日々草子 一輪の花 17

一輪の花 17

拍手コメントのお返事が遅れていて申し訳ございません。
少しずつ書いていますので、今しばらくお待ちください。









「直樹さんは沙穂子さんと結婚するべきだと思う。」
二人きりの書斎で、琴子は言った。

琴子が直樹と結婚するつもりはないということを聞き、大泉の男たちは笑顔で帰っていった。

「お前、あいつらがどれだけ酷い奴らか分かっているだろ?」
「あいつらって、そんな言い方はやめるべきだわ。やがてはお義父様とお呼びすることに…。」
「絶対呼ばない!」
直樹は語気を強めて言った。

「お前にあんなことをした奴だぞ!」
琴子に良からぬ縁談を持ち込み、さらに危険な目に遭わせたのである。
それをどうして許すことができようか。
「お前はあいつらと俺が親しく付き合えと言っているんだぞ?」
そんな人間と親戚になれと言う琴子の真意が直樹には理解できない。

「でも、あの方と直樹さんが結婚するわけじゃないでしょう?直樹さんのお相手は沙穂子さんじゃない。あの方のしたことは私だって許せない。だからといって沙穂子さんに罪はないわ。」
確かに沙穂子は父親のしたことを知らないだろう。
だが琴子を妾にするという話に同意したことは、直樹には許せなかった。
あまりに琴子を軽んじていると思う。

「…俺は沙穂子さんに何の愛情も抱いていない。」
直樹はきっぱりと告げた。
「それは本人にも伝わっているはずだ。」
「でも沙穂子さんは直樹さんを愛しているわ。この世界の誰よりも。」
琴子も直樹を見据える。

「婚約をしたということは、直樹さんだって沙穂子さんと一緒に生きていくことを決めていたということでしょう?あんなに優しかったじゃない。そして…。」
そこで琴子は口を噤んだ。
「そしてキスもしていた」と言いかけたのだが、そこまでは口にできなかった。

「結婚なんて家のためだと思っていたからな。」
直樹は婚約当時に思いを馳せる。
今思うと、どうして愛してもいない相手と結婚するつもりだったのだろうかと笑えてくるくらいだ。
沙穂子はきっと良き妻となることは分かっている。直樹を第一に考えてくれるに違いない。
そして自分も沙穂子に相応しい夫であろうとするだろう。
そう思っていた――琴子と出会うまでは。

琴子と出会い、直樹は初めて、人の喜ぶ顔が見たいと思うようになった。
その顔は琴子が笑っている顔である。
そのためなら何でもしてやりたい。
そして、できることなら一生自分の隣でその笑顔を見せてほしい。



「俺はお前を愛している。」

直樹はとうとう口にした。

「だから婚約を破棄した。俺が結婚したいのはお前しかいない。お前の幸せだけを考えて生きていきたい。」

「…直樹さんと結婚することは、私の幸せにはなりません。」

琴子の返事に、直樹は崖から突き落とされたかのような錯覚を感じた。

やはり…琴子は自分のことを何とも想っていなかったのだ。
その事実を突きつけられ、直樹はめまいを起こしそうになる。

琴子は泣きそうになるのを堪えていた。
直樹が自分を愛してくれていた。結婚したいとまで言ってくれた。
絶対叶わない夢が、ついそこまで来ている。だが自分はそれを掴むことはできない。

「私の幸せは、直樹さんと沙穂子さんが結婚して幸せになることよ。」

自分さえいなければ、二人は結婚していたのである。
沙穂子があんなに悲しむことはなかった。
沙穂子はあそこまで激しく直樹を愛している。
恥も外聞もかなぐり捨て、直樹への愛を叫んでいた沙穂子。
自分の小さな恋心など、沙穂子に敵うはずがないことを、琴子はあの時痛いほど知らされた。



「沙穂子さんはとてもいい奥様になるわ。直樹さんも幸せになれることは間違いない。」
「それが俺の幸せだと?俺の幸せは…。」
「直樹さんが私へ抱いているものは愛情ではない。それは同情なの。」
琴子は自分に言い聞かせるように言った。
「今まで会ったことのない人間が突然目の前に現れて、それで不思議な感情を抱いてしまっただけよ。」
琴子は泣き叫びたかった。自分も愛していると叫べればどんなにいいだろうか。

「…そんなことはないと言っても、お前は信じてくれないんだろうな。」
ここまで言い張るということは、琴子は本当に自分を愛していないのだろう。
沙穂子への遠慮などでもあるまい。

――無理もないか。

あれだけの目に遭ったのである。
金持ちの人間など勝手だと、琴子が軽蔑しても仕方がない。
大泉の男たちと自分をひとくくりにされるのは不本意であるが、琴子から見れば皆一緒なのだろう。
そのような人間が生きる世界に、琴子が飛び込みたいと思うわけがない。



「直樹さんと沙穂子さんが並ぶ姿を見られることを、私は心から祈っている。」
「それがお前の幸せでもあるんだな?」
直樹は念を押す。できることなら違うと、ここで意見を翻してほしい。
「ええ。」
何の迷いも見せることなく、琴子ははっきりと頷いた。
直樹は目を閉じた――。

以前、琴子のことをどんな雨嵐にも負けずに咲く野の花のようだと思ったことがあった。
野に咲く一輪の花、それが直樹の琴子に対するイメージである。
その一輪の花を、こんな汚い世界に引きずり込んだらすぐに枯れてしまうだろう。
永遠に、自分が愛したままの姿で咲き続けて――。

それも愛情の一つだと、直樹は自分に言い聞かせた。

「…大泉家に謝ってくる。」
本当に愛する人間と結婚できないのならば、誰と結婚しても同じだろう。
沙穂子と結婚することが、琴子の喜びだというのなら従おう。
直樹の心は決まった。

「よかった。」
琴子は笑顔をやっと見せた。
これで琴子の笑顔を見られるのならば、自分の選択は間違っていないのだろう。
愛されなくとも、愛する女性の喜ぶことだけはしてやりたい。

「…長い間お世話になりました。」
琴子は直樹に頭を下げた。それは直樹も分かっていたことだった。
これ以上琴子をここに置いておくわけにはいかない。
琴子もいたくないだろう。

「琴子。」
部屋を出ていこうとする琴子を、直樹は呼び止めた。
「…これでお前は本当にいいんだな?」
我ながらしつこいとは思うが、直樹は聞かずにいられなかった。
「…ええ。」
琴子は明るく頷き、部屋を出て行ったのだった。



婚約解消は翻された。
直樹の気がまた変わらないうちにと、大泉家は沙穂子の婚礼家具を入江家に運び込み始める。
それを裕樹が複雑な気分で見ていた。

「…いいの、本当に?」
仕事に夢中になっている兄に、裕樹は訊ねた。
直樹が琴子を愛していることは、薄々気が付いていた。
それなのに、どうしてこんなことになっているのか。
しかも琴子は出て行くという。

「お兄様?」
裕樹にいくら尋ねられても、直樹は何も答えることはなかった。



「今まで世話になった。」
直樹は琴子を書斎に呼び出したのは、新婚夫婦の部屋の支度が全て整った頃だった。
「これを。」
直樹は机の上に、真っ白い封筒を出した。かなり分厚いものである。
「…大体こんなものだろうかと俺が見当をつけた金額を入れておいた。お前の希望に沿いたいから、遠慮なく足りなかったらそう言ってほしい。」
琴子は封筒を手に取った。中を覗く。
「…これだけあれば、当分暮らせるわ。」
「そうか。」
「さすが大財閥ね。」
琴子はクスッと笑った。

――どうする?大財閥の坊ちゃんたち?

最初に会った時、挑戦的な態度だった琴子を直樹は思い出した。
あの時、琴子が何と言おうと追い返していればこんなに辛い別れをせずに済んだ。
だが過去をどうこう言ってもしょうがない。



そして翌朝、まだ太陽も昇りきっていない薄暗い中。
琴子は来た時と同じ、古い鞄を手に勝手口に向かっていた。

「相原先生…。」
琴子は驚いて振り返った。
そこには執事、お民を始めとする女中たち、料理人が立っていた。

「皆さん、どうして…。」
「何となく先生は、今日去って行かれるんじゃないかと思って。そうしたらこのような物が。」
お民が目に涙を溜めて、手紙を見せる。それは琴子が書いた使用人たちへの感謝の言葉と挨拶なしに去ることのお詫びの手紙だった。

「お世話になりました。」
琴子は頭を下げた。
「相原先生!」
皆涙を流して、琴子を見ている。琴子も泣きそうになるのを必死で堪える。
これだから、別れを言わず黙って出て行こうと思ったのに…。

「私は先生が直樹様とご結婚されたらと思っておりました。」
お民が鼻をすすりながら言った。
「そんな、だって直樹さんには…。」
「ええ、ええ。承知しておりますとも。でもそれでも私は…。」
「私たちもそうなったらどんなにいいかと思っておりました。」
他の女中たちがお民に続く。執事も普段ならば女中たちの口を止めるところだが、何も言わない。
「沙穂子さんはとても素敵な奥様になられます。皆さんにもきっとよくして下さいますよ。」
笑顔で琴子は答えた。

「せめて…せめて明日までいらして下さったら、旦那様と奥様にお会いできたのに。」
明日に別荘から、重樹と紀子が戻ってくる。
だから琴子は今日を出発の日に選んだのだった。
「奥様は先生のこと、絶対お好きになるはずです。」
「まあ…。」
お世辞でも嬉しい。
直樹と裕樹を生み育てた両親に、琴子も会ってみたかったと思う。

そして琴子は皆に惜しまれながら、入江家を後にしたのだった。
直樹から受け取った現金を手つかずのまま、机の上に残して――。



一週間後。
直樹と沙穂子の結婚式が華々しく、教会で行われた。
その教会は街の中心にあり、花婿と花嫁が教会から出てくると歓声が響き渡った。

「何てきれいなお二人なんだろうね!」
街の住民たちが、一目見ようと教会の塀にしがみついている。

「あの花嫁様は伯爵さまのお孫様だって!」
「どうりで美しい衣装だわ!」
女性たちが溜息をつくのは、花嫁のウェディングドレスである。
遠くからでもキラキラと輝くティアラ、パールが散りばめられたドレス。
それらに身を包んだ沙穂子の美しさがいつも以上に輝いている。

「あら、あんたも見たいのかい?」
花嫁に目を奪われていた子供を背負っている女性が、ぽつんと離れた場所に立っている若い女性に気がついた。
「いえ、私はここで…。」
「若いんだもんね、憧れちゃうよね。」
元がお節介なのだろう、女性は若い女性の手を引いて「どいて、どいて」と前へと進む。
そして二人は最前列に出た。
「どうだい?きれいだろう?こんなにきれいな花婿様と花嫁様は見たことがない。」
「ええ、本当に…。」
若い女性、琴子は素直に素敵だと思っていた。
やはり沙穂子は美しい。そしてその沙穂子の手を取っている直樹の何と凛々しいことか。
色々あったが、やはりこうなることが正解だったのだと思う。

「あの様子では花婿様はべた惚れなんだろうねえ。」
「そりゃあそうだろうよ。ほら、また見つめ合った!」
周囲の声を聞きながら、琴子は俯く。
自分で決めた結果ここにいるというのに、なぜだろうか。たまらなく惨めになる。

「お餅を配るって!」
この度集まってくれた人々に、入江、大泉両家からささやかなお礼を配るのだという。
人々が「わあ!」と声を上げ、配る人間の元へと駆け寄る。

「それえ!!」
掛け声と共に、半紙に包まれた餅が宙を舞う。
それを取ろうと、無数の手が伸ばされる。
とてもそれに参加する気分になれない琴子は、離れた所に立ってその光景を見つめている。

琴子は教会の方を振り返った。
直樹と沙穂子が招待客に笑顔を見せている。
きっと皆、入江、大泉両家に相応しい名家の人間なのだろう。

やはりこれでよかったのだ。
もし、あの時自分が直樹の手を取っていたら――こんなに祝福はされなかっただろう。
祝福どころか非難を浴びせられるに違いない。そして入江家の人々を苦しめる結果となり、直樹は生涯、琴子と結婚したことを後悔し続けることになるだろう。
そのような直樹を見て暮らすことなど、琴子には耐えられない。

「…お幸せに。」
幸せに輝く二人には届かないと分かっていても、琴子は呟いた。
そして一人、静かにその場を立ち去ったのだった――。




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Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
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