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2011.12.31 (Sat)

一輪の花 24


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「今日はどんな服を着ているんだ?」
直樹に訊ねられると、琴子はその手を自分の襟元へと導く。
「襟と袖口にはレースがあしらわれているわ。」
「本当だ。」
「生地は紺色。共布のリボンでこう結んでいるの。」
直樹はゆっくりと琴子の髪に手を伸ばした。
サラサラと触り心地のいい髪の毛がくすぐったい。

琴子がどんな服を着ているのか、直樹は触れてそれを確認することが日課となっている。
今日の琴子の服は、清楚な令嬢ファッションといったところだろうか。
――これで外に出たら、声をかけられそうだな。

結婚して「若奥様」と呼ばれるようになった琴子だが、自分で外に出て買い物をすることはやめていない。
お気に入りのパン屋にも足繁く通っている。
そんな琴子に地元の男が声をかけてくるのではないかと、直樹は少し心配になった。

「これも奥様、じゃない、お義母様が送って下さったの。」
そして琴子の服は週に一度の割合で紀子が東京から送って来るものだった。
服だけじゃなくアクセサリーや靴まで一緒に送られてくる。
「何だか悪いわ。」
「いいんだ、元々おふくろは娘がほしかったんだから。」
「そうなの?」
「ああ。念願の娘ができて喜んでいるんだろう。付き合ってやってくれ。」
琴子のことは嫁ではなく、娘として紀子は接している。
しかもその溺愛ぶりは増す一方だった。
重樹も同様で、二人とも琴子を実の娘以上に愛している。
今はこの分で済んでいるが、東京に戻ったらどうなることだろうか。



そして琴子の日課はもう一つあった。
「ええと、○△大臣は国会で…。」
たどたどしく新聞を読み上げる琴子。
難しい漢字は苦手でよく間違えてしまうのだが、直樹は見事な勘でそれがどの漢字であるかを当てて、琴子に教えてくれる。

「あっ。」
新しい記事を読もうとした琴子の声が止まった。

「どうかしたか?」
なかなか続きを読もうとしない琴子に、直樹が声をかける。
「…大泉子爵様が。」
「あの男が?」」
舅となるはずだった人間を「あの男」と直樹は冷たく呼び捨てた。
「…警察で調べを受けたって。」
言いにくそうに琴子が答えた。

「あの…放火事件の犯人を調べるうちに子爵様との関係が分かって。」
「色々後ろ暗いことをやっていたんだろ。」
何をしてきたかは想像がつく。自分の家のためなら何でもする男である。
琴子への仕打ちを直樹は忘れてはいなかった。
直樹としては刑務所でもどこでも入ってほしいものだが、父親である大泉伯爵は色々な縁故がある。おそらくその力が発揮され罪には問われまい。
それが直樹には癪だった。

「沙穂子さんが心配だわ…。」
琴子が漏らした一言に、
「よくそんな心配ができるな。」
と、琴子の人の良さに直樹は呆れていた。
「あれだけの目に遭わされたってのに。」
「でも沙穂子さんには関係ないことだもの。」
確かに酷い言葉を沢山投げつけられた。だが沙穂子だって巻き込まれただけのような気がする。あれだけの目に遭ったら自分だって同じことを誰かに口にしていたのではないだろうか。
そしてその沙穂子をまるで追いやるようにして、自分が直樹と結婚したことが琴子は心苦しくなった。

「お前は何も気にするなって言っただろ?」
直樹には琴子が落ち込んでいることが分かっていた。
「あの人を追い出したわけじゃない。あっちが勝手に出て行っただけだ。」
確かに直樹の目の状態を知るなり、出て行ったのは大泉家である。

「琴子。」
直樹が手招きをした。琴子は立ち上がり、直樹の傍に立った。
直樹は琴子の頬を両手で引っ張った。
「痛い!!」
「お前、今日ちょっとむくんでねえか?」
「嘘!」
頬を撫でる琴子の唇に、直樹は器用に自分の唇を重ねた。
「…寝不足?」
いたずらっぽく訊ねる直樹に、琴子は言い返す。
「…誰かさんが寝かせてくれないからよ?」
その答えに直樹がクスクスと笑い、重苦しかったその場の雰囲気が明るくなった。



直樹と結婚したことを、琴子は桔梗尼へ手紙で知らせていた。
桔梗尼の喜びにあふれている返事がすぐに届いた。
「啓太さんも元気ですって、よかったわ。」
琴子は桔梗尼からの手紙も直樹に読み聞かせている。
その中に出て来た「啓太」という名前に、直樹は眉を動かした。
「誰だ?」
「あのね…。」
自分が行き倒れになった時に助けてくれた、桔梗尼の幼馴染だということを琴子は直樹へ話した。
「入江のお屋敷にも、啓太さんのお店の材木が使われているのよ。」
「へえ。」
「啓太さんって、すごく心配症なの。」
琴子はクスッと笑った。
「どんな風に?」
「私が直樹さんの所へ行くって言った時、絶対に騙されているんだって止められたの。とっても優しいのよね。」
「へえ…。」
それは優しさというより、その啓太という男が琴子を好きだったのではないだろうかと直樹はピンと来た。
「そいつ、独身?」
「ええ、そうなの。」
「やっぱり。」
「え?何?」
「いや、何でもない。」
まったく気が付いていない鈍感な妻である。余計なことを言う必要はない。
「いつか二人でお礼を言いに行こうね。」
「いつかな。」
と直樹は答える。
――ちゃんと啓太って奴に釘を刺しておかないと。
そんなことに琴子は気付かずに手紙を丁寧に封筒へ戻していた。



「…直樹さんと別荘の周りを散歩しました。」
琴子は紀子に手紙を書いていた。
直樹は少し離れた所でレコードを聴いていた。
そして横のテーブルの上には、琴子が焼いたクッキーの皿が置かれている。
目の見えない直樹が指で楽しめるようにと、色々な形に琴子は作っていた。

「これは何だ?鬼か?」
直樹の言葉に琴子がキッと厳しい顔を見せた。
「それはお星様!何で鬼なんて作らなければいけないのよ!」
「きっと今のお前の顔は鬼そっくりに違いない。」
「失礼な!天使のような私に何てことを!」
そうは言っても、不器用な琴子が作ったものである。星のようで星になっていない。
「苦い。」
口にした途端顔をしかめた直樹に、
「良薬は何とかって言うじゃない。」
と琴子は笑って誤魔化そうとする。
「薬じゃねえだろ、これは。」
呆れつつも、直樹は琴子の明るさにかなり救われていた。

直樹と琴子が結婚してから三カ月が経過しようとしていた。
直樹の療養生活は合計半年になろうとしている。
しかし、直樹の目はよくなる気配がなかった。
それでも直樹が荒れなかったのは、琴子が常に傍にいてくれるからだった。
琴子は朝から晩まで、直樹の傍にいた。
だが琴子の介助は決して押しつけがましいものではなかった。
直樹が自分でできることは手を出そうとしない。
直樹の誇りを傷つけないように琴子は心がけていた。
それが直樹には心地よく、琴子を片時も離そうとしない理由でもあった。



「おふくろも暇だよな。」
レコードの曲が止まった時、直樹が口を開いた。
「そんなに俺が心配なのかよ?」
「そうじゃないわよ。」
琴子が紀子を庇う。

紀子からは電話もよくかかってきたが、手紙も頻繁に届いていた。
もっとも内容は直樹の様子よりも琴子を心配してのものが多い。
「直樹さんにいじめられていない?ちゃんと優しくしてもらっていて?」
愛想のない息子の嫁が紀子は心配で堪らないのである。
その度にちゃんと優しくしてもらっていることや、とても幸せであることを琴子は話していた。
そして琴子は、電話や手紙で必ず直樹の様子を報告している。
やはり親なら息子が心配だろうと思ってのことだった。
直樹と琴子の負担にならないよう、自分たちの気持ちを抑えているに違いない。
琴子は重樹たちの気持ちを慮り、細かく直樹の様子を知らせるよう務めていた。

「直樹さんがご飯のおかわりをしましたって、書いておいたわ。」
「はあ?何だ、それ!」
「ちゃんと食欲があることを報告しておかないと。」
琴子は歌を歌いながら、便箋にペンを走らせる。
「ったく、俺は子供じゃねえんだぞ。」
そう直樹が文句を口にした時だった。
「…?」
琴子の方へ顔を向けていた直樹の顔が変わった。
「直樹さんはお風呂もちゃんと入っています…。」
そんな直樹に気付かず、琴子は手紙を書き続けている。

「琴子…。」
「はい?」
便箋から顔を上げずに、琴子は返事をした。
「…お前、ネックレスしてる?」
「ええ、この間お義母様から頂いたネックレスを。」
琴子の白い首には、銀のネックレスが上品な輝きを放っていた。
琴子は手紙に夢中になっている。

「琴子。」
また直樹が琴子を呼んだ。
「なあに?」
「今日は髪の毛を上に一つにまとめているんだな。」
「ええ、ちょっと雰囲気を変えてみようかなって。」
「そうか。」

琴子のペンが止まった。

――今朝、直樹に髪型について話しただろうか?

モスグリーンの服を着ていることは話した。
ネックレスについては?琴子は考える。
ネックレスは、今日の服の襟が少し開いていることが気になって先程つけたばかりだった。
直樹はそれから自分に触れただろうか。
いや、それはなかった。

「直樹さん?」
琴子は顔を上げた。
「今、顔を上げただろ?」
直樹が笑っている。

「目が…?」
琴子はペンを放り投げ、震えながら直樹の傍へ歩み寄った。
「まだぼんやりとだけどな。」
「今、私がどんな顔をしているか見えるの?」
「鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。」
琴子は驚きと嬉しさのあまり、言葉が出なかった。
その琴子に、直樹が両手を伸ばす。その手は真っ直ぐ琴子に向けられている。

「俺の可愛い琴子。」
直樹の言葉に誘われるように、琴子はその腕の中に飛び込んだ。
「直樹さん…直樹さん…。」
「やっとお前の顔を見ることができたよ。」
泣きじゃくる琴子の髪を、直樹は撫でていた。

それからすぐ、琴子は東京に電話をかけ直樹の視力が戻りつつあることを報告した。
勿論重樹たちが大喜びしたことは言うまでもなかった。

病院に行くため、琴子たちが東京へ出発したのはその翌日だった。
段々はっきりと見えるようになると医師から言われ、直樹と琴子は手を取り合って喜んだのだった。

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