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2011.12.13 (Tue)

一輪の花 14

入江くんだってキスしちゃったしね…。






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「この間は言い過ぎた。」
大泉子爵は口髭の下に、温和な笑みを浮かべ琴子に言った。
「娘可愛さについ、心配になってしまって。」
「いえ。」
自分を「お前」呼ばわりした人物と同一人物とは思えない機嫌の良さに、琴子は首を傾げたくなった。
一体どういう心境の変化があったのだろうか。

「今日は君にいい話があってね。」
「私にですか?」
とにかく椅子にかけろと言われ、琴子は不安を覚えながらも言われた通りにした。

「実は私の顔の広さを見込んで、頼みごとをされてね。」
そして子爵がテーブルの上に何かを出した。
「見てごらん。」
琴子はそれを開いた。
「え?」
そこには三十代、いや四十代だろうか。見た目はお世辞にもいいとは言えない、どことなく卑屈そうな様子の男の写真があった。
「これはもしかして?」
「そう。見合い写真だよ。君にどうかと思って。」
「私はとても…。」
琴子は写真を閉じ、子爵に返そうとした。が、子爵は琴子の手を押しとどめた。

「いやいや。確かに見た目はあまりいいとはいえない。だが性格は悪くない。」
この男も華族、男爵なのだと子爵は琴子に話した。
「でしたら、尚更私では。」
とても男爵夫人になるような身ではないと、琴子は固辞しようとした。

「そんなことはない。あの時はああ言ってしまったが、入江家の家庭教師を務めたくらいだ。君には男爵家を切り盛りできる才覚は十分ある。」
「そんなことはありません。」
「しかし、君はこれで住む場所も家族も手に入れることができるんだよ?」
子爵の目が光った。
「少し調べさせてもらったが、君は天涯孤独の身でかなり苦労してきたようじゃないか。そろそろ、君だって幸せになる資格があるんじゃないだろうか。」
どうやらかなり琴子のことを調べ上げてきたらしい。
調べられても困ることは何もないと胸を張れるが、それでも自分の知らない所で勝手に調べられるのは面白くない。
そう考えた時、ふと直樹が自分の身上を調べなかったことを思い出した。
雇い主である直樹こそ、脅迫まがいのやり方でこの家に転がり込んできた琴子を調べる必要はあったのに、それをしなかった。
――調べる必要のない人間に手間暇かけることはしない。
そういった意味でも、直樹はやはり素晴らしい人間だと思う。

「突然の話で驚くのも無理はないだろう。」
子爵の声に、琴子は思い出から引き戻された。
「だが、これも愚かな親心だと思ってくれ。」
沙穂子も同じことを言っていたなと琴子はまた思い出した。
「可愛い娘には、私のすべてをかけてでも立派な用意をして嫁に出したいと思っている。何の憂いもなく、安心して直樹くんに身をゆだねられるようにね。」
つまり、愛娘の嫁ぎ先に女がいては邪魔だと言いたいのだろうと琴子は理解した。
「親のいない君には理解が難しいかもしれないが。」
態度は前に比べて和らいではいるが、言葉の端々に自分を見下す様子が見える。
所詮、それが上流階級の人間なのだろうかと琴子は思う。
だが、確かにこの父親の立場に立てばそう思うのも無理はないだろう。
親が子の幸せを願うことは至極当たり前のことなのであると、琴子も分かっていた。

「でしたら…。」
だったら別に自分がこの家を出ればいいだけのことではないかと思い、琴子は見合いは断ろうと思った。
「これは直樹くんの願いでもあるんだよ。」
「え?」
断ろうとした琴子は戸惑った。
「直樹さ…まの願いですか?」
「ああ。」
子爵は頷いた。
「直樹くんも、自分だけが幸せになることは君に後ろめたいんだろうね。裕樹くんが世話になった君にも自分と同じように幸せになってほしいと思っているのだろう。」
「後ろめたい…。」
自分は沙穂子と幸せな家庭を築く。琴子にも同じように幸せになってほしい。
琴子は直樹の優しさを知っている。だからこそ愛しているわけである。
優しい直樹だったら、そう考えることも無理はないだろう。

「では、このお話を直樹様もご存じなのですか?」
「勿論だよ。直樹くんは雇い主として、君が幸せになることを願っている。」

――お前の身の振り方を考えたい。

あの時直樹が口にしたことは、こういう意味だったのか。
身の振り方とはいい縁談を探すという意味だったのかと、琴子は思った。
きっと大泉家に琴子の縁談を探すように頼んだに違いない。
そうすれば、直樹が琴子に何の関心も持っていない証拠にもなる。
そして琴子の幸せも見つかる。
頭のいい直樹らしい考えだと、琴子は感心せずにいられなかった。

――馬鹿みたい。本当に直樹さんは私のことなんて家庭教師としか…使用人としか思っていなかったんだ…。

だが、これも直樹の優しさなのである。
一介の家庭教師である自分の相手に、男爵を探してくれた。
これこそ玉の輿だろう。普通の雇い主はここまでしてくれまい。

琴子は顔を上げた。
「直樹様の考えて下さったことですから、従います。」
子爵の顔が喜びにあふれたのは、言うまでもなかった。
そして、子爵はもう見合いの日取りも決めていた。日時と場所を琴子へ教え機嫌よく帰っていったのだった。



その晩、琴子は直樹に呼ばれた。
「大泉子爵が留守中に来たって?」
「はい。」
「何を言われた?」
あの食事会の態度を思い出すと、今日もまた琴子をいじめに来たのかと直樹は疑っている。
自分たちが留守だったら遠慮すればいいものを、そのまま上り込んで琴子を呼びつけたことも腹が立つ。

「先日のことを謝っておいででした。」
「謝った?あの人が?」
直樹は驚いた。どう見ても謝る様子はないのに、どういう風の吹き回しだというのか。
「それだけか?」
「はい。思ったより悪い方ではないと思います。」
「どうかな?」
「そのような言い方はいかがなものかと思います。」
琴子の言葉に、直樹が怪訝な顔をする。
「直樹様の義理のお父様になられる方です。あまり悪い方に考えられない方がいいかと。」
心配してやっているというのに、どうしてあの父親を庇うのだろうか。
「それだけですので、ご心配なさらないで下さい。」
相変わらずの堅い態度を終始貫き、琴子は出て行ったのだった。



琴子は見合いのことは、直樹には話さなかった。
話したところで、何も変わらない。
自分の人生なのだから、直樹には関係のないことである。
それに話したとして「いい話だからうまくいくことを祈っている」などと言われたらと思うと、怖かったのである。



見合いの日は平日だった。
出社する直樹の乗る車を窓から琴子は見送っていた。

何でも見合い相手は、身分関係なく琴子を気に入ってくれているのだという。ということは、自分が承知したらこの見合いは成立することになる。
今夜、直樹にいい報告ができるだろう。
直樹も喜ぶに違いない。義父となる子爵の顔も立てることができるのだ。
そう思い、琴子は支度を始めた。
支度といっても、自分が持っている中でのいい服を着たに過ぎない。
それしか持っていないのだから仕方ないと言い聞かせ、琴子は一階へ下りて行った。

「出かけるのかよ?」
裕樹とばったり出くわしたのは、玄関だった。
「あ、うん。その…孤児院の先生に会いにね。」
「ふうん。」
裕樹は琴子の嘘を疑う様子は見せなかった。
「それじゃあ行ってきます。」
「バカスカ食いすぎるなよ。」
裕樹らしいいつもの憎まれ口に送られ、琴子は入江家を出た。



見合いの場所に指定されたのは、高級料亭だった。
名乗るとすぐに通された。
そして驚くことに、相手は先に来て待っていた。

「お待たせして申し訳ございません。」
時間より早いのだが、待たせたことに変わりはないので琴子は謝った。

相手の男は写真よりも、ずっと感じが悪かった。
大泉の男性たちはそれなりに貫録があるのだが、彼には全くそれが見られない。
しかし、それでも自分を気に入ってくれているのだと琴子は言い聞かせる。

「ん。」
男は琴子をジロジロと舐めるように見ると、盃を差し出した。
テーブルの上にはすでに空になった徳利が数本、だらしなく散らかっている。

「あの…。」
「酌だよ。酌。」
挨拶もなしに酌を求められるとは思っていなかった。
だが琴子は言われるがまま、徳利を手にし酒を注いだ。
男はそれを一気に飲み干す。

「…まったく、ついてねえな。」
また琴子に酌をさせながら、男は酒臭い息を吐き出した。
「何で俺が…お手付き女を下げ渡されないとならねえんだ。」
「お手付き?」
一体この男は何を言っているのだろうと、琴子は思った。
「何だ?」
男は琴子を睨んだ。
「お前、主人に手を付けられた使用人なんだろ?」
「な…!」
琴子は驚きのあまり、声を失う。

「全くついてないもんだ。どうしてこの俺がそんな人のお古を受け取らなければならないんだ。」
「お古って一体…。」
「あん?」
ドロンと濁った目を男は琴子に向けた。

「頼まれたんだよ。結婚が決まっている主人にちょっかい出している娘がいるから引き受けてくれって。」
「そんな!」
話が全然違うではないか。琴子は真っ青になった。

「ま、大方そういう時はあれなんだよ。主人が気まぐれで使用人に手を出してさ。それなのに女が本気にしちゃうんだよな。お前もそれだろ?」
「失礼なことを言うことはやめてください!」
琴子は顔を真っ赤にして怒鳴った。
男は目を丸くする。

「私の主人はそのような方ではありません!そんな気まぐれで人をおもちゃにするような人じゃないわ!」

自分のことを言われるより、直樹を侮辱されたことが琴子には許せなかった。
直樹はそのような人間ではない。
脅すように転がり込んだ自分を追い出すこともしなかった。
怪我をした時は飛んできてくれて、手当もしてくれた。
そんな直樹を、このような男に侮辱されることは琴子には耐えられないことだった。

「何だ、てめえ…。」
男はドンと盃を置いた。徳利が倒れ、酒がこぼれる。

「いい気になりやがって…卑しい身分のくせに!!」
そして男は琴子の両肩を掴んだ。
琴子は悲鳴を上げようとした。が、恐ろしさのあまり悲鳴も上げることができない。

「無駄だよ、ここは離れだからな。」
酒臭い息が顔にかかり、琴子は顔をしかめる。
それがまた男の気にさわる。

「そうだよ、俺は落ちぶれた男爵だ。だから借金の立て替えと引き換えに、お前みたいな卑しい女と結婚しなければならねえんだよ!」
「借金…?」
「そうだよ。大泉家から頼まれたんだよ。娘の婚約者に色目をつかっている女がいるって。そいつと結婚すれば借金も立て替えてくれるって言われたんだ!」

自分は金で売られたも同然だったと、琴子は愕然となった。

「ちょうどいい。俺も最近女が恋しかったところだ。何せ金がないと遊郭にも行けねえ。」
男はニヤリと笑い、琴子の襟に手をかけた。

「ちょっと、やめて!」
「夫婦になるんだ。構うことはないだろ。それにお前はお古なんだし。まあ我慢してやるよ、金のためだからな。」

琴子は男の手を振り払おうと頑張る。しかし所詮女の力でかなう相手ではなかった。

離れの部屋に、服を引き裂く音が響いた――。


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