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2012.03.16 (Fri)

売店のオバちゃん 2


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アタシの名前はカヨ。
え?苗字を言いたがらないのは何か理由があるからって?
うるさいね。いちいち教えるほど暇じゃないんだよ。

「はあ…まいった…。」
「大丈夫かい、さーちゃん?」
アタシは今日も特製ドリンク(もちろん、作り方は企業秘密さ)をさーちゃんこと、この斗南大病院の外科の看護師長の細井小百合に出している。

「ありがと、カヨちゃん。」
さーちゃんは力なく、ゆっくりとドリンクを飲んだ。
やれやれ、本当にこのところお疲れだよ。

「まさか、あそこまでしでかすとは思ってなかったわ…。」
ドリンクを飲み干した後、さーちゃんはまたぐったりとテーブルに突っ伏した。
「まあ、ね…。」
さーちゃんの気持ちもわかるよ。この病院の売店に勤めて25年になるアタシだって話を聞いた時は腰を抜かしそうになったからね。

「まさか…ケリーで手を刺すとは…。」

あ、勘違いしないでおくれよ?別にこの病院で犯罪が起きたわけじゃないんだ。

「入江さん…はあ…。」

この病院に入ったばかりの新人ナースの入江琴子って子がいるんだけどね。
その子が手術の介助中に執刀医の手をケリーで刺しちゃったんだよ。
アタシも入江さんのことはちょっと知っている。まあアタシがこの病院にいる25年の間にもちょっと見ないくらいの、はっきり言って出来の悪いナースだ。
けれど悪い子じゃない。自分が出来が悪いことをよくわかっているから、いつも努力している。だけど努力が時に空回りしちゃったり、違う方向へ行っちゃったりすることが多いんだよ。

「大蛇森先生のまあ、怒ったこと怒ったこと。」
さーちゃんはまだぐったりとしている。
「大蛇森先生のことは気にしなくていいよ、さーちゃん。」
今度はほうじ茶をさーちゃんに淹れてあげた。
「あの人は普通の人と違うんだからさ。」
そうだよ、まったく病院の売店の要望箱に「いいワインとチーズをそろえろ」なんて書く人間、いるかい?しかもそれが医者と来たもんだ。どうかしてるよ。
今回だってアタシの前で「僕は傷物になった!!」って叫んでいたから「うるさい!傷の一つや二つ、大の男が騒ぐんじゃない!」って一喝してやったけどさ。

「入江先生が赴任して、少しは入江さんも成長するかと思ったんだけど。まあ、あたしも悪いのよね。いくら人手が足りないからって手術の介助へ回しちゃったんだもん。師長失格だわ。」
「さーちゃん…元気を出しなよ。」
アタシは一生懸命慰める。
「今度の休暇は二人でモルディブ行くんだから、それを楽しみにしてさ。」
「うん…そうだねえ。」
さーちゃんはそれでもなかなか立ち直れそうもないや…はあ。



「はあ…。」
そして今日、アタシの前で元気をなくしているのはその入江さん。
何だろうね、アタシは滅多にさーちゃん以外のナースの世話を焼くことはないんだけど、この子はどうしてか世話を焼いてしまうんだよ。
アタシ専用の部屋でこうやって、時々入江さんはアタシの特製煮物を食べている。

「あの…あたしのしでかしたこと、聞いてますか?」
「まあ、ね。」
「ですよね…はあ。」
大蛇森事件からそこそこ日は過ぎたんだけど、まだ入江さんは落ち込んだままだ。
「執刀医に怪我させるなんて、最低ナースですよね…。」
「…。」
ここで頷くわけにもいかないしねえ。
「さーちゃんだって…こんな失敗してないですよね?」
この部屋にアタシが呼ぶのは他にさーちゃんがいるって話したら、どうやら自分と同じ新人ナースだと入江さんは思い込んでいるらしい。
「まあ…しないね。」
さーちゃん、師長がしたら病院はおしまいだからね…。

「いつまでも落ち込んでいたって仕方ないだろ!」
アタシは喝を入れることにした。
「やっちまったもんはしょうがないんだ!それよりしないように努力する方が先だろう!」
「…分かってます。頭では分かってるんです。」
アタシが喝を入れても、入江さんは立ち直りそうもなかった。
「このミスを忘れないようにして、二度と繰り返さない。そうしようと思うんです.でもカヨさん。」
入江さんはアタシの顔をじっと見る。
「…怖いんです。また何か失敗するんじゃないかって。そう思ったら怖くて何もできなくなっちゃうんです。」
確かに怖くなるだろうねえ…。入江さんの気持ちはよく分かる。
そもそも医療従事者たる者、ミスは絶対してはいけないことだからね。

「あたし、今度のことで痛いくらい分かったことがあります。」
「何だい?」
「あたしがミスしたら、師長さんと清水主任が謝らないといけないんですよね。」
入江さんは大きなため息をつくと、話を続ける。
「学生時代はあたしの失敗はあたしが謝ったり反省すればよかった。でも社会人って違うんですよね。あたしの失敗は一人の責任じゃない、外科ナース全部の責任になってしまうんですよね。それが今回のことで分かりました。」
「そうだねえ。それが社会ってもんだからね。」
「見ていてとても辛かったです。自分がしていないミスのために、師長と主任が大蛇森先生に何度も何度も頭を下げている所を見るのが。本当に申し訳なくて…。」
入江さんは目に涙を浮かべる。
「でもね…。」
「でもあたしが申し訳ないと思うのは師長たちだけじゃだめなんですよね。」
アタシの言葉を入江さんは遮った。
「一番申し訳ないと思わなければいけないのは、患者さんなんですよね。」
今アタシが言おうと思ったことを、入江さんは先に口にした。
「大蛇森先生が無事に手術を終えることができたからよかったものの、もしできなかったら…患者さんの命に関わるところだったんですよね。あたしって本当に最低なことをしちゃったんですよ。」
何だ、よく分かってるんじゃないか。
ここまで反省しているんなら、アタシから言うことはもうないね。

「そこまで分かってるんだったら、早く立ち直ることだね。」
アタシは特製ドリンクを入江さんへ渡す。
「あんたの取柄は元気なところだけなんだからさ。」
そうだよ、ただでさえ売店に来る患者さんたちがあんたの元気がないことを心配しているんだよ。
他のナースにはないものを、あんたは持っているんだから。

「…ごちそうさまでした。」
でも入江さんは元気のないまま、勤務へ戻っていった。
やれやれ、心配だねえ。



「これ、お願いします。」
「はいはい。」
レジに立っていたアタシは顔を上げた。
「おや、入江先生。」
「どうも。」
入江先生が買ったのはチョコレートだ。珍しいものだね、確か甘いものは嫌いなはずなのに。
「琴子が世話になってます。」
入江先生はレジでアタシと顔を合わせるたびに、挨拶をしてくれる。本当に見た目だけじゃなく中身もできた先生だよ(大蛇森がご執心な訳もわかるよ)。

「どうだい、奥さんは元気が出てきたかい?」
混雑する時間帯ではなかったからか、他に客がいないことをいいことにアタシは先生に入江さんの様子を訊ねた。
「まだですね。」
「そうかい。」
「あいつの口に放り込んでみたら、少しは元気が出るかと思って。」
入江先生は買ったばかりのチョコレートを振った。
「入江さんが元気がないと、患者さんが心配してるからさ。」
アタシが話すと入江先生は少し嬉しそうに微笑んだ。
「あいつの取柄はそれだけですからね。」
「家で何かアドバイスとかしたのかい?」
入江先生は首を横に振った。

「学生時代だったら、俺も何か言ったかもしれないんですけれど。」
先生は伏し目がちに話す。
「職場が全く同じですしね。家に帰ってまで仕事を引きずるのもどうかと思って。病院で叱られ家でも叱られたら、あいつだってさすがにまいってしまうでしょうし。」
どうやら入江先生も社会人になった厳しさのようなものを感じているらしい。そういう理由で気づかないふりをしているんだって話すと、先生は戻って行った。
夫婦一緒の職場もこういう時、大変なんだねえ。



やれやれ、今日も疲れたね。
外科は何でも医局旅行だっていうけれど、アタシはそんなことで遊んでいる暇はない。
みんなが留守の間こそ、色々な情報を集めてデータベースを作る絶好の機会なんだ。
つい夢中になってたら、もう夜中だったよ。

「…派手な手術室デビューしたらしいな。」
おっと、この声は入江先生じゃないかい。手術室デビューってことは相手は…。
「さすがに大蛇森先生と顔を合わせにくくって。」
…入江さんかい。二人とも旅行に行かなかったんだね。
アタシは何となく、二人の会話をこっそり聞く形になってしまった。
入江さんは旦那である先生に自分の思いを打ち明けていた。大体、この間アタシに話したようなことだね。
だけど最後に外科じゃないところに異動したいなんて言っていたのが気になるところだ。

ピピピピピ…。

静かな院内に院内専用PHSの音が響いた。どうやら入江先生のPHSらしい。

え、自動車事故!三人運ばれてくる!
どうするんだい、一体!今日は医者も看護師もいないってのに!!

入江先生は入江さんに外科に残っている医者と看護師全部集めろって叫んでたけど…。



「入江先生が執刀した?」
あれからどうなったかと思いながらも、アタシにできることなんて何もないから帰ったんだけど、まさか…研修医の入江先生が執刀したとは!
売店で医者や看護師の噂はこのことでもちきりだった。

うーん、入江先生だったら心配することは何もないんだけどね。
手術だって成功したしさ。
でも研修医が勝手に執刀したらまずいからねえ。
これはひと騒動ありそうだね…。



「これ、お願いします。」
アタシの前に入江先生が現れたのは、この日の夕方だった。
「先生、聞いたよ。手術室の武勇伝。」
アタシはわざとおちゃらけてみる。先生が手術の件で査問にかけられたことはさっき聞いていたからね。
「さすがだね、研修医でそこまでできる人、初めてだよ。」
「どうも。」
先生は笑った。
「まあ、なんとか首はつながりました。」
「そりゃ、よかったね。」
「ええ、琴子のおかげで。」
何だって?入江さんの?
アタシが不思議そうな顔をしたもんだから、入江先生は笑いながら事の詳細を説明してくれた。
何でも入江先生の首が飛びそうになった時に、入江さんが飛び込んできたんだとさ。
それを聞いた時、アタシは笑っちゃったよ。だってあんまりにも入江さんらしくて。

「“お医者さんって、先生ってすごいんですよ!”ってあいつが言った時、俺は医者になってよかったと思いました。」
また嬉しそうな顔をする入江先生。
入江先生って、もしかして奥さんに褒められると結構喜ぶタイプなのかもしれないね。ふふっ。

「あいつ、自分の首が飛ぶことを考えてなかったのかな?」
「考えてなかっただろうよ。」
アタシは答えた。
「入江さんは自分より人のことを考える子だからね。その時の入江さんは自分の首が飛んでも入江先生を救いたかったんだろうさ。」
「…でしょうね。」
「でも」と入江先生は言った。
「あいつの首が飛んだ時は、俺も首を差し出すつもりでしたから。」
「…惚気かい?」
「多少は。」
入江先生はクスッと笑った。
「でも、あいつがいるから昨夜の手術はうまくいったんです。」
「そうかい?」
「あいつ、自分じゃ気づいていないだろうけれど、俺にすごいパワーを与えているんですよ。昨日、あいつが隣に立っているだけで俺は心強かった。だから成功したんです。」
「…なるほどねえ。」
「だから絶対、俺はあいつと離れるわけにいかないんですよ。」
ふうん。入江さんが旦那にぞっこんかと思っていたら、どうやら逆なのかもしれないねえ。
こんないい男にそこまで言わせるあの子は、かなりのもんだね。

「ある人が言っていたんだけどね。」
アタシはさーちゃんが前に言っていたことを、先生にこっそり教えることにした。
「ある人?」
「先生の奥さんは奇跡を起こす人なんだってさ。奇跡なんて非科学的なことは病院にふさわしくないけれど奥さんを見ていると、そう信じずにいられないって。」
「かもしれませんね。」
入江先生はあっさりと頷いた。
「あいつの起こす奇跡と俺の力があれば、完璧でしょう。」
「すごい自信だねえ。」
「どうも。」
何だかうらやましいねえ。アタシもちょっくら結婚したくなったよ。
モルディブに行ったらさーちゃんと婿を捜してみるかね?



「ったく、入江の奴…僕の輝かしい経歴に傷をつけやがって!!」
…ああ、今度は本当に困った奴が来たよ。
「何で僕があいつの尻拭いをしなければいけないんだ!どうして僕が始末書書かなければいけないんだ!」
西垣先生も困ったもんだねえ。
あんた、指導医なんだから研修医のしたことの責任を取るのは当たり前だろう?
全く、少しはさーちゃんを見習いなよ、女の尻ばかり追いかけてないで。

「琴子ちゃんをだまして、ちょっと遊んでやろうと思ったら僕の足を蹴ったし。あ、まだ痛いや。」
わざとらしく足を摩って、そこにいるナースの同情を引こうとしたところがまた情けない!
こりゃちょっくら、懲らしめてやらないとね。
あたしゃ、あの二人の邪魔をする人間を見ると何だかムカムカしてくるんだよ。

「カヨさーん、聞いてよ。」
「もう聞いてるよ。」
「へ?」
間抜けな顔でアタシを見る西垣先生。
「やれやれ、あんたも気の毒にねえ。」
アタシはこれ見よがしに、気の毒そうに溜息をついた。
「だろ?あんな生意気な研修医を押し付けられてさ、僕の苦労ときたら…。」
「うんうん、あっちはまだ寒いから体に気をつけな。」
「寒い?何、それ?」
もっと間抜けな顔を見せる西垣先生に、アタシは続けた。
「いや、今度のことであんた、あそこに異動だろ?」
「あそこ?異動?僕が?どこに!?」
西垣先生の顔が真っ青になった。イヒヒヒヒ、こりゃ面白いね。

「ね、どこに?どこに僕、異動なの、カヨさん!」
アタシの腕を掴む西垣先生。それをアタシはペシッとはたく。
「オホーツクだろ?斗南大病院のオホーツク病院。」
「お、オホーツク!?」
「寒いからねえ、体には本当に気をつけなよ。」
しみじみと言うアタシ。自分じゃ気づかなかったけど、アタシ女優になれるんじゃないかね?

「冗談はよし子ちゃんだよ、カヨさーん。」
「気持ち悪いね。それに古いよ、あんた。」
ったく、いつの時代の台詞だよ。
「あんた、何だい?アタシの情報網を信じないってのかい?」
アタシはギロリと西垣先生を見た。
「八条教授の離婚裁判の結果も、学部長選挙の結果も全て把握していた、このアタシの情報網を信用しないと!」
「いえいえ、とんでもない!」
西垣先生はブンブンと首を横に振る。
「カヨさんの情報網はアメリカの大統領選の参謀も参考にしているって噂もあるくらいだし。」
「だろ?だったら信用するんだね。」
「じゃ、じゃあ…じゃあ僕、やっぱりオホーツクに?入江のせいで?」
「あんた、田原教授の奥さんと遊んでいただろ?」
「え?ど、どうしてそれを?」
「んなこた、どうでもいいんだよ。」
「そ、それじゃあ、それがばれて?」
「さあね。どっちにしろ、遊び過ぎたんじゃないかい?」
「そんなあ!」
泣きそうな、いやもう半分泣いている西垣先生にアタシは段ボールからある物を取り出した。

「これ、オホーツクの寒さにも耐えられる防寒インナー。」
「防寒インナー…。」
「あんたの体がアタシも心配だからね。餞別代りに半額でいいから。」
「餞別…半額…。」
「どうだい?オホーツクは寒いよ?凍えるよ?」
アタシはブルルッと震えて見せた。
「これを着ておけば、流氷での通勤も大丈夫だよ?」
「流氷…そうか。あっちに行くと電車じゃなくて流氷に乗って通勤するんだ…。」
ぷっ!!
あんた、流氷に乗ってどこまで通勤するつもりなんだか!

「はい、毎度ありがとうね。」
西垣先生は防寒インナーを手に、フラフラと売店を出て行った。
よかった、よかった。あれ売れ残っていて困っていたんだよね。

後でばれるけど、まああの人は単純だからケロリとしているだろうよ。
しかしだましやすい男だねえ。オホーツクにうちの病院があるわけないじゃないか。

アタシの名前はカヨ。
在庫もあっというまに整理する、ただの売店のオバちゃんさ。






この話を書くにあたって『大蛇森傷害事件』を原作で読み返してみたんですけれど。
いや、驚いた!
この時、大蛇森先生が入江くんを糾弾してるんですよね!
生意気な入江くんに怒ってる大蛇森先生!
すごいびっくりしましたよ(笑)

※追記
すみません、琴子ちゃんが刺したのはメスじゃなくケリー鉗子でした^^;

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