日々草子 マドモアゼル・カメリア 10

マドモアゼル・カメリア 10




琴子の入江家通いもすっかり慣れたものとなった。
訪れる度に紀子が両手を広げて歓迎してくれる。
「あの、これお口に合うか分かりませんが父がぜひにと。」
いつもおいしいお菓子をたくさんお土産に持たせてくれる紀子にと、重雄が煮物を作ったのだった。
「まあ、何ておいしそう!」
会う回数を重ねるにつれ、資産家の侯爵夫人らしからぬ親しみやすい人柄の紀子が琴子は大好きになっていた。

「私も琴子ちゃんのお座敷にお邪魔したいわ。」
勉強終了後のお茶の時間、何気ない紀子の言葉に琴子はお茶を噴き出しそうになった。
「どんなに可愛らしいでしょうね、芸者さんの琴子ちゃん!」
「あ、あの…。」
琴子は直樹に目で説明を求める。一体どうして紀子は、琴子が芸者をしていることを知ったのか。
「成り行きで話した。」
あっさりと直樹が白状した。
「成り行きって!」
紀子には琴子の家は没落した伯爵家だということは話してあった。しかしさすがに芸者をしていることまではどうしても話せなかった。いくら紀子が気さくな人柄であっても躊躇われたのである。

「ずるいわねえ。直樹さんだけ独り占めして。今度は絶対、私もついて行きますからね!」
「父上に許しをいただけたらどうぞ。」
「そんなこと簡単よ。お父様は私のすることに反対されたことありませんから。」
これ見よがしに大きく溜息をつく直樹に、まだ驚いたままの琴子。そして一人無邪気なのは紀子である。
「私も数年前だったら芸者さんになれたかもしれないわ。」
「数十年前の間違い…痛えっ!」
口を挟んだ直樹の脛を紀子が蹴とばす。
「つきあってられない。」
直樹はとうとう席を立って退散してしまった。



「全く、あの子はああやっていつも飄々としているのよね。」
紀子が本日のデザートであるイチゴタルトを口にしながら呟いた。
「何か人とあまり深く付き合わないようにしているような感じで。きっと色々周囲にうるさく言われているのね。」
あの性格なので直樹が何も言わないことは琴子にもわかった。それなのに事情を薄々感づいている紀子はやはり母親である。
「だからこうして琴子ちゃんを連れて来てくれたことがうれしいのよ。」
紀子は琴子に笑いかけた。
「直樹さんが人のお世話をするなんて、夫と一緒に喜んでいるのよ。」
そう言われ琴子ははにかんだ。

「直樹さんはね…。」
本人がいないのをいいことに、紀子が話し始める。
「何でも一人でできちゃう人だったの。高校も一高へ進学すると突然言い出して私たちを驚かせて。成績は昔から一等だったから合格するとは思っていたけれど、それでも今までいた世界から飛び出して苦労するのではないかと私たちは心配だったわ。」
琴子は興味深く紀子の話に耳を傾けていた。
「やはり色々あったみたい。成績は変わらず一等だったからいじめられるとかいうことはなかったみたいだけれど、変わり者扱いされていたことは間違いないわね。」
「渡辺先生ともその頃知り合われたと伺いましたが?」
先日銀座で会った時、渡辺が直樹とは一高で知り合ったと言っていたことを琴子は思い出していた。
「ええ、そうなの。渡辺さんとは気が合うみたいね。家にもよく遊びにいらしてたわ。直樹さんがあちらへ伺うこともあったし。」

―― 入江と俺は同じ華族の出身ということの他に、お互い医者と弁護士をめざすという点で意気投合したんだ。華族の男子って無職か、それがかっこ悪いなら軍人というのがお決まりだったからね。でもそんな俺たちは周囲から変わり者扱いされてたよ。

そう笑っていた渡辺だった。二人とも人知れず苦労を重ねていたのだと、琴子はその時初めて知ったのである。

「お医者様になることも私たちは全く反対しなかったわ。ただね。」
紀子が少し寂しそうな表情を浮かべた。
「…もう少し私たち親を頼ってくれたらいいなと思うの。私たちはそんなに頼りがいのない親なのかしらって。」
「入江先生はお優しい方ですから。」
琴子がすかさず口にした。
「お優しい方ですから、ご両親に心配をかけたくないのだと思います。ご自分のことでご両親がお心を痛められることは、きっと先生にとって何より辛いことなんです。」
今まで黙っていた琴子が突然、堰を切ったように話し始めたことに紀子は少し驚いた顔をした。それを見て琴子は「あ」という声を出した。
「申し訳ございません。事情を知らない私が勝手なことを…。」
「いいえ、いいえ!」
紀子は琴子の手を握った。
「ありがとう。本当にいい子ね、琴子ちゃんは。」
紀子に笑いかけられ、琴子も笑い返したのだった。



渡辺の勤務する法律事務所は日比谷のビルの一室だった。

「悪いな、こんな時間におしかけて。」
病院からまっすぐこの事務所へやってきた直樹はまず、渡辺に謝罪した。
「いや、気にするな。まだ仕事中だったから。」
事務所で相手が親友ということで、渡辺は三つ揃えの背広を脱ぎシャツをまくった格好で、書きかけの書類を振って見せた。
「ただ、事務員はもう帰ったからお茶は出せないけれど。」
「気にしないでくれ。」
直樹は壁の時計を見た。夜の8時を過ぎている。渡辺は開業しているわけではなく、この事務所にはほかに弁護士が数名在籍している。だが皆帰ったらしく事務所には直樹と渡辺の二人だけだった。

「で、話って?」
応接用の部屋に入り、二人は向かい合って座った。
「入江家ほどの名家ならば顧問弁護士がいるだろ?俺のようなペーペーが出る幕はないんじゃない?」
からかう渡辺に直樹が笑う。
「あいつの家のことなんだけれど。」
「あいつって、琴子ちゃんか?」
直樹が「あいつ」と親しく呼ぶ人間は、現在一人しかいないことを渡辺は知っている。
「ああ。」
「となると、相原伯爵家のことか。」
「そう。相原家の負債を調べてほしいんだ。」
「負債を?」
琴子の家が決して豊かではないことは渡辺もよく知っている。だがそこまで直樹が立ち入るとは正直、驚いた。
「相原伯爵の店へ何度か行っているうちに、伯爵と親しくなったんだ。」
「へえ。」
「それでどうも話を聞いていると、返さなくてもいい分まで返している気がしてならない。」
「確かによくある話だ。」
「もしかしたら、借金自体もまだ整理できる余地があるのではないかという気がしてきたんだ。」
「で、それを俺に調べてほしいと?」
直樹は頷いた。
「お前が言うとおり、確かに俺の家にも顧問弁護士がいる。だが彼に頼むとなると…。」
「大泉家が動きを察する可能性があるってことか。」
「まあな。相原家を標的にされることだけは何としても避けたい。」
愛する孫娘のために非情な手段を大泉侯爵が取ってくることを、直樹はことのほか警戒している。
「入江家の弁護士はかなり有名な弁護士だもんな。確かに動くと目立つ。」
渡辺も直樹の考えに同調した。
「そしてできれば、俺の親にも迷惑はかけたくない。」
「またそれか。」
渡辺はクスッと笑った。
「お前の口癖だな。親には迷惑はかけないって。」
「悪かったな。」
高校時代からの直樹の口癖は今も全く変わっていない。

「お前に頼むのはそれだけが理由じゃない。」
直樹はテーブルの上で手を組んだ。
「何だ?俺なら親友価格で安くて済むとか?」
「できればそれも期待しているが、俺が知る限り、お前は一番信用できる人間だから。お前ならば相原家に一番いい方法を考えてくれると信じている。」
直樹の言葉に、渡辺はくしゃっと髪の毛を掻き上げた。
「…そこまで言われたら引き受けないわけにいかないな。」
もっともそこまで言われなくとも、琴子の力にはなりたいと考えている渡辺は最初から引き受けるつもりではあった。

重雄には直樹から話をそれとなくしているので、あとは予定を合わせて二人で尋ねることにする。


「ところでさ、入江。」
「ん?」
用件が済み、すっかりくつろいだ表情になった直樹は長い足を組み替えた。
「何でそこまで、琴子ちゃんのために骨を折るんだ?」
前から聞いてみたかったことを、渡辺は口にした。
「それは、借金を整理して少しでも暮らしにゆとりが出れば、あいつも芸者稼業を止めることができるんじゃないかと思って。」
直樹の口から返事がすぐに出た。
「そうすれば、看護婦の勉強に集中できるだろ?」
何を分かり切ったことをという顔で、直樹は渡辺を見る。
「琴子ちゃんが看護婦になることを、そこまでお前が熱心に面倒を見る理由は?」
最初の質問を渡辺は言い換えてみた。
「何でって…それは…。」
考える直樹。渡辺は直樹の答えをじっと待つ。
「…恩返しかな?」
「恩返し?」
「ああ。俺が尊敬する先生に紹介してくれたんだ。」
そこで直樹は、かねてより自分が尊敬の念を抱いていた医者に、琴子が重雄の店で引き合わせてくれたことを渡辺に説明した。

「恩返し…ね。」
渡辺はソファに深く身を沈める。
「それじゃあさ。」
「何だ?まだ何か?」
渡辺は頭の後ろで手を組み、親友の顔を見ながら口を開いた。
「たとえば、沙穂子さんがお前に尊敬する先生を紹介してくれたとして。」
「何でそこに沙穂子さんが?」
「まあいいから黙って聞けよ。沙穂子さんが紹介してくれた。そして沙穂子さんが看護婦になりたいと言い出したとする。お前は沙穂子さんに勉強を教えたり世話を焼くか?」
答えるより先に、直樹は噴き出した。
「そんなこと、絶対あり得ない。沙穂子さんが看護婦?考えられないぜ。」
「例えばって言ってるだろ?」
笑う自分とは違い、渡辺の顔は真剣そのものだった。それを見ているうちに、直樹は過去にもこんな質問のやりとりがあったことを思い出す。
あれは確か…。

――だったら、お前はもし渡辺に恩があったなら、あいつにもホイホイと水揚げされるのかよ。

あの時、どうして自分があのようなことを言ったのか今も直樹には理由が分からないままだった。
そしてその時と似た質問を今、自分が受けている。

「…とにかく、沙穂子さんはそういうことは絶対しない人だ。だから答えは考えられない。」

――渡辺先生はそんなことをされる方じゃありません。

あの時の琴子と同じような答えを直樹は口にした。

「渡辺。」
怪訝な表情で直樹は渡辺を見た。
「…質問の意図を教えてくれないか。」
渡辺はソファから体を起こし、直樹を見つめ返す。
「…悪い、職業病だな。」
眼鏡の奥の目が柔らかくなった。
「大したことでもないのに、人間を追及する癖がついてしまった。」
「…そうか。」
直樹はそれ以上、渡辺を問い詰めなかった。

――まだ、自分でも気づいていないのか。
帰り支度をする直樹を見ながら、渡辺は思った。あのままだったら直樹が琴子を好きだと言い放っていただろう。だがそれは渡辺にはできなかった。それを言ったところで直樹が否定することは目に見えている。
学業では教師、教授たちから天才と称されたこの親友は、恋愛面ではかなり遅れているのであった。



************

「…私は人を愛するという感情を持ったことがありませんでした。」
彼は話す。
「勿論、家族、友人に対する愛情はあります。ただ異性を愛するということを知らなかった。」
彼が話をしている間、客は誰も来なかった。それは本当に幸いだった。この話が途中で終わったらきっと私は一生後悔しただろうから。

「…小説の世界では愛とは誰かに愛されたいという強い願望だと描かれていました。私はそれをそのまま信じていました。だから彼女を愛していた自分に全く気が付かなかったのです。」
彼は恥ずかしそうに笑った。
「彼女に愛されたいと願ったことはありませんでした。ただ…彼女がずっと傍にいると信じて疑いませんでした。ずっと傍にいてほしい、その気持ちも愛の形だということを知りませんでした。」

そして彼は、花瓶に活けられた花に目をやった。それは普通のバラである。
いつの間にか、私と彼の間にはあのマドモアゼル・カメリアの写真が壁から外されて置かれていた。
「椿という花は…。」
彼は写真の中のマドモアゼルのキモノの下を、長く美しい指で指した。
「花びらが落ちるのではなく、花自体が落ちます。そこから首が落ちることを連想させると武家…サムライの家では植えることは避けらたくらいですから。」
「ほう、そうですか。」
こんなに美しい花から、そのようなことを連想するとは。日本人とは興味深いものだと私は思った。

「普通の花のように、花びらが少しずつ落ちれば…。」
彼は写真を見つめて言った。
「…私たちの間にこれから起きることの予兆でもあれば、あんなにひどいことにならなかったのにと思います。」
そう話した時、彼は「いや」と首を振った。
「私が全て愚かだったのです。私があの時の親友の質問をもう少し深く考えていたら、彼女をあんなに傷つけることにはならなかったのです。」


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プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

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当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

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