えできません。」
自分と琴子の仲を理解してくれていたら答えてくれるかと思ったが、さすがにそこは花柳界で長年生きてきた人間である。
「とにかく、お嬢様がお幸せになられることは間違いないかと思います。」
琴子と最後に会ったのはいつだっただろうか。あれからすぐに落籍されたと考えて…今頃琴子は自分じゃない男に愛されているのかと思うと、直樹の腹の中が煮えくり返ってくる。

渡辺に指摘されて、直樹はやっと琴子を愛していたことに気がついたのである。それはもう遅すぎたのかもしれない。

結局、琴子が落籍された先も分からないまま直樹は置屋を後にするしかなかった。
琴子の父の店へ出向こうか迷いながら歩いている時だった。
「あの…入江先生。」
普段着の着物に身を包んだ女性が直樹を呼び止めた。直樹は一瞬誰だか分からなかったが、
「琴次ちゃんが酔いつぶれた時に…。」
と言われ「ああ」と思い出した。直樹が琴子と出会って間もない頃、酔いつぶれた琴子を介抱した時に傍にいた、琴子の朋輩芸者だった。
「あの…御婚約されたと伺いましたが。」
「ええ、まあ…。」
祝いの言葉でも述べられるのかと思い直樹はうんざりとした気分になった。しかしそれは違っていた。
「…琴次ちゃん、気が付いたらいつも本を読んでいたんです。」
「本を?」
芸者は頷く。
「何を読んでいるのかって聞いたら、看護婦さんになるための勉強だって笑ってました。」
「看護婦の勉強…。」
「勉強しているけれどなかなか前に進まないんだって。でも教えて下さる先生が優しいから頑張るって。何年かかっても看護婦になりたいって。」
「あいつが…。」
そんなことを琴子は話していたのかと、直樹は胸が熱くなった。
「その先生って入江先生じゃありませんか?」
芸者の問いかけに直樹は黙って微笑んだ。
「…そんなに本を読んでたのか?」
「はい、それはもう暇を惜しんで。お座敷とお座敷のちょっと空いた時間にも。」
そんなに看護婦に本気になりたかったのかと、直樹は琴子を思う。

「琴次ちゃん、おかみさんに嘘を合わせてくれるよう頼んだんです。」
「嘘?それはもしや…。」
「はい、琴次ちゃんはどなたにも落籍れてません。」
やはりそうだったのかと、直樹の胸が喜びで溢れる。琴子は他の男のものになっていなかったのだ。
「私、聞いてしまったんです。」
「聞いた?何を?」
「実は…。」
芸者が話そうとした時だった。
「…何を話しているの?」
背後から聞こえた声に、芸者の体がビクッと動いた。
「おかみさん…!」
「芸者がそんなにおしゃべりでどうするの!」
「すみません、おかみさん。でも…!」
「俺が無理に訊ねたんです。叱らないで下さい。」
直樹が芸者を庇うと、おかみはあきらめたかのように溜息をついた。
「まったく。」
「だっておかみさん!あれじゃ琴次ちゃんが可哀想です!」
「いいから、あんたはあっちへ行きなさい。」
おかみは芸者に戻るよう促す。芸者は後ろ髪を引かれるような顔で戻っていく。

「…入江先生。」
おかみが直樹を見た。
「お嬢様は先生に嫌われるように仕向けられたんです。そうしないと…先生をあきらめることができなかったからです。」
「…分かってます。」
「先生にもご事情がおありでしょうから、あれこれ申し上げません。ですがお嬢様のお気持ちだけはできればお忘れにならないでくださいまし。お嬢様は本当に一途に先生を想っておいででした。」
おかみは一礼すると、帰って行った。そのぴんとした背中を直樹はずっと見つめていた。



もう迷いは直樹にはなかった。
琴子は誰のものでもなかった。自分を一途に愛してくれていただけだった。そしてそれは自分も同じだった。
すぐにでも琴子に会いに行きたかった直樹だったが、医者としての仕事がそれを許さなかった。
同僚たちが風邪で相次いで倒れてしまい、直樹が何人分も働くことになってしまったのである。
沙穂子に会うことも避けられそれはそれで助かっていたが、琴子に会いに行く日が一日、また一日と過ぎていってしまった。



漸く直樹が解放されたのは、おかみから話を聞いた日から二週間も過ぎていた。
大泉家にはどのタイミングで婚約解消を切りだせばいいかと考えつつも、まずは琴子に会いお互いの気持ちを伝えあうことをしたいと直樹は思っていた。



「直樹くん、今帰りか?」
久しぶりに家に戻ろうとしていた直樹の傍に高級車が止まった。中から顔を覗かせたのは大泉侯爵だった。
「家まで送ろう。」
直樹の返事も聞かず、侯爵は車のドアを開けた。直樹は逆らうことはできないことを悟り乗り込んだ。

「沙穂子が君を心配しておる。家にもなかなか戻れなかったそうだね?」
「そうですね。でも慣れていますから。」
「君は慣れていても沙穂子は慣れておらんからな。でもまあそれももう少しの辛抱といったところだな。」
侯爵は直樹がもうすぐ医者をやめることを楽しみにしていた。
直樹は今こそ婚約解消を切りだす機会ではないかと思った。

「…まさか、別の女のところへしけ込んでいたわけじゃないだろうね?」
直樹が切り出すより先に侯爵が口を開いた。
「まさか。」
何を言っているのかと直樹は笑ったが、次の瞬間その顔が凍りついた。
「…あの芸者のことだったら若気のいたりということで済ませておけるし。」
「あの芸者…?」
直樹は隣の侯爵の顔を見た。侯爵は前を向いたままだった。

「…侯爵が手を回したのですか?」
「そんな大層なことはしとらん。ただわしは孫娘のために骨を折ったまでだ。」
その骨を折るという行為が一体何をしたものなのか。恐らく琴子の元へ行き脅しをかけたのだろう。直樹には容易に想像がついた。
「あなたにとって大層なことではなくとも、相手にとっては人生を左右されることなんです。」
直樹は努めて冷静に話した。
「どちらにしろ、あの芸者は君から離れた。そして君は婚約をした。それで十分だろう。」
「婚約は解消します。」
丁度よかった。事情も分かったことだし今ここで解消してしまおうと直樹は思った。
「後で正式に伺います。」
車を止めるように直樹は侯爵に言った。侯爵は運転手に車を止めさせる。

「…婚約は解消しない。」
車を降りようとした直樹に侯爵が冷たく言い放った。
「解消します。私は沙穂子さんと結婚する気持ちは全くありません。愛情もありません。」
「…そんなこと言っていいのかね?」
「はい?」
「大泉家の力をもってすれば…店一軒くらいつぶせることをお忘れかな?」
「店…。」
直樹の顔色が変わる。
「琴子だけではなく、その親にまで?」
「…それだけ入江直樹という男に価値があるということだ。」
「俺を何としてでも手に入れたいということですか?生憎ですがそれほど大した男ではありません。」
「わしが認めている。」
「私はただの医者です。もっと優れた人物を孫婿に選ぶべきです。私はあの店と琴子を守ります。相原家を守ってみせます。」
「どうやってだね?」
直樹の宣言にも侯爵は全く怯まなかった。
「君は今、自分はだたの医者だと言った。ただの医者がどうやって守るつもりなんだね?」
「それは…。」
「君の類稀な頭脳でか?いくら優秀でも財力、権力は君にはない。」
確かにその通りである。直樹には何の権力もない。
「それとも…父上に頭を下げるかね?事業を継ぐことを蹴って更に悲しませることをするかね?」
その言葉は直樹の痛いところを突いたものだった。医者になりたいと言った時にも快く応援してくれた両親だったが、心の中では家を継がないことにがっかりしていたに違いない。
そんな両親を悲しませる、それは直樹にはできないことだった。

「…早く辞表を書きたまえ。」
大泉侯爵はそう言い残し、去って行った――。



渡辺が入江家を訊ねてきたのはそんな頃だった。

「今日は仕事の話だ。お前から受けた依頼。」
「依頼?」
「相原家の借金問題。」
直樹の部屋で、渡辺は革の鞄から書類を取り出した。
「お前の考えどおり、もう借金は全て返済し終えていたよ。過払い分は俺が交渉して返金してもらった。もう相原家は借金で苦しむことはない。」
「そうか。よかった。」
相原家から金銭問題がなくなっただけでもいいことだと、直樹は思った。

「結婚式の準備、進んでいるのか?」
もはや渡辺も沙穂子との結婚については何も言わなかった。直樹と対等に付き合えるだけに渡辺も頭はいい。おそらく大泉家が何らかの圧力をかけてきていることを察しているのだろう。
「…まあな。」
直樹は机の引き出しから招待状を出し、渡辺に渡した。
「辞表も出したが、院長がまだ保留にしている。来週には何とか認めてもらえるよう頼むつもりだ。」
「そうか。」
受け取った招待状の封を開けることもせず、渡辺は鞄の中にしまった。
「式が終わったらすぐに出発することになっている。」
「新婚旅行と赴任、一石二鳥ってやつか?」
「そうかもな。」
口では冗談を言っているが二人とも笑わなかった。



「それじゃ、俺はこれで。」
「ああ、報酬は後で…。」
「いらない。俺からの祝儀だ。」
祝儀と言っているが、それはきっと直樹を憐れんでいるのだろう。

「入江…。」
玄関まで送りに出た直樹を渡辺はまじまじと見た。
「何だ?」
渡辺は口を開こうとしない。何かを言いたいらしいが直樹には分からない。
「言わないでおいた方がいいかと思ったのだが。」
「ん?またお前のお叱りを俺は受けるのか?」
直樹は渡辺の気持ちを解そうと、そんなことを言った。
「…琴子ちゃんのことなんだけど、な。」
「それはもういい。」
琴子の名前を聞いただけで、直樹の胸はかきむしられるようになる。
「もうあいつのことは…。」
「違うんだ。日本を離れる前に一度会っておいた方がいい。」
「…どういうことだ?」
渡辺は目を伏せて口を開いた。
「琴子ちゃん…ずっと寝込んでいるんだ。食事も受け付けなくて起き上がる力ももうないんだよ…。」



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