日々草子 マドモアゼル・カメリア 5

マドモアゼル・カメリア 5






「ったく、どういう勘違いをしているんだか。」
車の中で直樹は眉間に皺をよせて溜息をついた。
「それは先生が悪いんですよ!」
隣に座っている琴子が抗議する。
「“一晩体を貸してくれ”なんて言われたら、誰だってそう考えます!」
「じゃあ何て言えばよかったんだ?“一晩一緒に過ごしてほしい”とでも?」
「素直にパーティーに来てほしいって言えばよかったんですよ!」

直樹が琴子に言った「一晩体を貸してほしい」とは、直樹の家、入江家で開かれるパーティーに共に出席してほしいという意味だったのである。
「おかしいと思ったんだよな。」
数分前の出来事を直樹は思い出す。



************

この日直樹が琴子の家、相原家まで車で迎えに行く事になっていた。約束の時間通りに車は到着した。
相原家はさして広くはないが、和風の趣ある家だった。
直樹が玄関を開けようとしたら、中から年の頃60代くらいの和服姿の女性が姿を見せた。
「入江家からのお使いの方で?」
「入江直樹です。」
「まあ、ご本人様が!」
どうやら直樹が誘ったことは耳に入っているらしいが、まさか侯爵家の御曹司が直々に迎えに来るとは思っていなかったのだろう。女性は大層驚いた。
「先生、お待ちしてました。」
そこへ現れたのは琴子だった。今日は桜色の着物に、やはり共布で髪の毛を結んでいた。
「まあ、先生素敵!」
直樹は今日は燕尾服だった。
そして最後に現れたのが琴子の父、重雄だった。
直樹は重雄に琴子を連れ出すことについて丁寧に挨拶を述べた。

「娘を…頼みます。」
重雄の目には涙がうっすらと浮かんでいた。
「お嬢様をよろしくお願い申し上げます。」
どうやら女性は琴子のばあやらしい。そのばあやの目にも涙が浮かんでいる。
「はあ…。」
たかが少しの時間連れて行くのに、どうして涙をこぼさんばかりにしているのだろうと直樹はいささか不思議に思った。

「琴子…すまない、わしが不甲斐ないばかりに。」
「お父様ったら、それはもう言わない約束です。」
琴子が重雄を慰める。
「おいたわしや、お嬢様。」
「ばあやも、泣かないの。私は大丈夫だから。」
そう慰める琴子の目にもうっすらと涙が浮かんでいた。


琴子は車の中でも緊張していた。
「あの…先生?」
「何?」
琴子は直樹の耳元に口を近づけ囁いた。
「下着だけは新しいものにしてきましたから。」
「ああ!?」
直樹が目を白黒させている間に、車はとある店の前に止まった。
「じゃ、降りて。」
直樹に促され、琴子は車から降りる。
「今夜は洋装だからな。一応ここで…。」
「ちょ、ちょっと先生。」
店の中へ入ろうとした直樹を琴子が止める。
「あの、ここがそうなんですか?」
「何言ってるんだ、さっきから?」
「いえ、その…ここで私と先生、枕を交わすのでしょうか?」
「はあ!?」
赤くなっている琴子を見て、直樹は重雄やばあやたちの態度と琴子が何を考えているかに気がついた。

「まさか、お前…。」
「はい。」
琴子は頷く。
「あの、“一晩体を貸してほしい”ということはつまり、先生は私を水揚げされるってことなんですよね?」



************

確かにパーティーが目的と言わなかった自分にも非はあった。
「どうりでお父上やばあやが泣くわけだ。」
娘を妾にされると思い込んでいれば、泣きたくなるのも無理はない。
「帰ったらちゃんと訂正しておいてくれよな。」
「はあい。」
すっかり安心している琴子は、今度はドレス姿だった。先程寄った店で着替えたのである。
赤い色のドレスに、同じ色の椿の髪飾りがよく似合っている。

「でも私がお邪魔していいのですか?」
琴子は直樹に訊ねる。伯爵の娘とはいえ没落しており、芸者までしている身である。そのような自分が侯爵家に顔を出していいのかと心配だった。
「大丈夫だよ。お前は俺の傍にいればいいから。」
「はあ…。」
「俺一人だと、やたらと娘を紹介したがる親が近寄ってくるんでね。まあお前はあれだ、女よけってやつだ。」
「はあ…。」
「一応、両親には紹介しないとならないけれど。」
「え!それは…!」
「大丈夫。俺の両親は家柄や財産の有無で人を判断する人たちじゃないから。」
そんな話をしているうちに、車が入江家の門をくぐった。

「わあ…すごい大きなお屋敷!」
車から降りて琴子は入江家を見上げた。自分の家なんてこの家に何軒入ってしまうだろうか。ルネサンス様式の大邸宅に琴子は目を奪われる。

「行くぞ、こっちだ。」
「あ、はい!」
琴子はドレスにつまづかないよう、直樹の後ろを追いかける。

パーティーはこの邸の大広間で行われていた。大きな扉の向こうからにぎやかな声が聞こえる。
「ほら。」
入る前に直樹が手を出した。何だろうと思いながら、琴子は握手をした。
「違う!握手してどうする!」
「これから頑張ろうという意味かと。」
「お前をエスコートするってことだよ!」
「エスコート…。」
パーティーとは無縁の生活だった琴子の手を、直樹は自分の腕に琴子の腕を絡ませた。
そして二人の前の扉が大きく開かれた――。


ざっと見た所今夜の客は100人程度だろうか。
そのほとんどの客の注目が自分たちに集まる事を、琴子は痛いくらいに感じていた。
「どなた?」
その声が何回も耳に飛び込んでくる。着飾った美しい令嬢たちが直樹の隣にいる自分を探っているのである。
直樹はそれらの声を無視し、まっすぐ歩いていく。
「あそこにいるのが俺の両親だ。」
客と談笑していた男女が、自分たちに気がついた。と思ったら、二人とも喜びを露わにした。

「珍しい!お前が女性をエスコートしてくるなんて!」
「父上が出ろ出ろとうるさいからでしょう。」
温和な笑みを浮かべている、直樹より背の低い初老の男性が入江侯爵らしい。侯爵というからもっと厳格な人間を想像していた琴子は少し安心した。
「まあまあ!なんて今日はすばらしいのかしら!」
その隣にいるどこか直樹に似ている美しい女性は、直樹の母だった。
「あなた、直樹さんが女性と御一緒なんて!」
「本当に、こんな日が来るなんて!」
二人とも息子が女性を連れてきたことを素直に喜んでいる。

「俺の両親だ。」
直樹が琴子に両親を紹介した。
「こちらは相原琴子さんです。」
「はじめまして。相原琴子と申します。」
「はじめまして。」
「何て可愛らしいお嬢様なんでしょう!」
二人とも琴子の家のことなど全く訊かなかった。

まだ両親は客と話があるようだったので、一旦二人は前を下がった。
「直樹くん、こんばんは。」
下がったら下がったで、様々な客が直樹の元を訪れる。そしてその客は大抵娘を連れていた。
「娘がぜひ…。」
「申し訳ありません。今夜はこちらの御令嬢のエスコートをしておりますので。」
直樹はにっこりと笑って沢山の誘いを断る。琴子はハラハラしながらそれを見ていた。
「あの、私ならここでおとなしくしてますから。先生、どうぞあちらへ…。」
あまりに断ってばかりの直樹を琴子が気遣う。
「バカか、お前は。」
客たちへの愛想のよさはどこへやら、直樹はいつもの無愛想な顔に戻って琴子を見る。
「言っただろ?女よけを頼むって。」
「いや、でも…。」
断られてがっかりしている令嬢たちを見ていると、琴子はとても申し訳ない気分になった。
そこに新しい曲が流れ始める。
「踊るか。」
「はい!?」
「踊れば俺に相手がいることを見せつけられる。いちいち断る手間が省ける。」
「で、でも私はダンスなんて!」
「俺に合わせればいいさ。」
戸惑う琴子を強引に、直樹は踊りの輪の中心へと引っ張って行く。

踊り始めると、不思議と琴子の体が軽くなった。直樹のリードが上手なためか、適当に合わせれば様になっているようである。
しかし、変わらず羨望の視線を琴子は痛いくらいに感じていた。
無理もない。突然現れた自分が直樹を独占しているのである。そして琴子は今夜、華族の令嬢たちの間での直樹の人気のほどを実感していた。確かに独身で見目麗しい直樹に娘を嫁がせたいと親が思うことは無理もない。
踊りながら目をやると、直樹の父重樹と母の紀子が二人を嬉しそうに見つめている。
「言っただろ?俺の両親は細かい事を気にしないって。」
踊りながら直樹が囁いた。
「そうですね。」
琴子も笑った。あの両親に育てられたからこそ、直樹も好きな仕事ができるに違いない。

一曲踊り終えた後、直樹と琴子は引っ込んだ。途中飲み物を直樹は琴子へ渡してくれた。
「酒じゃなくジュースな。また応急手当はごめんだ。」
「あれはちょっとはしゃぎ過ぎただけですってば!」
意地悪な直樹の優しさに気付き始めた琴子が、ジュースに口を付けた時だった。

「直樹くん。」
「大泉侯爵…。」
現れたのは老人だった。
「久しぶりだね。」
「すっかりご無沙汰しております。」
老人はにこやかに直樹と挨拶を交わした。
「君が珍しく女性をエスコートしているものだから、うちの沙穂子が心穏やかではなくてね。」
「おじいさま、そんなこと失礼ですわ!」
大泉侯爵の後ろに控えていた女性が頬を染めて祖父を止める。
「直樹様、お久しぶりでございます。」
沙穂子と呼ばれた女性が直樹に挨拶をした。
「沙穂子さんもお元気そうで。」
直樹もにこやかに答える。
――綺麗な方…。
琴子は沙穂子の美しさに目を奪われていた。緩やかにカールした柔らかそうな髪、首にはダイヤモンドだろうか、豪華なネックレスが光っている。そしてドレスは薄い黄色だった。

「こちらはどちらの御令嬢かな?」
大泉侯爵は琴子を見る。
「その…。」
直樹が言葉につまった。没落した家の芸者ですなどと紹介できるわけがないだろうと琴子は心配になる。

「私の遠縁にあたる者です、大泉侯爵。」
突然聞こえた声に一同は振り返った。
「渡辺…。」
やって来たのは直樹の親友、渡辺だった。
「ほう、渡辺くんまで来ておったのか。」
どうやら大泉侯爵は渡辺の顔も知っているらしい。
「ご紹介がおくれました。私の遠縁にあたる者でして、こういう盛大なパーティーに出るのは初めてなので入江にエスコートを頼んだんです。」
にっこりと話す渡辺。
「そうかそうか。渡辺男爵家の親類筋だったか。それはどうも。」
「初めてのパーティーで入江ほどの男前にエスコートされれば、いい思い出になるかと思いまして。それだけです。」
大泉侯爵は渡辺の言葉を微塵も疑っている様子はなかった。
「ご友人の親類ならば、無下にできないものなあ。」
「ええ。」
直樹は胸を撫で下ろしていた。琴子も同様である。これで直樹の体面は何とか保たれただろう。

「すまないが、久しぶりなので沙穂子と話をしてもらえまいか?」
「おじいさま、直樹様はこちらのお嬢様のお相手を…。」
「…構いません。」
直樹は断らなかった。
「少し、直樹くんを借りるよ。」
大泉侯爵は琴子に断ると、直樹を連れて移動していった。
後に残されたのは渡辺と琴子だった。



「君…この間入江が助けた芸者さんだよね?」
渡辺が優しく琴子に訊ねた。
「この間、渡辺様もいらしたんですか?」
あの時いたのは直樹だけだったので、琴子は驚く。
「うん。」
渡辺は自分が料亭に直樹を誘ったこと、琴子が倒れた時にいたことを話した。
「そうだったんですか。弁護士の先生でいらっしゃるのですね。」
「そう、よろしくね。ええと…。」
「琴子です。相原琴子と申します。」
「琴子ちゃんか。」
そして琴子は自分の家の話を渡辺にも説明し、今日ここに来ることになった経緯も話した。
「先程は助けて下さりありがとうございました。」
琴子は改めて礼を述べた。

「さっき入江が琴子ちゃんを紹介することを躊躇しただろ?」
「はい。でも仕方ないです。」
「違うんだ。琴子ちゃんの家とか仕事を気にしたわけじゃないんだよ。」
「え?」
渡辺は向こうで話をしている大泉侯爵をチラリと見た。
「大泉侯爵は、孫娘の沙穂子さんと入江を結婚させたがってるんだ。」
「ああ…。」
それは何となく琴子にも分かった。そして沙穂子も直樹を慕っていることも気づいていた。
「もっとも入江と結婚させたがっている家は大泉家だけじゃない。あちこちの華族が入江を狙っている。」
琴子には分かる気がした。直樹は100人いる人間の中で一際輝いている。

「大泉家はそういう奴らを牽制しているんだ。家柄、財産ともに誰も文句がつけられない大泉家に睨まれると他の家は行動が起こせない。」
「そうなんですか。」
「もしあの時、入江が琴子ちゃんの名前を紹介したらきっと大泉家は相原家に何かしてくる。それを危惧して入江は琴子ちゃんの名前を出すことを躊躇ったんだ。」
「それじゃあ…入江先生は私を?」
「そう。琴子ちゃんを守ろうとしたんだよ、入江は。」
琴子は遠くにいる直樹を見る。沙穂子とにこやかに談笑している横顔に胸がチクリとなぜか痛んだ。
「だから琴子ちゃんの素性を恥じているとか、そういうわけじゃないから。」
機嫌を取るために大泉侯爵たちの相手を務めているのだと、渡辺は続けた。
「…入江先生は優しい方なんですね。」
琴子は渡辺に笑いかけた。
「うん、不器用だけど根は優しい男だよ、あいつは。」
「渡辺先生もお優しいです。」
直樹のことをそこまで言う渡辺も素晴らしい人柄だと琴子は思った。
「いい子だね、琴子ちゃんは。」
渡辺にほめられ、琴子は頬を染めた。

――何を赤くなってるんだ、あいつは。
沙穂子と話をしながら、直樹の目は琴子を見ていた。
「直樹様?どうされましたの?」
「いえ、別に。」
直樹は笑顔を沙穂子へ向ける。が、その心中はなぜか穏やかではなかった。




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水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
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当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

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二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

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