日々草子 ブタタマ定食 上

ブタタマ定食 上

『幸福スパイラル』の続きみたいな感じでしょうか?
調べたら『幸福スパイラル』を書いたのは丁度一年前だったのでびっくりしています!
タイトルでピンと来られた方もいらっしゃると思いますが、そうです。あの時の話をあのご夫妻目線で♪









「もうすぐ卒業ねえ。」
「はい!なんとかできそうで安心しているところなんです!」
「そう、よかったわね。それじゃあ卒業後は晴れて主婦ね!」
「主婦だなんて、そんなあ。」
賑やかに話をしているのは琴子と入江家の隣に住む山本の妻である。

「ふうん、卒業かあ。」
妻の話を耳に傾けながらも、山本は釣り竿の手入れに余念がなかった。
「でもね、琴子ちゃんはこのまま主婦になってもいいのかなって悩んでいるんですって。」
山本夫人はそんな夫の湯呑にお茶を注いだ。
「何で?」
「もっと勉強することがあるんじゃないかって。」
「へえ。」
山本は釣り竿から目を離して、妻を見た。
「そりゃあ感心だなあ。」
「でしょう?普通なら卒業、もう勉強しなくていいって喜ぶところじゃない?それなのにまだ勉強したいなんて偉いわよねえ。」
頬に手を添え、山本夫人は心から隣家の嫁に感心していた。
「勉強が好きなんだろうな。」
「そりゃあ、あのお兄ちゃんが選んだくらいですもの。」
隣家のお兄ちゃんこと入江家の長男は超がつく天才で有名なのだった。その直樹が選んだ妻ならば勉強好きであることも当然かもしれない。

この話はここで終わったのだが、この後とんでもない展開が待っていたことを山本夫妻は知らなかったのである。



「あーた、あーた、あーた!!」
会社から帰宅した山本が玄関に入るや否や、賑やかな声が彼を襲った。
「この九官鳥が!!!」
あまりのうるささに山本はつい、妻につけられているあだ名を口にしてしまった。
「それどころじゃないの!大変なの!」
山本夫人は気付くことなく叫び続けた。
「お隣のお嫁さん、家出しちゃったのよ!!」
「何だって!?」

卒業後は主婦になるんだと話していたのは、つい先日のことではなかっただろうか。
あれから二週間も経っていないというのに家出だなんて、そんな波乱万丈な展開を誰が考えていただろうか。



「で?理由は?」
着替えをする暇も与えてくれなかったので、山本はスーツの上着だけを脱いでソファに座った。
「それがね、琴子ちゃん…卒業できないことになっちゃったらしいの!」
「はあ!?」
「何かその…単位の計算を間違えちゃったんですって。」
九官鳥・山本夫人もさすがにそこの口調は弱々しい。

「で、それで家出しちゃったのか?」
単位の計算間違い、確かに滅多にない失敗だろうから恥ずかしさのあまりに家出してしまったのだろうかと山本は考えた。
「まあそれが元の原因っていえばそうなんだけど。」
「元の原因?」
「それが原因で、お兄ちゃんに責められちゃったんですって。」
「責められた!?」
山本は隣のお兄ちゃんの顔を思い浮かべる。
「ええとね、入江さんの奥さんによると落ち込む琴子ちゃんを慰めるどころか、酷い言葉を投げつけたらしいの。」
「酷い?どんな?」
「お前みたいな馬鹿を嫁にした俺が恥ずかしい。お前なんてどこぞの馬の骨とでも浮気していいから出て行けって言ったらしいわ。」
「うわ…それはちょっとひどいな。」
「でしょう?お隣の奥さん、ワンワンと泣きながら息子の非情さを私に訴えていたもの。」
直樹が琴子を馬鹿と言ったことは事実であるが、浮気をする云々は琴子の売り言葉に買い言葉である。それを琴子びいきの紀子がかなり話を誇張させて伝えていることなど、山本夫妻は知る由もなかった。

「しかもね、実家に帰れって言ったんですって!」
「実家って、あの子は…。」
「そうよ!お父さんと一緒にお隣で暮らしているのよ!つまり実家なんてないのに、そんなことを言ったのよお!!」
これも先に実家に帰ると言ったのは琴子である。が、紀子はここも誇張して伝えていた。

「もうお隣の奥さん、あんな冷たい息子に育てた自分が悪かったって泣いてばかりなの!」
「いやあ、あの御夫婦なのに息子がああなのはもう仕方がないことだ。」
こうして山本夫妻の中で直樹の株は大暴落を続けていくのである。



「今日も帰って来ないって、奥さん心配してらしたわあ。」
琴子が家出してから一週間が経とうとしていた。
帰宅した夫の脱いだ上着を受け取りながら、山本夫人は深い溜息をついていた。
「そうか。どこに行ったんだろうなあ。」
ネクタイを外しながら山本も溜息をつく。
「お兄ちゃんも全然探そうとしないって、奥さんはカンカンなの。」
「まあ、男ってのはそんなものなんだな。」
着替えを終えた山本のふと漏らした言葉に夫人の顔が変わった。
「そんなものってどんなものなのよ!」
「いや、何だな。男ってのは面子が大事だからなかなか迎えにとか行けないんだよ。」
「ああ、そうだったわ!新婚の時のあなたもそうだったわ!」
まずい思い出をどうやら妻の中に掘り起こしてしまったらしい。山本はしまったと思ったが、もう九官鳥の口を閉じることはできなかった。

「何が面子よ!妻が大事じゃないのかしら!」
「いやそれとは別なんだよ。だからなあ…。」
「こうなったら、もうお兄ちゃんが両手をついて額を砂利につけない限り戻らなくてもいいわ!」
「落ち着けよ!」
「何よ、男なんて最低!」
もう妻を宥めることは無理だと悟った山本は、明日の釣りの準備を始める。

「フン、どうせヤカンしか釣ってこないくせに!」
「…。」
確かに最近釣果はかんばしくないので山本は何も言い返せなかった。
「釣るんだったら、琴子ちゃんを釣ってほしいものだわね!そうすればお隣の奥さんだって喜ぶし!」
「できることならそうしたいよ」と山本は心の中で呟いた。
釣り竿を振って琴子が釣れるのならば、どんなにましか。

「あら、裕樹くんはまたお散歩なのね。」
窓から外を眺めた山本夫人は、チビを引きずるようにして散歩に出かける裕樹を見つけた。
「まあ、体は絞ったに越したことがないからな。」
最近ちょっと大きくなり過ぎた感のあるチビを思い浮かべながら、山本は答える。
「そうねえ。裕樹くんだっていつまでもマトリョーシカでいたくないですもんね。お年頃だしガールフレンドだってほしいでしょうし。」
勝手に太り過ぎなのは裕樹だと思い込み、サイドボードに飾られているマトリョーシカを山本夫人は手に取った。
「真面目に散歩を続けたら、裕樹くんもいつかマトリョーシカからトーテムポールになれるかもしれないしね。」
「…なれたらいいけどな。」
そう答えながらも山本は、入江家の主である重樹を浮かべながら「父親の遺伝子を受け継いだらマトリョーシカのままだろう」と思っていた。

「ねえ、あーた!!」
マトリョーシカを手にしたまま夫人は山本の隣に座った。
「琴子ちゃん、大丈夫かしらね?」
「確かに心配だな。」
「まさか…変な組織に売られたりして東南アジアなんかに連れ去られたり…。」
「お前、小説の読み過ぎだ!」
「だって琴子ちゃん、可愛いもの!騙されちゃったりしてないでしょうね?」
「結婚もしている成人なんだぞ!そうホイホイとだまされるもんか!」
「そう?」
「ああ。琴子ちゃんに失礼だ。」
「そうね。そんな簡単にだまされたりしないわよね。」

…その想像は半分当たることになるのだが、この時の山本夫妻はそのようなことに気付きもしなかった。



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