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2011.12.27 (Tue)

一輪の花 21

長くなったので一度ここで。
22話はそのうちにUPします。






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入江家ほどの財産家ともなれば、別荘だって一つや二つではないことを琴子も知っている。
琴子が最初に直樹たちと出会った別荘の他に、重樹たちが療養していた別荘もある。
しかし琴子は、直樹はやはりあの別荘にいるような気がしていた。
確証は全くないが、そんな気がしてならない。

汽車を下り、最初の時と同じように鞄一つを手に琴子は道を歩いていた。
あの時の唯一の目印だった教会が見えた。
「ここからがまた、結構歩くのよね。」
クスッと笑いながら、琴子は鞄を持ち直す。

歩きながらあの時のことを思い出していた。
後ろから馬の蹄の音が聞こえ、思わず飛び出してしまったこと。
「やっぱり、あれは今でも意地悪だと思うわ。」
訊ねる先の住人だったというのに「知らない」と答えた直樹の顔を思い出すと、また笑いがこみあげてくる。

今でも後ろから馬の蹄の音が聞こえるのではないかと、琴子は時折振り返った。
しかし、誰も来る気配はない。



「…着いた。」
ようやく入江家の別荘の前に琴子は辿り着いた。
東京のあの大豪邸を見た後でも、こちらもやはりかなりの豪邸だと思うたたずまい。

沙穂子がここにいないことは、本人には申し訳ないが琴子はよかったと思う。
「ご子息の家庭教師をしていた」ということで、中へ入れてもらえるのではないかと思いながら、呼び鈴を押した。



「相原先生じゃございませんか!!」
応対に出た執事が、琴子の顔を見て喜んでくれた。
「執事さん、この度は大変でしたね。」
「…はい。」
執事の目に光るものがあった。思わず琴子も涙ぐむ。
「執事さん、お元気そうで。お民さんやほかの皆さんもお元気ですか?」
「はい、こうして全員でお仕えできております。」
「それでは皆さんはこちらにいらっしゃるのですね?」
「はい。旦那様と奥様が私共も一緒にこちらに連れて来て下さいました。」
「それはよかったですね。」
やはり直樹たちの両親は使用人にも優しい人柄であった。
「こうして私共が無事なのも、直樹様のおかげなのです。」
「直樹さんの?」
「直樹様が私たち全員を避難させて下さいました。でも…。」
「でも?」

その時、
「琴子!!」
という声が聞こえた。
そこには裕樹が立っていた。
「裕樹くん!!」
裕樹が琴子の姿を見つけて駆け寄ってきた。
「お前、生きていたのかよ?」
言葉は沙穂子と同じだが、裕樹のそれは心底心配していた気持ちがあふれていた。それは裕樹の顔を見れば一目瞭然であった。

「裕樹くんこそ!怖かったでしょうに…。」
裕樹も怪我をしている様子はなかった。だが精神的にはかなりまいっているに違いない。
「僕は平気だよ。お兄様のおかげで。」
「直樹さんのおかげ?」
「そうだよ。僕やお父様たち、それにみんなのことをお兄様が逃がしてくれたんだ。」
「まあ…。」
琴子の目に、直樹が皆を誘導している姿が浮かぶ。
責任感の強く、思いやりのある直樹だったらそうするに違いない。

「裕樹坊ちゃま、とりあえず先生をご案内しましょう。」
執事が話題を変えた。しかしどこか様子がおかしい。
「あ、そうだね。」
裕樹もあっさりと同意する。

何だかおかしいと思いながらも、琴子はここに来たことが正解だったことに安堵したが、すぐに自分の姿に慌てる。
「何だよ?」
「いや、汚れているから…。」
大泉家で子爵に玄関から放り出されたことで服は泥だらけだった。
そういえばここに来るまでの間にやたら視線を感じていたが、改めて見るとひどい有様である。
「お前の顔なんて、今更きれいにならないよ。」
「顔じゃなくて!」
「いいから来いよ。」
裕樹は全く気にしていない。執事も「大丈夫ですから」と頷いて琴子を案内する。

「こっちにお父様たちがいるから。」
居間の前で、琴子は緊張が高まった。
あの時は直樹と裕樹だけであったが、今度は一家が揃っているのである。

「お父様、お母様。琴子が来た。」
「ちょっと裕樹くん、何て言い方を…。」
まるで猫が来たかのような裕樹の口ぶりに驚きつつ、琴子は後に続いた。



「まあ…遠いところを。」
居間にいたのは、温和で優しそうな初老の男性と、これまた美しい婦人だった。
そして最初に口を開いたのは婦人―兄弟の母だった。

「はじめまして、相原琴子と申します。裕樹くん…いえ、裕樹坊ちゃんの家庭教師を…。」
二人の両親とはいえ、上流階級の人間であることは違いない。琴子は「裕樹坊ちゃん」と使用人らしく呼び直したのだったが、
「まあまあ。そんな堅苦しい呼び方はおやめになって。」
と、兄弟の母、紀子が微笑む。
「そうだよ。」
そして兄弟の父、重樹も頷いている。

「あなたのことは裕樹からよく聞いていましたのよ。」
「え?」
琴子は裕樹を見た。裕樹は照れたようにプイと横を向いてしまった。

「とても面白い家庭教師の先生がいらしたって、裕樹が手紙に書いていたんです。」
「手紙を?」
裕樹がそのような手紙を書いていたことなど、琴子は知らなかった。
「そうそう。家に籠りっきりの裕樹が馬に乗れたのも先生のおかげだったそうですね。」
重樹も嬉しそうに話す。
「本当によくしていただいて。私たち親が傍にいられなかった時、誕生パーティーまで開いて下さったんでしょう?」
「裕樹が寂しい時はパンを買って慰めてくれたそうじゃないですか。」
「そんなことまで、裕樹くんは話していたんですか?」
どうやら裕樹は琴子とのことを事細かに手紙に書いていたらしい。

「裕樹が他人様のことを熱心に話すことなんて、今まで一度もなかったんですよ。」
重樹が目を細めた。
「しかも直樹さんと対等に話す女性でもあるなんて楽しい方がいらしたのねと、主人と喜んでおりました。」
そして二人は、
「本当にうちの息子たちがお世話になって、ありがとうございました。」
と琴子に頭を下げた。

「いえ!とんでもないです。私は何一つお役に立てませんでしたし。」
そして琴子は思い出す。
「この度は何と言っていいか…。」
火事が起きたことを知り、心配で駆けつけてきたと重樹たちに話した。

「あの…直樹さんはどちらにいらっしゃるのでしょうか?」
この場に直樹の姿はなかった。
先程から直樹の名前を出すと裕樹も執事も表情が変わる。
そして、それは重樹たちも同じだった。

「お父様、お母様。」
その時、裕樹が口を開いた。
「僕がお兄様の元へ連れて行くよ。」
そう話す裕樹の表情は曇っている。
「琴子だったら、大丈夫だと思う。」
「そう…?」
心配そうな紀子であるが、重樹が口を添えた。
「そうだな。裕樹がそう思うのなら大丈夫だろう。」
「そうですわね…。」
「直樹さん、お怪我をされているのですか?」
会話から察すると、あまりいい状態ではないような気がする。
だが生きていることは間違いない。
琴子は直樹に会いたかった。
もう沙穂子のことなど気にしている余裕は琴子にはなかった。ただただ、直樹の顔を一目見たい。
「ちょうどお茶の時間ね。」
時計を見て紀子は女中を呼んだ。

「まあ、相原先生!!」
やってきたのはお民だった。
「お民さん!」
二人は手を取り合って再会を喜んだ。それを重樹たちも嬉しそうに見ている。
「先生、お元気だったんですね!」
「ええ、お民さんも!」
「お民、直樹さんにお茶を持っていく時間でしょう?」
紀子がお民には話しかけた。
「はい。準備はできております。」
「それじゃあ、今回はこちらの先生にお願いしましょう。」
琴子に紀子は笑いかけた。
「私がお持ちしていいのですか?」
いきなり自分が行ってもいいのだろうか。ここにはいないが直樹には沙穂子という妻がいる。妻が留守の間に部屋まで行くのはまずい気がする。
「お願いします。きっとその方が喜ぶでしょう。」
重樹も勧める。琴子は引き受けることにした。



裕樹と共に、琴子はお茶の道具を持って歩いていた。
「さっきね、ここまでの道を歩いていたら思い出したの。」
「何を?」
「直樹さんと初めて会った時のこと。後ろから馬に乗って直樹さんが来たのよ。」
琴子は話し続ける。
「今も来るんじゃないかなって、何度も振り返っちゃった。」
緊張を和らげたい思いと、直樹が重傷ではないことを祈りながら琴子はそんな話をした。

「琴子…。」
裕樹の足が止まった。
直樹の部屋はもうすぐそこだった。

「お兄様…馬に乗ることができないんだ。」
「え…?」
それは一体…琴子は足が震える。

「お兄様は僕たちを逃がしてくれた。全員が避難するまで自分は逃げないって言って。」
燃えさかる中、直樹は大声で「逃げろ!」と叫び続けていたという。
「お兄様が安全な逃げ道を教えてくれたから、僕たちはみんな助かったんだ。」
「裕樹くん…。」
「お兄様はみんなが逃げたことを確認して、自分も一度は家を出ようとした。だけど…何を思ったのか、引き返してしまったんだ。」
「引き返した?」
「そう。理由は分からない…。」
そこまで話した時に、直樹の部屋に到着した。

裕樹は直樹の部屋のドアをノックした。
「…どうぞ。」
直樹の声が聞こえる。ということは意識はあるのだろう。
「お兄様、僕だよ。」
裕樹が中へ入った。琴子も静かに入る。



部屋の中で、直樹は椅子に深く腰をかけていた。
背中をこちらに向けているので、表情は分からない。

「お茶か?」
「うん、そう。」
裕樹は琴子に目配せをした。琴子はテーブルの上に静かにお茶の道具を置いた。
「…お民じゃないな?」
直樹の声が聞こえた。
「誰だ?新しい女中か?」
直樹の声を聞きながら、琴子は思った。
なぜ直樹はこちらを向こうとしないのだろうか。
自分たちの方を見れば、すぐにそこにいるのが琴子だと分かるのに。
「僕は行くね。」
裕樹は琴子に目で合図を送り、部屋を出て行った。

琴子はティーポットから紅茶をカップに注いだ。
「悪いが、ここまで運んでくれ。」
新しい女中だと思っている直樹は指示した。
琴子は言われるとおりに、直樹の傍までお茶を運んだ。
そして直樹の傍の小さなテーブルにそれを置いた。
「ありがとう。」
直樹は礼を言うと、カップに手を伸ばす。が、その手付きはおぼつかない。

――まさか…。

琴子は信じられなかった。

「名前は?」
直樹は名前を訊ねた。
「…子です。」
「え?」
よく聞こえなかったと、直樹は琴子の方を見た。しかしその視線は琴子に辿り着いていない。
「悪い、よく聞こえなかった。」
「…琴子です、直樹さん。」
「…!」
直樹の手からカップが落ちた。テーブルに紅茶の染みが広がっていく。

「琴子…?」
「…そうです。相原琴子です。」
涙をこらえながら、琴子は繰り返したのだった。

この時、琴子は直樹の目が見えていないことを初めて知ったのだった――。



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