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2012.02.13 (Mon)

恋に落ちた執事 下


【More】




マリーナが座っている席の後ろには、いつの間に来たのかウェスト男爵とシップの二人の顔があった。
そして男爵は頭上に高々とスケッチブックのようなものを掲げていた。そこには文字が書かれ、どうやらこの通りに言うようにという意味らしい。

「ええと…。」
コトリーナは目をこらした。スケッチブックには『お金が目当てで私は結婚したんじゃないわ』と書かれている。
「お金目当てで結婚したんじゃないわ。」
コトリーナはその通りに言った。
「先生を愛しているからよ。」
「ふうん、それじゃあその先生とやらが無一文で明日食べるパンにも事欠く有様だったら結婚した?」
頬杖をつきマリーナは疑うような視線をコトリーナへ送る。
「勿論!」
コトリーナは大きく頷いた。
「たとえ先生がどんなに貧乏であっても、着る服が一枚しかなくても、家なんてなくても、私は先生と一緒にいるわ!」
「まあ、今がお金持ちだからね。」
そこまでコトリーナが話しても、やはりマリーナはまだ疑っている。

困ったコトリーナはまた男爵を見た。男爵はサラサラとマジックを走らせるとまた頭上にスケッチブックを掲げた。
「ええと…“お金がたくさんあれば全て幸せ…なんて限らないのよ”」
コトリーナはまた読み上げる。読みながら今日の男爵は至極まともなことを言う者だと変な感心をしていた。
「そんなことないわよ。」
「あるってば。」
男爵がページをめくった。
「“お金持ちが私の全てを満たしてくれるとは限らないわ。お金があってもできないことはあるのよ”…うんうん、そうだわ。」
「自分で言って何を突っ込んでいるのよ。」
「あ、いえ。我ながらいいことを言ったなあと思っちゃって。」
ハハハと笑ってごまかすコトリーナ。この時にはモッティも男爵の存在に気づいており、マリーナにばれないよう、そっと体をずらしている。

そしてまた、男爵がページをめくった。
「“先生はね、お金と爵位があるけれど…あっちはあんまり得意じゃないの。”」
読み上げながらコトリーナは「あっちって何だ?」と首を傾げそうになった。がマリーナに不審に思われるのでかろうじて堪えた。
「え!?そうなの?」
そのマリーナはなぜか突然、目をギラギラと輝かせ身をテーブルの上に乗り出してきた。
「え、ええ…。」
何だかよく分からないがコトリーナは頷いてしまった。
「そうか…そっちは得意じゃないんだ。」
マリーナは腕を組み考え込む。
マリーナの態度の真意が分からないコトリーナは、また男爵の方を見た。

「“人には誰でも苦手なことがあるもの。仕方がないわ”」
「あの先生に苦手なことなんてあったかしら」とまたもやコトリーナは疑問に思わずにいられない。
「でもそっちが苦手な男なんて、私は耐えられないわあ。」
マリーナは深いため息をついた。
「そう?」
「当然じゃない!コトリーナ、あんたもいろいろ苦労しているのね。」
憐れみをかけられたコトリーナはやはり意味が分かっていない。
「そっちが苦手な旦那で、あんたは満足なの?そんな若い身空で。」
マリーナがコトリーナに訊ねる。一体何が満足できないのか困り果てたコトリーナは男爵を見た。すると男爵は素早く次の指示を出してきた。
「“仕方ないわ。お金もあっちも両方OKな人なんてそうなかなかいないもの。”」
「そういうものかしらねえ。」
「“でもね、愛があるからこそ、あっちがてんでダメでも耐えることができるのよ。何とか子供も生まれたし。”」
「てんでダメ」と「子供」と何が関係あるのだろうか。やっぱりコトリーナには分からない。
「私なら愛があっても、やっぱりそっちも満たされたいものだわね。」
マリーナはコトリーナをしみじみと見つめた。
「しかし、そんなんでよくもまあ耐えているわ。」
「耐えるなんてそんな…。」
一体何をマリーナは言っているのだろうか。コトリーナは助けを求めようと男爵を見た。
男爵は「そのまま続けろ」という視線を送り頷きながら、スケッチブックを掲げる。
「“それが愛というものよ。愛さえあれば下手くそだってかまわないわ”。」
「おお、言ったわね!!」
マリーナが拍手をした。
「えへへ。」
褒められているので素直にコトリーナは喜ぶ。だが何が下手だというのだろうか。ナオキヴィッチは一体何が下手なのか。
「…旦那様にばれたら、えらいことになるわね。」
意味が分かっているモッティは、このことがどうか主人にばれることのないように十字を切った。



「ね?だから愛が一番大事なの。お金よりも愛よ。」
「うーん…でもなあ…。」
コトリーナは少しでもマリーナが考えを変えてくれたらと、必死で説得を続けようと勢いあまって席から立ち上がった時だった。
テーブルの上のカップが揺れて、運悪く傍を通りがかった若い貴族風の男の服にお茶がかかってしまった。

「君、何をするんだ!!」
その男はお付きの男にズボンを拭かせながら、コトリーナを怒鳴りつける。
「ごめんなさい!」
コトリーナは素直に謝った。
「ごめんで済むか!この服がどれほど高価なものか貧乏人には分かるまい!」
「そんな!」
弁償しようにもいくらかかるのだろうか。コトリーナは真っ青になった。

「…やだやだ。服でしか威張れない男って最低。」
マリーナの声に、貴族が振り返る。
「今、何て言った?」
「中身がないから服でしか威張れないんでしょ?コトリーナ、いいわよ。こんな服、絶対安物よ。」
マリーナはギロリと男を睨む。
「貴様!平民のくせに!」
「っるさいわね!平民平民って、あんたなんてその平民の税金で食っているんでしょうが!!」
「俺を誰だと思ってるんだ!!ウォーカー子爵だ!」
「知らないわよ、今会ったばかりなんだから。」
「この!あばずれが!」
ウォーカー子爵がマリーナの襟を掴んだ時だった。

「マリーナさんから手を離せ!!」
大声と共に、シップが子爵の背中を突き飛ばした。
「シップさん!!」
「マリーナさん、大丈夫ですか!」
シップはマリーナの手を取った。
「てめえは誰だ!!」
しかし子爵も負けてはいない。シップの首根っこを掴み引きずる。
「ぼ、僕は…。」
「関係のない奴は引っ込んでろ!!」
あっけなく子爵に投げ飛ばされ、シップは再び男爵の元へと転がって来てしまった。

「シップ、大丈夫か!」
「シップさん!」
男爵とコトリーナ、モッティがシップを囲む。が、シップは完全に目を回しており立ち上がる気配がない。
「やれやれ、あっけなくダウンか。」
「男爵様、マリーナが危ないわ!」
コトリーナが男爵に助けを求めた時だった。

「…こんなことになると思った。」
聞き覚えのある声に、三人は振り返った。
「先生!!」
そこにはナオキヴィッチがステッキで肩を叩いていた。
「ったく、何の余興だよ。」
店内は騒然としており、客も出て行ってしまった。マリーナと子爵は今にも掴み合いになりそうな雰囲気である。
「先生、マリーナが危ないわ!あの何とか子爵って人、女性でも容赦なさそう!」
コトリーナがナオキヴィッチに助けを求める。
「旦那様、どうか助けてあげてくださいませ!」
「ナオキヴィッチ、君はフェンシングのチャンピオンも獲っただろ?」
モッティと男爵もナオキヴィッチを見つめる。

「ばあか。俺が助けたんじゃ意味ねえだろうが。」
ナオキヴィッチはそう言うと、長身を屈めてのしイカになっているシップの耳元に口を寄せた。
一体何をするつもりだろうかと、コトリーナたちは息を呑んでナオキヴィッチを見ている。

「おい起きろ、二番!」
ナオキヴィッチはいきなりシップの一番嫌がる呼び方を叫んだ。
「え…?」
「二番、そんなとこで寝てるからいつまでも二番なんだ。お前は二番、永遠に二番!」
ナオキヴィッチは二番を連呼する。
「せ、先生…。」
今それをなぜ言うのかと、もしやナオキヴィッチはおかしくなってしまったのだろうかとコトリーナは心配になった。

「二番、二番。世界で誰よりも二番が似合うのはお前だ、二番。」
しかしナオキヴィッチは連呼を続ける。
「僕は…二番じゃない!」
のしイカに空気が入ったかのように、シップは体を起こした。
「何だ、二番じゃねえのかよ。」
ニヤリと笑うナオキヴィッチ。
「残念だな。お前ほど二番がふさわしい男はいねえのに。よ!ミスター二番!」
「ふざけるなあ!!!」
シップが立ち上がった。それは10カウント前に起き上がったボクサーのようだった。
コトリーナ、モッティ、男爵の脳裏にかの有名な歌が流れ始める。

♪立ち上がれ もう一度その足で
♪立ち上がれ 命の炎燃やせ

「僕は…二番なんかじゃないんだ!!」
シップが拳を突き上げた。
「僕は…僕は一番になる男だあ!!」
そしてシップは再び子爵の元へと頭突きをした。
「お前、また来たのか!!」
またのしイカにしようとする子爵。シップもまた倒れてしまう。
「二番、お前の力はそんなものか!!」
そこにナオキヴィッチの檄が飛んだ。
「二番じゃない!僕は二番じゃない!!二番なんて呼ぶなあ!!」
シップの命の炎は今や頂点となった。彼の細い体のどこにそんな力があるのか、あっというまに子爵の上にまたがる。
「二番と二度と呼ぶなあ!!」
シップは子爵ニゴツンゴツンと頭突きを繰り返す。
「痛い、痛い!!誰もんなこと言ってねえだろうが!!」
二番などと呼んだ記憶もないのに、どうして自分が頭突きをされなければいけないのか。

♪君はついに 立ち上がった
♪血に染まった 赤いマットに

攻撃するシップを見ながら、コトリーナたちの脳裏にはまたかの有名な曲が流れた。

「二番なんかじゃない!!僕は一番だ!!」
ゴツン、ゴツンと頭突きを繰り返すシップ。
「痛い、痛いんだよ、離せ!!」
子爵の悲鳴が上がる。子爵の付き人も何とかシップを引き離そうとするのだがシップは離れない。

「僕は二番じゃない!マリーナさんを愛する気持ちは世界で一番なんだああ!!!」
シップはそう叫ぶと渾身の力を込めた頭突きを子爵の額にくらわせた。

その頭突きを見たコトリーナたちの口から同じフレーズが一斉に飛び出した。
「You’re king of kings!!」

♪立たないで もうそれで充分だ
♪おお神よ 彼を救いたまえ



「マリーナさん!」
額から血を流したシップがマリーナに駆けよる。
「大丈夫ですか!お怪我は!」
そう言いながら自分の額から血が流れていることに気が付いたシップは「マリーナさんのお洋服が汚れてしまいますね」と笑った。
「シップさん…。」
マリーナはシップの額に手を伸ばす。そしてハンカチを取出し血をぬぐった。
「ハンカチが汚れてしまいます!」
「いいの。」
シップの額を優しく手当をするマリーナの顔は慈愛に満ちていた。
「私の家、すぐそこなの。よかったらお薬を塗らせて?」
「そんな!」
遠慮して固辞するシップの両手をマリーナが握った。
「助けてくれてありがとう、シップさん。」
「マリーナさん。」
「あなたはとても素敵だったわ。まるで…。」
マリーナはシップを見つめた。
「王子様みたいだった…。」
「マリーナさん…。」



「…元はといえば、お前のせいじゃないか。」
額を押さえながらコトリーナの前に立ったのは、ウォーカー子爵だった。
「お前が俺のこの服に水をかけなければ、俺はこんな目に遭わなかった。」
そして子爵は「痛たたた…」と顔をゆがめる。お付きの人間が「坊ちゃま!」とハンカチで手当てをする。
「お前、覚えてろ。お前ごときの家なんて俺の手にかかったら簡単に捻りつぶせるんだからな!」
「へえ、そうなんだ。」
コトリーナにすごむ子爵の前に、ナオキヴィッチが姿を見せた。
「大した権力があるんだな、お前の家は。」
ナオキヴィッチはコトリーナをかばうようにして立った。
「そうだ、こんな庶民の小娘の家をつぶすくらい簡単だ。」
負けずに威張る子爵だが、ナオキヴィッチの体から醸し出される威厳に怯えている様子は隠せない。
「ふうん、そうか。こいつの家をつぶす、ね。」
ナオキヴィッチはステッキを子爵の喉の前に突きつける。
「な、何だ…。」
「つぶせるもんならつぶしてみろよ。この腐れ外道が。」
「なっ。」
その時、ステッキの持ち手を見た子爵のお付きが目を見張った。
「ぼ、坊ちゃま!坊ちゃま!」
「何だ?」
「あの紋章は!」
「あ?」
自分に突きつけられているステッキに子爵は目を凝らした。そこには紋章が彫られている。
「あの紋章はイーリエ公爵家の紋章でございますよっ!!」
「何!?」
間違いなかった。そこに彫られている紋章はイーリエ公爵家。この国一番の名門の大貴族である。

「なるほど、お前はイーリエ家を簡単につぶせるって言っているんだな?」
ナオキヴィッチはステッキを下ろそうとしない。
「先生、もういいから。」
「お前は黙ってろ。」
止めるコトリーナをナオキヴィッチは黙らせる。
「こいつの家は俺の家。すなわちイーリエ家だ。それをつぶすとお前は今宣言した。そうだな?」
「な、何でこの小娘と…。」
「小娘?」
ナオキヴィッチの目が光った。その迫力に子爵とお付きの背筋に冷たいものが流れた。
「こいつは俺の妻、つまりイーリエ公爵夫人だ。」
「これが!?」
「これって…ひどい。」
コトリーナは目に涙をためて、ナオキヴィッチの上着を掴んだ。
「あ、いや。その…。」
慌てる子爵の喉元に、ナオキヴィッチは更にステッキを近づけた。
「…悪いが俺が本気を出したらお前の家なんて今から一時間後には跡形もなくつぶせる。お前とその一族を無一文で放り出せるんだ。」
「は、はい…。」
「分かったら、とっとと俺たちの前から消え去れ!!」
権力をふりかざす人間はナオキヴィッチが最も嫌うタイプである。
「ひぃぃぃ!」
悲鳴を上げながら、ウォーカー子爵とそのお付きは逃げて行ったのだった。



「よかった…シップさんとマリーナ、うまくいきそう。」
二人を見ながら、コトリーナがナオキヴィッチに寄り添う。
「ね?うまくいったでしょ?」
「…どうだか。」
くたびれたと、ナオキヴィッチはその椅子に腰を下ろそうとした。が、そこに放り出されていたスケッチブックに気が付く。
「何だ、これ?」
「ああ!!それは…!!」
ウェスト男爵がスケッチブックをひったくろうとしたが、ナオキヴィッチはすでにページをめくっていた。
「…。」
めくる度に、ナオキヴィッチの眉間に深い皺が刻まれていく。

「そうだ、先生。」
スケッチブックを見てコトリーナも思い出した。
「先生にも苦手なことがあるのね。知らなかったわ。」
「うふふ」と無邪気に笑うコトリーナ。それを見て頭を抱える男爵。
「苦手…?」
ナオキヴィッチが今開いているページには『愛があるからこそ、あっちがてんでダメでも耐えることができる』と男爵の文字で大きくはきりと書かれていた。
「先生だって人間だもの。ダメなことだってあるわよね。でも大丈夫よ。私はそんな先生も大好き、愛しているわ。」
普段だったらその笑顔で満たされるナオキヴィッチの心も、この時ばかりは全く満たされなかった。それどころか怒りが沸々と湧き上がり続けている。
コトリーナにこんなことを言わせたのは…そして思い込ませたのは…。

「…男爵。あなたって人は!」
「違う、これは恋をかなえるためにだな!」
「うるさい!二度とコトリーナに近づかないでください!」
フェンシングチャンピオンのナオキヴィッチは、ステッキを華麗に操る。それを避けながら男爵は店から逃げ出した。

「…モッティ、ちょっと。」
マリーナとシップと話を始めたコトリーナをよそに、ナオキヴィッチはモッティを呼びつけた。
「何でございましょう、旦那様。」
訊かずとも分かるのだが、訊かずにいられない。
「…止めずに見ていただけということも罪に値するって、賢いお前ならわかっているよな。」
ナオキヴィッチがニヤリと笑った。
「お前、今夜はジュゲムと仲良く休みたいだろ?な?」
「はい、それはもう!ジュゲムちゃんは可愛くて天使ですもの!」
「そうだよな。じゃあ頼むな。」
「かしこまりました!旦那様!」
「俺に不得意なものなど何もないってことを、コトリーナに教えたいんでね。」
「ご苦労様です!旦那様!」
直立不動のモッティは、今夜行くはずだった合コンのキャンセルを連絡しなければと泣きたくなっていた――。







☆あとがき
下の後半を書いているうちに、すごく気分が上昇してきました!
や~このくだらなさがやっぱり私には似合っているんだなあ!
読んで下さった皆様、どうもありがとうございました!







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