日々草子 マドモアゼル・カメリア 3

マドモアゼル・カメリア 3



「よくなってますね、来週には退院できるでしょう。」
直樹が告げると患者は笑顔を顔いっぱいに広げた。
「ありがとうございます、先生のおかげです。」
患者が元気になるのを見ることが、医者としては一番嬉しい。本当にやりがいのある職業だと思い、生涯続けていきたいと直樹は思っていた。

「入江先生、お客様がお見えだそうです。」
医師の詰所へ戻ると、事務の人間がちょうどよかったと直樹に告げた。
「客?」
今日は特に誰とも会う約束はしていないはずだった。
「ええ…まあ…。」
事務の人間は意味ありげな笑いを浮かべながら、「一階のホールでお待ちです」と言い残していった。
一体誰だろうと思いつつ、そしてあの事務の人間の怪しい態度に怪訝な思いを感じながら直樹はホールへと下りて行った。

「先生!」
自分をそう呼んだのは、若い女性だった。一瞬誰かと思ったが、すぐに分かった直樹は手で顔を覆った。
「なかなかお会いできないから、おもいきって来ちゃいました!」
弾んだ声を出しているのは、伯爵令嬢で芸者の琴次こと、琴子だった。その琴子は長い髪の毛を背中へとたらし後頭部に桃色のリボンを結んでいる。そしてこれまた淡い桃色の着物に赤い巾着を下げていた。会った時はいずれも芸者姿だったので、普段着になると一瞬分からなかった。

「用がないから行かないだけだ。」
「んもう、お礼をさせてほしいって言ったじゃないですか。」
琴子はぷーっとフグのように頬を膨らませる。その頬を両手でバチンと直樹はつぶした。
「痛い!何するんですかあ!」
琴子の声に周囲の目が集まる。ここホールは待合室も兼ねており患者たちで混雑している。
このままここにいてはまずいと、直樹は琴子を庭へと連れ出した。

「ま、入江先生。妹さんですか?」
すれ違う看護婦たちが直樹が女性連れなのを見てそんな言葉を投げつけてきた。そう聞いてくるのはまだましな方で、
「あれ、誰?」
「先生のいい人?」
「入江先生に限って、あんなお子様?」
などという声が二人の耳に入ってくる。

庭に置かれた陶器製の椅子に二人は腰掛けた。そこで琴子は直樹の顔を見る。
「なるほど、モテモテなわけだ。」
顔を合わせた時はいつも夜なのではっきりとわからなかったが、こうして昼間見ると端正な顔立ち。
「何だ、俺の顔に何かついてるのか?」
「いえ、別に。」
琴子は頬を赤らめて視線を逸らした。

「礼なんて気にしなくていい。一度目はお前に巻き込まれたから仕方なく、二度目は医者としての義務を果たしたまでだから。」
「ですけど…。」
「俺はもうお前に関わるのはごめんだ。」
「そんな、ひどい。」
またもや琴子は頬をふくらませた。

「お前、俺がここで働いているってのは…。」
「おかみさんが教えてくれました。」
話をまだ続けてくれるということに喜びながら、琴子は答えた。
「ったく、置屋のおかみの口は固いんじゃねえのか。」
「違います。私が悪いんです。」
おかみの悪口を言おうとする直樹に、琴子が言い返す。
「私がどうしてもお会いしたいって無理を言って。おかみさんは悪くないです。」
「まあ、別に隠すことでもないけどな。」
琴子にとって置屋のおかみは恩人だったことを直樹は思い出し、それ以上文句を言うのはやめた。

「それで先生、入江侯爵様の息子さんだったんですね。」
「それも聞いたのかよ。」
「あ、これも無理矢理私が聞き出しただけですから。」
それは一番、直樹が触れてほしくない話題だった。
大抵入江侯爵の息子だと知られると、その後に続く台詞は決まっている。
「まあ、華族の跡取りがもの好きな」「どうして働くのか」「庶民と触れ合って何が楽しいのか」「自分が特権階級の人間だということを自慢したいがためだろう」と、これまで散々なことを言われ続けてきたのである。そしてこれらはこの先も、直樹が入江家の人間である限り続くことである。

「物珍しいって言うんだろ?だったら好きなだけ…。」
「ご立派ですね。」
琴子の言葉に、直樹は驚いた。
「今、何て言った?」
「え?ご立派ですねって言いましたけど…。」
琴子もキョトンとしている。
「あ、もしかして偉そうでしたか?ごめんなさい。」
「いや、違う。」
自分の言葉が不適切だったことにしょげそうになっていた琴子に、直樹は首を振る。
「その…言われ慣れてないことを言われたから、驚いて。」
「言われ慣れていない?」
「…まあ、一番多いのは華族の暇つぶしってやつだけどな。」
自嘲気味に笑う直樹に、琴子が言った。
「何てひどい!」
「え?」
「暇つぶしなんて、失礼ですよね!」
まるで自分のことのように琴子は怒っていた。
「お医者様というご立派なお仕事をされている方にそんなことを言うなんて!本当に失礼だわ!」
「…そうか?」
「ええ。きっとそう言う人たちは入江先生がどんなに素晴らしいお医者様か分からないんです。」
「お前だって知らないくせに。」
「ここに来る時、患者さんが噂していました。」
琴子はむきになっていた。
「入江先生は腕もいいし親切なお医者様だって。子供に注射した時はご褒美に飴をくれるって。いつも先生のポケットには飴が入ってるって。」
思わず直樹は白衣のポケットに手を入れた。確かに子供にあげるために飴をいつも持ち歩いている。
「あと…。」
「あと?」
「…顔もいいから目の保養にもなるって。」
チラリと直樹の顔を見ながら、琴子は呟いた。

「華族だろうが何だろうが、お仕事をすることは素晴らしいことで馬鹿にされることじゃありません。私はそう思います!」
琴子の主張を直樹は新鮮な気分で聞いていた。
こんなこと他人に言われたのは初めてである。しかも会って間もない女性に認められるとは。

「お前も働いているしな、伯爵令嬢さん。」
心がほぐれたのか、そんな軽口を直樹は叩いた。
「あら、それ聞いたんですね?」
「おかみからね。」
直樹はクスッと笑った。

「そうそう、私、浅草へ行ったんです。」
「まさか、見世物小屋に?」
「はい。」
琴子は頷いた。確かに大道芸は浅草の方が似合ってると言ったが。
「でも、私ができることなんてお金にならないって追い返されました。」
「本当に行ったのかよ…。」
迂闊なことは口にできないなと、しょんぼりとしている琴子を前に直樹は思った。

「少しでもお金になるかなと思ったんですけれど。」
「そんなに金に困ってるのか?」
失礼かと思ったが、直樹は率直に訊ねた。
「父に楽をさせたくて。」
「お父上に?」
「はい。今は暮らしのために板前をしてますから。」
「板前!?伯爵が!?」
「ええ。お店も持っているんです。お客さんから伯爵、伯爵と呼ばれなかなか楽しいって。」
一体どんな親子なんだと直樹は驚いていた。
「よくまあ、板前になったなあ。」
「働くことは楽しいって言ってます。」
笑顔で琴子は答えた。
「父はいつもこう言っています。職業に貴賤はないって。働くことは褒められることはあっても軽蔑されることではないって。」
直樹は会ったことのない琴子の父に好感を持った。
成程、こういう父親に育てられたから琴子のような娘が育ったのかと思う。

「そろそろ帰りますね。」
お礼を言いに来たのに、何か別の話をしてしまったと琴子は笑いながら立ち上がった。
「ぜひまた遊びに来て下さいね。」
「…気が向いたらな。」
最初の時と答えが変わっていることに、直樹自身は驚いていた。琴子は素直に笑顔で「待ってます」と言ったのだった。

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