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2012.02.22 (Wed)

ブタタマ定食 下

間をあけてしまって申し訳ありませんでした。ちょっとパソコンから離れていたもので…。
お返事も遅れており申し訳ありません。






【More】





隣の入江家に、琴子が戻ってきた気配は一向になかった。
「はあ…琴子ちゃん、どこへ行っちゃったのかしらん?」
門扉の周囲を掃除しながら、山本夫人は溜息をついた。
「最初はお友達の所へ行っていたらしいのだけど。」
紀子から涙ながらに「琴子ちゃんたら、お友達の所へ泊まっていたんですよ。」と聞かされたのはいつだったことか。
「このまま終わってしまうのかしらん?」
ほうきとちりとりをぶら下げ、夫人は入江家を見つめてまた溜息をついた。

「ん?」
家に戻ろうとした夫人の目に、入江家を見上げている謎の集団の姿が飛び込んできた。
「誰かしら?」
近所づきあいも希薄になったご時世ではあるが、入江家と山本家の付き合いはそうでもない。お互い、不審者には目を光らせている。
夫人は家の周辺を掃除しながら、入江家の傍のその集団へと近づく。

「お隣さんの所も掃除してあげましょうねえ。」
誰に訊かれているわけでもないのに、夫人は一人呟きながら入江家の前へやってきた。
「…で?コトリンは戻っている感じか?」
集団の一人の声が夫人に聞こえた。
「まだみたいです、矢野さん。」
もう一人が答える。
「そうか。こりゃあ離婚も決定的だな。」
「ドンの奴、捨てられたのかよ。ケケケッ!」
集団は全部男で四人だった。夫人はごみを集めるふりをしながら、彼らの様子をうかがう。
「こりゃあコトリンがこっちに来るのも時間の問題だな。」
「さすが矢野さん!」
どうやら一人は矢野という名前らしい。
「…趣味の悪い柄だわね。」
矢野という男が着ているセーターの模様は唐草模様だった。一体どこの店に行けば買うことができるのだろうか。
そして矢野以外の男たちも似たりよったりの外見であった。おかっぱに汚れがこびりついている眼鏡、いつ洗ったのかわからないベタッとした長髪、うっとうしいくらいの前髪…。
いや、そんなことを気にかけている場合ではない。今、この唐草男は何と言った?
「確かコトリンがこっちに来るのがどうとか…。」
コトリンとは琴子のことだろう。この呼び方からして、この不気味な集団が琴子によからぬ気持ちを抱いていることは容易に想像ついた。
「コトリンが晴れて一人に戻ったら、あの衣装着せましょう!」
「おお!いや、ナインペタコトリンは胸が余るんじゃねえのか?」
「何かつめときゃいいでしょ、つめときゃ!」
「ゲヘヘ」という笑い声を立てながら、集団はご機嫌で入江家を去って行った。



「あーた、あーた、あーた!!」
帰宅した夫をいつもの賑やかな声で夫人は出迎えた。
「何だ?もしかして琴子ちゃんが戻ってきたのか?」
「違うわよっ!!戻ってくるどころか、もしかしたら!」
夫人は夫に着替えもさせず、昼間にやってきた男たちのことをしゃべりまくった。
「で、その人たちが何だ?」
「だから!あーたはもう!なんで鈍いのよ!」
一を聞いて十を知るくらいになってほしいと思いながら、夫人は夫の肩をバンバンと叩いた。
「もしかして琴子ちゃん、このまま離婚してその唐草と再婚しちゃうんじゃないかって!!」
「んなバカな!!」
山本は腹を抱えて笑い転げた。
「お前も突飛な想像なんだよ!」
「でもコトリンなんて親しげに呼んでいるのよ?それってかなり親密って証拠でしょ?」
「まあ…そうかな。」
最近の若者のことはよく分からないが、妻の興奮ぶりに山本も引き込まれていってしまう。
「もし、そうだったとしてもだな。」
「ええ。」
「…それが琴子ちゃんにとっての幸せならば、俺たち他人が止める権利はない!」
「ええ!!」
夫の言葉に、夫人は驚愕しひっくり返った。

「だろ?そもそもお前が先に言ったんだ。実家もない琴子ちゃんに出て行けと言うなんて非道すぎるって。」
「それはそうだけど。」
「もしかしたら、琴子ちゃんの心は深く傷ついたかもしれない。」
山本は自分の胸を両手で押さえた。
「その傷ついたガラスの心を水草にからまった河童が慰めているのかもしれない…。」
「唐草よ、唐草。」
変に丁寧な山本夫人は夫の言葉を訂正した。

「でもだめよ!!」
夫人は叫んだ。
「絶対だめ!あの人たちじゃだめなの!!」
「何で?」
「何で?当然じゃないの!!」
山本夫人は腰に両手をあてて言った。
「ビジュアル的に全然だめだから!!」
「はあ!?」
今度は山本が声を上げた。

「ヒロインを争うライバルっていうのかしら?それもイケメンじゃなきゃだめ!」
山本夫人は昼間の唐草やおかっぱたちを思い出しブルッと肩を震わせる。
「見た目より大事なことがあるだろ!」
「ないわよっ!!」
妻の迫力に山本は完全に押されていた。
「『冬のドナタ』も『宮廷宦官チャングマの裏切り』も『メリは引き籠り中』も『イ・ムーン』も『醜男ですね』も、私が観てきたドラマはみんなヒロインの周りにいる男たちがイケメンばかりだったもの!!」
「ドラマと現実は違うんだ!!」
山本は妻を現実へと引き戻す。
「琴子ちゃんだって、きれいな顔の男に疲れてしまったのかもしれないだろ?」
「そんなあ…。」
「昔から言うだろ?美人は三日見たら飽きるが、そうじゃないのは飽きないって。」
「まあ確かに…。」
山本夫人は隣のお兄ちゃんと、昼間の唐草集団の顔を交互に思い浮かべた。
「…確かに色々な意味で飽きないかもねえ。」
「だろ?琴子ちゃんは安らぎを求めたのかもしれない。」
「うーん…。」
…こうして山本夫妻の中では琴子が安らぎを求めてオタク部へ走った(?)ということになってしまったのである。



それから数日たったある日のことだった。
山本は部下と共に取引先から会社へ戻る途中、昼食をとることにした。
「部長、この店なかなかうまいんですよ。」
部下が教えたのは、いかにも食堂といった感じの店だった。
「へえ、そうなのか?」
「ええ、最近新しい店員を雇ったんですけどね。その子がおもしろくて。」
「何だ、それ?」
笑いながらも山本は部下に勧められるまま、その店へ入った。

「いらっしゃい!!空いているお席へどうぞ!」
威勢のいい声に導かれ、山本たちはすぐそこの席に座った。
「ええと、何にします?」
「そうだなあ。」
壁一面に貼られているメニューを見上げ、山本は考える。
「いらっしゃいませ!」
水を運んできたのか女の子の声が聞こえた。
「僕は麻婆豆腐定食!」
部下が早々と注文した。
「部長は?」
「それじゃあ僕は生姜焼き定食にしようかな。」
「はあい!」
そして女の子の声が店内に響いた。
「杏仁豆腐定食に、ブタタマ定食!」
「え!?」
メニューを見ていた山本は驚きのあまり、顔を女の子に向けた。
「アハハハ!また言ってら!」
部下は慣れているのか笑っている。
「違うだろ、麻婆豆腐に生姜焼きだろうが!」
店主の男が訂正している。

「ね?面白いんですよ、あの子!もうあの言い間違いがこの店の名物になっていて!しかも必ずブタタマ定食と口にするんです。どんだけ好きなんだか!」
ケタケタとまだ笑い続けている部下。しかし山本は笑っていなかった。
「あれは…。」
「部長?どうかしました?」
その言い間違いをしている女の子、それは琴子だったのである――。

「おじさん、なんかこのコロッケ変な味だよ!」
注文の聞き間違いだけではなく、どうやら琴子は料理でもとんでもないことをしでかしているらしい。
山本は琴子にばれぬよう、顔を隠しながらも注意深く観察をしていた。
「お前、本当に板さんの娘か?」
「本当ですよ!」
店主に疑われるのも無理はない。山本の前では部下が「うわ、これ布巾じゃん」と麻婆豆腐の中から布巾をつまみあげていた。

「あれ…琴子ちゃん?」
山本はその声に反応した。この店で琴子をそう呼ぶ人間がいるのだろうか。
「渡辺さん?」
「琴子ちゃんだ!」
それは温厚そうな青年だった。しかも二人は顔見知りらしい。しかも結構親しいのか琴子の顔はどこか嬉しそうである――。



「おい、おい、おい!!」
「あ、あーた!どうしたの!」
買い物から帰ってきたところを呼び止められた妻は、驚いて山本を見た。
「あーた、会社は!」
「早退した!」
一刻も早く知らせたくて、山本は食堂から家へ直帰してしまったのだった。
「どうしたの?どっか具合でも…。」
「違う、それどころじゃないんだ!琴子ちゃんを…琴子ちゃんを見つけたんだ!!」
「ええ!なんですってえ!!」
妻は驚きのあまり、エコバッグから手を離した。大根と白菜、2リットルペットボトルの入ったバッグが山本の足を直撃する。が、その痛みを山本は感じないくらい興奮していた。

「どこで?どこでなの?」
山本はとある食堂で琴子が働いていることを教えた。
「それじゃあすぐにお隣の奥さんに教えないと!」
入江家へ駈け出さんとする妻の肩を山本はがっしりとつかまえた。
「ちょっと、何するの!」
「待て!それどころじゃない!今度こそ本当のライバルの登場かもしれん!」
「ライバル!?」
そして山本は食堂で琴子が知り合いと思しき男と親しくしていたこと、その後二人は近くの公園に移動して体を近づけて話をしていたことを妻に語った(山本はこっそりと後をつけていたのである)。

「それは…どんな人だった?」
「眼鏡をかけて…。」
「…おかっぱ?」
山本夫人は先日の男じゃないかと緊張する。
「いや、くせ毛だった。」
「そう、よかった。」
ホッと胸を撫で下ろす夫人。
「イケメン?」
「イケメンっていうか、賢そうな顔だった。優しそうでもあったな。」
「んまあ!!」
夫人は悲鳴を上げる。
「それよ、それ!!そういう人がヒロインを競うタイプなのよっ!!『チャングマの裏切り』に出てきた、チャングマのライバルもそんな感じだったわっ!!チャングマとそのライバル、どっちがタイプかで私も悩んだものよっ!!」
「落ち着けよ。」
「だって!!これはもう決定だわね!!」
鼻息荒く夫人は夫へ言った。
「まあいいわ。そういうタイプならば私も応援するわ。仕方ないわね、うん。」
「そうかもしれないな。」
一体どういういきさつであそこで働いているのかは知らないが、慣れない環境、疲れ果てた心。それを慰めてくれるにはああいうタイプの男性が一番かもしれない。

「きっとあれね。琴子ちゃんはもう、その男の人と暮らしているのよ。」
「…へえ。」
「名前も変えてね。新しい人生のスタートをもう切っているのよ。」
「…ふうん。そうですか。」
「そうよ…って、何なの!あーた、その気の抜けた声は!」
自分の妄想にひとしきり酔っていた夫人は夫を睨んだ。
「いや…俺、何も言ってないけど?」
「え?」
それじゃあ、今の相槌はどこから聞こえたのかと首を傾げる夫人。
「…こんにちは。」
夫の後ろから、端正な顔がのぞいていた。
「な、直樹くん!!」
妻の声に、慌てて山本も振り返った。

「あ、あのね。今のはその…。」
「いやね、こいつはドラマばかり見ていて、もう現実との区別がついていないっていうか。」
慌ててその場を取り繕うとする山本夫妻。
「いえ、別に何も気にしていないので。」
直樹はあっけらかんとして、二人を追い越すと自分の家へと入って行った。



「あ、こんにちは!」
「まあ…こんにちは!」
直樹に伴われて琴子が帰ってきたのは、それから更に数日経った頃だった。

「まあまあ、琴子ちゃんの荷物を持ってあげちゃって。お兄ちゃんもなかなかいいところがあるんじゃないの。」
帰宅した夫に、上機嫌で妻は報告する。
「まあ、帰ってきてよかったよ。」
「ねえ、そうよね。」
二人はその後、黙ってお茶をすする。

「ねえ。」
「なあ。」
二人は同時に声を出した。

「直樹くんが琴子ちゃんを迎えに行ったのって…。」
「あの時の話がきっかけかしらね?」
しばし考え込む夫妻。
「…いや、まさか、な。」
「そうよ。あのお兄ちゃんがあんな話を真に受けるなんて。」
「ありえないよな。」
夫妻は顔を見合わせて笑った。
とにかく、元のさやにおさまったことはめでたいことだった。
「おい、月がきれいだから庭に出てみるか。」
「そうね。」
夫妻はいそいそと庭へと下りた。

ちょうどその時、入江家の庭に琴子と直樹が出ていた。
二人は庭の端に置いているベンチに腰をかけていた。
「入江くんが迎えに来てくれて、とてもうれしかった。」
琴子はゆっくりと、直樹の肩に頭を置く。
「手間かけさせやがって。」
口ではそう言っているが、直樹もやっと琴子を取り戻せて嬉しい。

二人のベンチは、隣の山本家との境の塀に背をつけるように置かれていた。
琴子に肩を貸しながら、直樹はその塀の向こうに人の気配を感じる。
――…いるのか?
あのお喋り夫婦も、今夜の月を見に庭に出ているらしい。
まったく、ろくなことを言うものだと直樹はあの時のことを思い出す。
琴子が自分以外の男を選ぶなんて、絶対ありえない。そうわかっていても、他人から言われると落ち着かなくなった。ちょうどその直後に渡辺から連絡があり、山本が目撃した琴子と一緒にいた男が渡辺だと知って胸を撫で下ろしたものだが、やはり知るまでは気が気ではなかった。

「琴子。」
直樹は琴子の肩に腕を回した。
「なあに?」
「…しばらく琴子の顔が見られなくて、さびしかった。」
「え?」
不意打ちに優しい言葉をかけられた琴子は、驚いて真っ赤な顔を上げた。直樹はそんな琴子に微笑みかけている。
「さびしかったよ、俺も。」
今度は直樹が琴子の胸に頭を預けた。
「え、ちょ、ちょっと入江くん?」
どうしたのだろうか。琴子はあたふたとなってしまう。
本音に違いないのだが、それを琴子に言うつもりはなかった。しかしあの夫婦が向こうにいると知った今、また変な噂を立てられないためにもここは素直になっておいた方が得策だと直樹は考えたのである。
「…何せ“九官鳥”だしな。」
「え?なあに?」
「ん?」
直樹は頭を上げ、琴子の顔を覗き込む。また琴子の顔が赤くなった。
「…小鳥みたいな可愛い口だなって。」
そういうと、直樹はチュッと音を立てて琴子の唇を奪った。
「今夜は精一杯、俺の反省を受け止ってくれよな。」
「こ、今夜って…反省って…。」
「夜は長いしな。」
そして直樹はまた、琴子の唇をついばんだ。



「あ、あーた、あーた。」
声を立てると聞き耳を立てているのがばれてしまう。山本夫人は口をパクパクさせて夫を呼ぶ。
「しっ!」
夫は口に人差し指を立てた。
二人の顔は琴子に負けず劣らず真っ赤になっていた。
まさかあちらも庭に出ていたとは。そして…あんなことを聞かされるとは。
夫妻は足音を忍ばせて、家の中へと入った。

「…何がよその男へ走るだ。」
ソファに深く身を沈めると、山本は手のひらで顔を仰いだ。
「どこが冷たいのかしらん?」
「うらやましいわあ」と言いかける山本夫人。

夫婦喧嘩は犬も食わないとは、まさにこのことだと山本夫妻は思い知ったのだった。



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