日々草子 一輪の花 15

一輪の花 15



男はいびきをかき、手足を投げ出して寝ている。
脱ぎ捨てられた男のズボンと下着が、その傍で丸まっていた。
たった一着のよそいきは襟から破られ、見るも無残な状態。
それでも琴子は服下着が見えないように、前をギュッと握りしめた。
どうして自分がこんな恐ろしい目に遭わなければいけないのか。一体何をしたというのだろうか。

これも、間違えて入江家にやって来てしまったことが原因かと思わずにいられない。
あのままあの別荘を立ち去っていれば、直樹たちが出て行けと言った時に素直に従っていればこんなことにならなかったのにと、琴子は涙を零していた。



沙穂子が会社を訪れて来たのは、初めてのことだった。
最近の直樹の心情の変化におそらく気が付き始めているのだろう。
いつもと同様に直樹への愛情を体で表現しながらも、どこか不安の影が見え隠れしている。

「気にせずお仕事をなさって下さい。」
「いえ、大体めどがついたので。」
会長室に設けられている応接セットのソファに、二人は座っていた。

「直樹さん。」
「はい?」
「私たち、このままお式を挙げられるんです…よね?」
沙穂子は不安に満ちた眼差しを直樹に向けた。
その美しい瞳を見ても、直樹は何も感じることはなかった。
いや、感じたことは一度もないことに気がつく。
普通の男性だったら、この目に見つめられるだけで守ってやりたいと思ってしまうだろう。
だが直樹が守りたいと思うのは…。

「沙穂子さん。」
今度は直樹が沙穂子の名を呼んだ。
「実は…。」

その時、電話のベルが鳴り響き、二人の会話が途切れた。
「…どうぞお出になって。」
出ようとしない直樹を沙穂子が促した。
「すみません。」
直樹は沙穂子に断り、受話器を取った。

何となくあのまま続けると、聞きたくない話を聞かされることになるのではないかと思っていた沙穂子だったので、電話が入ってホッとしていた。


「もしもし…裕樹?」
受話器に向かった直樹は驚いた声を上げた。
裕樹が会社に電話をかけて来たことなど、一度もなかったのである。
そして沙穂子も驚いて、直樹を見た。



「お兄様?ちょっと琴子のことが気になることがあって…。」
「何があったんだ?琴子がどうした?」
「琴子」と口にした直樹の声が尋常でないものになっていることに、沙穂子は気が付いていた。

「あいつ、出かけたんだけどおかしいんだよ。」
「何が?」
「行き先を聞いたら、孤児院の先生の所だって。」
「孤児院?」
直樹の表情も怪訝なものとなった。
「だってさ、あいつがいた孤児院ってあんまりいい場所じゃなかったんでしょう?」
琴子が育った孤児院がどんな場所かを直樹は調べたことはない。
だがこの間、琴子の口から厳しい場所だったと聞いてはいる。
それしか言わなかった所を見ると、あまり思い出したくない場所であることは間違いないだろう。

「そんな所の先生に会いに行くかな?」
いつもと同じように悪態ついて送り出した裕樹で会ったが、どことなく琴子がおかしいことが気になっていた。

「あとさ、これはお民が聞いていたことなんだけど。」
受話器を手に裕樹が目を動かした。
その先には両手を組んで不安げなお民と、執事や他の使用人たちが心配して裕樹を見ている。

「この間、大泉子爵が琴子と話をしていたじゃない?」
「ああ。」
直樹はチラッと沙穂子を見た。

「その時に、お民がお茶を運んだ時に見ていたらしいんだけど…見合い写真のようなものが置いてあったって。」
「何?」
大泉子爵が琴子にただ謝りに来ただけどは信じられなかったが、やはりそのような魂胆があったのかと直樹は思う。

「そうなるとあいつは…。」
「うん。見合いって今日なんじゃないのかな?」
間違いないだろう。琴子が嘘をついて外出した理由はそれしか思い当たらない。
だが見合いの場所は一体どこなのだろうか?
大泉家だろうか?いや、だとしたら沙穂子が何か言っているはずだ。

「見合いの場所…。」
受話器の向こうの裕樹の声にかぶさるように、お民の声が響いた。
「丸谷っていう声が聞こえました!」

「丸谷…。」
それは直樹も知っている、高級料亭の名前だった。
あれから琴子宛に、どこからも連絡は来ていなかった。
そうなると、見合いを持ち込んだその日に場所と日時を全て伝えたことになる。
その丸谷という料亭が見合い場所なのだろう。

直樹は電話を切ると、上着を掴んだ。
「直樹さん、琴子さんに何が?」
近寄って来る沙穂子を直樹は見る。
「すみません、急ぎますので。」
「直樹さん!?」
沙穂子をその場に残し、直樹は部屋を出て行った。

琴子のこととなると、自分は眼中にない。
「直樹さん…婚約者は私なのに…。」
沙穂子はその場に泣き崩れてしまった。





「う…ん…。」
男が目を覚ました。琴子は壁際へと逃げる。
「…ふん。」
男は体を起こし、怯える琴子を見下ろした。
「…胸が残念だったけど。」
またもや舐めるように自分を見る男に、琴子は破れた服をかき合せた。
男は徳利から直接、酒をグビグビと飲み干す。
そしてその徳利を琴子へと投げつけた。
「きゃあっ!!」
幸い、徳利は琴子の体に当たらなかった。

「くそっ!!」
徳利が当たらなくて悔しがる男の無骨な手が琴子の体を掴む。
「やめて!!」
「うるせえ!!」
琴子を黙らせようと男は右手を上げた。
「いやあっ!!」
離れで誰にも聞こえないと分かっていても、琴子は思いきり悲鳴を上げた。
「うるせえって言ってるだろうが!!」
殴られる!琴子は目をつぶった。

「いてててててっ!!」
突然、男の口から悲鳴が上がった。
と同時に、自分の体にかけられていた手が離れたことに琴子は気がついた。
琴子は恐る恐る目を開けた。

「…随分と乱暴狼藉を働いてくれたもんじゃねえか。」
そこには、男の右手を捻り上げている直樹が立っていた。
「あ…。」
琴子はそれ以上、何も言えなかった。
直樹は男から手を離さず、琴子を見る。その視線を感じ琴子はまた服の前を合わせた。

「…てめえ。」
直樹は右手を捻ったまま、男を立たせた。そしてテーブルの上に男を投げつける。
男の体がテーブルの上を滑ると同時に、派手な音をさせ徳利や盃がテーブルから転がって行った。

「…立て。話は終わっちゃいない。」
直樹は冷たく男を見下ろす。だが酒に酔い潰れている男は投げつけられたショックから立ち上がる気力もない。

「しょうがねえな。立たせてやるよ。」
直樹は男の襟を両手で掴み、無理矢理立たせる。
「お、お前…俺を誰だと…。」
「知らないね。下衆野郎の名前など知りたいとも思わない。」
直樹は障子を開けた。そこには池があった。

「お前にはそこが似合っている!」
直樹は男の体をその池にめがけて、思いきり投げ飛ばした。

男の体は宙を飛び、池に見事に落ちた。

「お、おい!!てめえ…!!」
「まだ何か言いたいのか?え?」
直樹は靴もはかずに庭に下り、池から上がろうとする男の体をまた突き落す。
「そこで酔いを冷ませって言ってるのがわからねえのか!」
落とされては這い上がり、また落とされては這い上がりということを繰り返す男と直樹。

「くそっ!!覚えてろ!!」
自分の叶う相手ではないということを漸く理解したのか、男はずぶ濡れのまま、そして下半身を丸出しのまま庭から出て行った。



直樹は離れに上がった。
琴子がまだ怯え、震えていた。
直樹は琴子を見る。破れた服、下半身に何も身につけていない男…目の前が真っ暗になる。
だがどんなことになっても琴子は琴子のままだと、自分に言い聞かせる。

「…寝ちゃったの。」
「え?」
震えながら琴子が口を開いた。

「あの人…私を襲おうとしてズボンを脱いで…私の服を破いて。そして私のことを押し倒したんだけど…そこで寝ちゃったの…。」
「それじゃあ…。」
「何も…されてない。」
目を覚ました時にもう一度琴子に襲いかかろうとしたところで、直樹が入って来たのだと琴子はゆっくりと、声を震わせながら話した。

「よかった…。」
直樹は安堵のあまり、体から力が抜けて行くことを感じた。
「よかった…本当によかった…。」
あと一歩遅かったら、取り返しのつかないことになっていたと思う。

直樹は自分の上着を脱いで、琴子の体に着せた。
「もう安心していいからな。」
「うん…。」
直樹の言葉で琴子の目から涙が零れる。
「怖かっただろ?」
「うん…。」
直樹は琴子の体を抱きしめた。
「怖い思いをさせて、悪かった…。」
「ううん…ううん…。」
泣きながら琴子は首を振る。
「直樹さんはちっとも悪くないから謝らないで。」
こうして助けに来てくれたんだからと、琴子は言った。
「助けに来てくれてありがとう。」
琴子の言葉を聞きながら、直樹はその体を抱きしめる手にもっと力を籠めた。



琴子を家へ送り届けた後、直樹は大泉家にすぐに向かった。

「直樹さん!」
先に戻っていた沙穂子が驚いて直樹を出迎える。
「あの…。」
「お父上は?」
沙穂子の言葉を遮って、直樹は訊ねた。

「やあ直樹くん。」
沙穂子の父、大泉子爵がにこやかな笑顔を見せた。その顔を見た途端、直樹は気分が悪くなる。
「玄関で騒ぐなんて君らしくない。さあ、こちらへ…。」
「ここで結構です。話はすぐに終わりますから。」
立ったままの直樹を、沙穂子は心配そうに見つめる。

「子爵。」
直樹は子爵を睨みつけた。
「あなたは最低な男ですね。」
「いきなり何だね!」
不躾に罵られた子爵は怒りをあらわにした。

「ご自分が何をされたか、お分かりですよね?」
直樹は子爵の前に進んだ。
「殴られないだけ、ましと思っていただきたい。」
「…君はそんなに無作法な振る舞いをする男だとは知らなかったが。」
「あなたにそんなことを言う資格はない!」

父と婚約者のやりとりを、沙穂子はオロオロしながら見ている。

「婚約は解消させていただきます。今日はそれを伝えに来ました。」

「直樹さん、嘘でしょう!」
直樹の言葉に、沙穂子は真っ青になった。
「沙穂子!」
子爵が叫んだ。沙穂子はショックのあまり倒れてしまったのである。

直樹は沙穂子を介抱することもなく、大泉家を立ち去った。




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