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2012.03.03 (Sat)

雛祭り

このネタは昨年の雛祭り後に浮かんだものです。
「来年書こう」と当時思い、やっと今日書けました。
最後はいつものオチです。ワンパターンですみません!




【More】






三月三日、桃の節句――。

入江家でも雛人形が飾られていた。
これを飾ったのは数日前のこと。紀子が嫁入り時に持参したもので歴史ある、かなり豪華なものである。

「私、お雛様を知ったのって女学校に入った時なんです。」
お雛様を見ながらの琴子の言葉に、紀子が驚いた。
「三月三日にお雛様を飾るんだってことも初めて知ったし、女の子のお節句だってことも初めて知りました。」
斗南女学校は令嬢たちが集まる学校らしく、寮には立派な雛人形が飾られる。それを見て琴子は初めてその日が桃の節句だということを知ったのだという。
「孤児院ではこういうお祝い事を一切やらなかったので。」
琴子が育った大蛇森孤児院では桃の節句も端午の節句も祝われなかったのだという。

「今年は琴子ちゃんがお嫁に来てから初めてのひな祭りですからね。盛大にお祝いしましょう。」
全て飾り終えた後、紀子が琴子に笑いかけた。
「ちらし寿司を作って。」
「わあ!私もお手伝いしますね!」
「お前が手伝ったら“ちらかり寿司”になるんじゃねえの?」
部屋に入ってきた直樹が琴子をからかった。
「ひどい!そんなことないもん!」
ぷーっと膨れる琴子。
「そうよ、琴子ちゃんが手伝ってくれたらきれいなお寿司ができますよ。」
そう言いながらも紀子は「味付けは私がしなければ」と密かに考えていた。

「当日の琴子ちゃんのお衣装はこちらですからね。」
そして紀子は琴子に当日の着物まで用意していた。それは桃の柄があしらわれた美しい振袖だった。
「こいつ、もう振袖着られないでしょうが。」
直樹がまた冷めたことを口にする。
「何で?それって私には似合わないってこと?」
琴子が直樹に詰め寄った。
「いや、お前はもう振袖は着られないって。」
「だからどうして?似合わないから?せっかくお義母様が用意して下さったのに!」
「違うよ。振袖は未婚の女性が着るものなんだ。お前、未婚か?」
「既婚です…。」
ポッと赤くなりながら琴子が答える。結婚してから半年以上経とうとしているのに、まだこの調子なのである。
「あらあら、琴子ちゃんは若いんだから振袖も平気よ。」
紀子が二人の間に入った。
「赤ちゃんが生まれるまではいいんじゃなくて?」
「赤ちゃん…。」
またもや琴子はポッと赤くなる。

このように雛祭りへの準備は着々と進められていったのだが――。



「ああ、直樹様。」
受話器を取ったこの家の執事、渡辺は直樹が会社から電話をかけてくるなんて珍しいこともあるのだなと思った。それほど心配しているのだろう。

「ええ、琴子様ですが先程お医者様に来ていただきまして。」
渡辺は二階を見上げた。
「はい、幸いスペイン風邪(インフルエンザ)ではないとのことでした。風邪だろうと。」

楽しみにしていた雛祭りの前日、何と琴子は熱を出して寝込んでしまったのである。

「…興奮してたからな。ったく子供かよ。」
電話の向こうの声は呆れているがどこかホッとしたようでもあった。
「…直樹様があんまり寝かせなかったからじゃないですかねえ。」
ボソッと渡辺は呟いた。
「何か言ったか?」
「いえ、別に。琴子様、せっかく楽しみにされていたのに可哀想だなと思いまして。」
慌てて渡辺は誤魔化す。
余計なことを口にして痛い目に遭うのは勘弁願いたい。



一方、琴子は直樹に風邪をうつしてはいけないと言って自分から別室に移動していた。
熱はまだ高く、苦しい。
目を閉じると、孤児院時代のことを思い出す。
孤児院時代、熱を出すと医務室で寝ることになっていた。医務室は清潔感を表現するためか壁もベッドも何もかも真っ白であった。そして鼻をつく消毒薬の臭い。それが弱っている時にはかなり辛かった。
勿論、寝ているのも一人である。たまに様子を見に来るのは看護婦。大蛇森院長に薄給で雇われているから仕事熱心ではなく、熱を測って「寝てなさい」としか言わない、冷たい女性だった。

そんなことを思い出しながらうつらうつらしていた時、琴子の額に何かの感触があった。
「琴子ちゃん、汗をかいてない?」
声が聞こえた。
「着替えましょうか。身体もふいてあげますからね。」
いつもの看護婦はそんなことは言わないはず。着替えをベッドへ放り投げ、「自分で拭けるわよね?」とお湯を張った洗面器と手ぬぐいを枕元へ置いてすぐに消えてしまうのに。

新しい看護婦が来たのかと、琴子は目を開けた。
「起きられる?」
そこにいたのは白衣の看護婦ではなく、紀子だった。
「あ…。」
そうか、ここはもう孤児院じゃなかったのだと琴子は思い出した。
「あの…自分でできますから。」
孤児院じゃないことが分かっても、琴子はあの時のように自分でやろうとした。孤児院時代は何でも自分でやらねばならなかった。

「お手伝いするわ。背中も拭かないと。」
紀子は優しく琴子の体を起こした。そして丁寧に寝巻を脱がせていく。
「熱かったら言ってね。」
紀子はゆっくりと熱く絞ったタオルで琴子の背中を拭き始めた。じんわりと温かさが伝わり、とても気持ちがいい。
「お薬とお食事を持って来ますからね。」
紀子は洗面器を手に、部屋を出て行った。

また琴子はベッドの中でうつらうつらとし始めた。

「食事です」と看護婦が運んできたのは、ものすごく薄味のスープだった。
「消化に悪いから具は少なめになってますからね」というそのスープの中身は少ないどころかところどころに芋の皮が浮いているような代物だった。しかも冷めきっていた。
しかしそれしか食べるものがないので、琴子は我慢してすすったものである。

そんなことを思い出していると、ドアが静かに開き同時にいい匂いがしてきた。

「琴子ちゃん、入江家特製のおかゆですよ。」
紀子が運んできたのは、おいしそうなおかゆだった。
「食べられるかしら?」
「…大丈夫です。」
琴子はまた体を起こした。その背中に紀子がすぐにガウンをかけてくれる。

「おいしい。」
玉子とかつおぶしが入ったおかゆはとても優しい味がした。
「よかったわ。」
「お義母様が作って下さったのですか?」
「ええ、そうよ。直樹さんもね、風邪をひいたらこれを食べているの。」
フフフと紀子は笑う。
「今度琴子ちゃんにも作り方を教えるわね。直樹さんが風邪をひいたら作ってあげてね。」
「はい。」
琴子が返事をすると、紀子は顔を綻ばせた。
食べる琴子の口元を、紀子は時々優しく拭いてくれた。子供みたいで恥ずかしかったが、でもそうされることに琴子は幸せをかみしめていた。

「あの、すみません。」
食べ終えた後、琴子は紀子に謝った。
「お義母様にすっかりお世話になっちゃって。」
「まあ、何を言うの!」
紀子は琴子の両手を握った。
「でもお義母様もいろいろ忙しいのに。」
本当ならば誰か女中に任せればいいものを、紀子が自ら世話をしてくれている。それが申し訳ないと思う。
「娘の看病より大事なものなんてありませんよ!」
「娘?」
「ええ、そうよ。大事な大事な娘の琴子ちゃんの看病が一番大事なの。これを他人になんて任せられるものですか!」
紀子はギュッと琴子の両手を握った。
「お義母様…。」
「さ、お薬を飲んで。」
紀子は琴子にコップを持たせる。琴子が薬が飲んだのを見届けると「また後で来ますからね」と言い残し、紀子は部屋を出て行った。

「娘か…。」
こんなに幸せでいいのだろうかと琴子は思う。
愛する人と結ばれた上に、優しい父と母にも恵まれた。
「早くよくならなくちゃ。」
明日はさすがに雛祭りは無理だろうと紀子は言っていた。だがベッドの上に起きていられるくらいにはなりたい。
やがて薬の効き目が出てきたのか、琴子は深い眠りに落ちていった。



「…ここでよくて?」
「直樹様、こちらでよろしいですか?」
夢現の中で、琴子は人の声を聞いていた。紀子と渡辺の声のようだ。
「あ、それはもっとこっちに。」
直樹の声も聞こえる。
「夢か…。」
夢の中にもみんなが出てくるなんてと琴子はおかしくなった。今は一体何時なのだろうか。
でもこのまま朝まで眠ろうと思う。
「直樹さんは…帰ってきたのかしら?」
今日は寝室を別にしているから会えない。少しそれが琴子は寂しい。



「ん…?」
琴子は目が覚めた。朝かと思ったがまだ部屋の中は暗い。カーテンの向こうも暗いようである。
どうやら夜中らしい。

「重い…。」
体が重かった。まだ熱が下がらないせいもあるかもしれないが、何かが上に乗っている感じがする。
琴子はゆっくりと体を起こし、ベッドサイドの灯りに手を伸ばした。
ぼんやりと明るくなったところで、琴子は目を丸くした。

「直樹さん?」
琴子が寝ているベッドの上に覆いかぶさるように、直樹が寝ていたのである。
「え、どうして?何で?」
寝室に寝ているはずの直樹がどうしてここにいるのだろうか。
このままでは直樹も風邪を引いてしまう。

「直樹さん、直樹さん。」
琴子は直樹の肩をゆすった。
「あ…何だ?」
直樹が目を覚ました。そして琴子を見る。
「何、トイレか?」
「違う。ここで何で寝ているの?」
驚いている琴子の前で、直樹は伸びをしながら答えた。
「お前がベッドから落ちないか心配で。」
「へ?」
「熱があるのに布団を蹴飛ばしていたら、治るのが遅くなるだろ。」
直樹は琴子の布団を直した。

「いや、そこまで寝相悪くないけれど…。」
「分からねえよ。熱のせいで意識が飛んで、親父とか渡辺の部屋に襲いかかるんじゃないか不安だし。」
「そこまでしないって!」
「お前は前科があるだろうが。」
この家に来たばかりの頃、琴子は寝ぼけて部屋を間違えて直樹のベッドに潜りこんだことがあった。

「どれ、下がったか?」
直樹は琴子の額に自分の額をくっつけた。
「ああ、まだ少しあるみたいだな。」
「雛祭り、やっぱり無理?」
しゅんとなりながら、琴子は訊ねる。
「あと一日寝てた方がいいだろうな。」
「そっかあ…。」
更にしゅんとなり落ち込む琴子。

が、その顔を横に動かしてある物を発見した。

「あれは?」
琴子が指さした先には、雛人形が飾られていた。
それはお内裏様とお雛様だけのもので、紀子の雛人形とは違うものだった。
「ああ、あれは俺が用意したんだ。」
「直樹さんが?」
「せっかくお前が楽しみにしていたんだから、人形くらいは飾ってもいいかなと思って。」
「それじゃあ、わざわざ?」
忙しい合間をぬって用意してくれたことを知り、琴子は嬉しくなった。
そしてその脇には桃の花が花瓶に活けられている。

「もしかして、お義母様と渡辺さんもお手伝いしてくれたの?」
「そうだけど?」
それでは先程聞こえた声は夢ではなく現実だったのだと、琴子は知った。

「ほら、さっさと寝ろ。」
「直樹さんは戻るの…?」
「いや、ここにいるよ。」
「だめよ!風邪を引いちゃう!」
琴子が言った。
「私は大丈夫だから、お部屋で休んで。」
「いいよ、別に。」
「だめ!」
琴子は横になろうとしなかった。直樹が部屋を出ていくのを見届けるまで寝ないつもりである。

「ったく、しょうがねえな。」
早く寝ないとよくならない。
直樹は立ち上がった。
「そうそう、それでいいのよ…。」
寝室に戻る気になったのかと琴子は安堵した。が、直樹はドアではなく琴子の方へやってきた。

「これでいいだろ。」
直樹は琴子の隣に潜りこんだのである。
「いや、余計駄目だって!!」
「これなら風邪も引かない。」
「うつるわよ!」
「うるさい奴だな。」
琴子にどれだけ言われても直樹はベッドから出ようとしなかった。
「もう黙ってろ。いい子は寝る時間。」
そして直樹は琴子を抱きしめた。
「…うつっても知らないから。」
観念した琴子はそれだけ言うのが精一杯だった――。



「ご苦労さま、渡辺さん。」
その頃、居間では紀子が渡辺を労っていた。
「大変だったでしょう、突然岩槻まで行かされて。」
「驚きましたが、直樹様の無茶な命令にはもう慣れました。」
渡辺は笑っている。

突然直樹から「雛人形を探して来てほしい」と言われたのは昼前だった。
当然、雛祭り前日の今日はもう店にはなかったから、雛人形の制作で有名な岩槻まで探しに行ったのである。

「何とか見つかってよかったです。」
「本当によかったわ。」
「でも直樹様の命令は大体、琴子様のためのものなんですよね。琴子様を喜ばせたい一心なんです。」
だからどんな無茶な命令であっても断りたくないのだと、渡辺は話した。
「琴子様が雛祭りを知らなかったことを聞いて、とてもお辛そうでしたから。」
「そうね。私も辛かったわ。」
紀子が目頭を押さえた。



そして雛祭り当日。

琴子が休んでいる部屋でささやかなお祝いが行われた。
「きれいなお寿司!」
紀子お手製のちらし寿司を食べられるまで、琴子は回復していた。
そしてその部屋には紀子が用意した桃の柄の振り袖も飾られた。
琴子のベッドの傍には直樹、そして重樹、紀子、渡辺もいる。

琴子が初めて入江家で迎える雛祭りはとても幸せなものとなったのである。



その数日後――。

「直樹さん、おかゆできたわ。」
「…ちゃんと食えるんだろうな。」
直樹はベッドの上に起き上がった。
「大丈夫。お義母様に教えて頂いて味見もして頂いたから。」

琴子はすっかり回復したのだが、今度は直樹がうつってしまったのであった。

「ふうふう。」
琴子はおかゆを口で覚ますと、「はい、あーん」と直樹に食べさせる。



「…まさかこんなに早くおかゆを教える日がくるなんて。」
こっそりのぞいていた紀子が笑った。
「というか、直樹様、一人で食べられるのに。」
すっかり琴子に甘えている直樹を見て、渡辺が笑い転げた。
「本当に仲良しなのねえ。琴子ちゃんの風邪をもらっちゃうくらい。」
「いえ、あれで直樹様は喜んでおられるのでは?」
笑い続ける渡辺の耳に声が聞こえた。

「渡辺、そこにいるんだろ?」
「はいはい、おりますよ。」
渡辺は悪びれた様子も見せずに部屋の中へと入った。

「俺、書庫の本が読みたいんだが。」
「だめよ、本なんて読んだら熱が下がらないわ。」
おかゆを食べさせながら、琴子が反対する。

「そうだな。」
口元をぬぐってもらいながら、直樹がニヤッと笑った。
「それじゃあ、治ったらすぐ読めるように整理しておいてもらうか。」
「整理…。」
「ほら、ロシア文学全集があっただろ?」
「あの…あれはしばらく読まれないから相当カビくさいですが。」
「知ってるよ。だからすぐ読めるように干しておいてくれよ。」
「干すって…あれ、120冊くらいあるんですけれど?」
「いや、それくらいお前にはお茶の子さいさいだろ?」
「渡辺さん、私もお手伝いします。」
おかゆを食べさせ終えた琴子が立ち上がる。

「琴子、背中拭いて。汗かいた。」
すかさず直樹がそれを止めるために口をはさんだ。
「あら、大変。すぐに拭くわね。」
琴子は急いで洗面器を用意しに部屋を出ていく。

「じゃ、よろしく。今日はいい天気だし。」
「はい…。」
結局こういう結末かとため息をつきながら、渡辺は書庫へ向かったのだった――。




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