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2011.12.12 (Mon)

一輪の花 13


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ノックの音がして、考え込んでいた琴子はドアを開けた。
女中かと思いきや、そこに立っていたのは直樹だった。
食事会を終えた後に真っ直ぐに着たらしく、ネクタイ姿のままである。

「…悪かった。」
入口に立ったまま、直樹は琴子に謝った。
「俺が出ろなんて言ったばかりに、お前に辛い思いをさせた。」
琴子は首を振った。
「大泉様が仰っていたことは正しいですから。」
いつもの琴子らしからぬ敬語に、直樹は怪訝な顔をする。
「…ご用はそれだけですか?」
「何だ、その言葉遣いは。」
「別に何もありません。」
「あるだろうが。何だよ、気持ち悪い。」
「今までが間違っていたんです。」
「よせって言っているだろ。あの人たちのことなんて気にするな。」
直樹は琴子の肩を思わず掴んだ。
琴子は肩を掴まれたまま、キッと直樹を睨んだ。
その視線に思わず直樹はたじろぐ。

「…他にご用がなければ、休みたいのですけれど。」
今日はここで引き下がるべきだろうと、直樹は思った。
そして琴子の肩から手を下ろす。

「あの。」
琴子の声に戻りかけた直樹は振り返った。
「この次、ご用がある時は呼んで下さればこちらから伺いますから。」
琴子はそして言った。
「使用人の部屋にわざわざ足を運ばれるなんてこと、おやめ下さい。」
パタンと閉じられたドアを見つめ直樹は、また琴子に嫌われたと思ったのだった。



「裕樹の食欲がない?」
帰宅した直樹は、執事の話に眉を潜めた。
「どこか具合でも悪いのか?」
「いえ、そういったご様子ではございません。」
「ただの好き嫌いか?」
「いえ、多分。」
「多分?」
「…お一人で召し上がるのがお嫌なのではと。」

あれから琴子は、食事も使用人たちと取るようになっている。
直樹は帰宅が遅いため、裕樹は一人ぼっちで食堂で食事を取ることになる。
今までは琴子が一緒だったから、寂しさは感じなかったに違いない。

「殆ど残されていらっしゃいまして。お好きな物をお作りしてもだめでした。」
「しょうがないやつだな。」
しかし、直樹もどういう手段を取ればいいか分からない。
琴子に裕樹を一緒に食事をしてほしいと頼んでも、頑なに拒まれることは明らかだった。

「…慣れるのを待つしかないだろうな。」
自分が早く帰宅することが一番いいのだが、最近はまた忙しくなってそれもままならないのである。



裕樹はこっそりと使用人たち専用の食堂を覗いていた。
琴子が女中たちと楽しそうに笑いながら食べている。
「僕のことなんて、忘れたのかよ。」
最近は昼間も琴子と顔を合わせることが少ない。
勿論、琴子がこういうことになった原因は大泉家にあることは分かっている。
子供である自分には何もできないことが、また頭に来る。



その夜、琴子はいつものように夕食を食べに使用人専用食堂へとやって来た。
「相原先生。」
女中の一人が琴子に近づいてきた。
「あちらを…。」
「え?」
琴子が見ると、何とテーブルに裕樹が座っている。
「裕樹坊ちゃん!」
琴子は裕樹に近づいた。
「何だよ、気持ち悪いな、その呼び方。」
裕樹はギロリと琴子を睨む。
「何だよじゃないでしょう!どうしてここにいらっしゃるのですか!」
「食事をするために。」
平然と言ってのける裕樹に、琴子を始めとする使用人たちが唖然となった。

「坊ちゃんの食事の席は、あちらの食堂でしょう。ここは私たちの食堂です。」
「別にいいじゃん、どこで食べたって。」
裕樹はフンとそっぽを向く。
「僕はこの家の坊ちゃんなんだから。使用人だったら僕の言うことを聞けばいいんだ!」
「んまあ!」
プリプリと怒っている琴子に比べ、女中たちはポカンとなっていた。
それもそのはず、裕樹がこんなにダダをこねることは珍しいのである。

「ほら、食事を運んでよ。」
裕樹が女中に命じる。
「いけません。」
琴子が言った。
「裕樹坊ちゃんがここに座ると、お民さんの席がなくなってしまうんですよ?」
「え?」
今裕樹が座っている席は、女中のお民が座る場所だったのである。
もっともお民は「私はいいんです」と、琴子に手を振っている。

「分かった。」
裕樹は素直に立ち上がった。
そう、それでいいのだと琴子は頷く。
裕樹は食堂を出て行った。

「何かちょっと、お可哀想ですねえ。」
お民が気の毒そうに呟く。他の女中たちも頷いた。
「相原先生を慕っていらっしゃるんですね。」
「でもけじめはけじめですから。」
ここで甘い顔を見せると、また誰かに裕樹が叱られることになってしまう。
琴子も内心では一人ぼっちで食事をする裕樹が気になっていたのだが、心を鬼にしたのである。

そして琴子たちが食事をしようと席に着いた時だった。

「裕樹坊ちゃん!!」
女中の一人の声に、皆が振り向く。
「これで文句ないだろ?」
裕樹は小さなテーブルを抱えて、また食堂にやってきたのだった。
食堂の隅にそれを置き、余っている椅子を「借りる」と運ぶ。
「自分で席を作ったぞ。これならここにいていいんだろ?」
威張る裕樹に、また琴子たちは唖然となった。

「もう…負けたわ!」
琴子が笑い出した。つられて使用人たちも笑い出した。
琴子は女中たちに、
「裕樹くんの席を作ってもいいですか?」
と訊ねた。勿論女中たちは快く頷いた。

「裕樹くん、ほら自分の席を作るんだから手伝って。」
テーブルの上の食器を寄せながら、琴子は裕樹を呼ぶ。
「裕樹くん」と呼んでくれたことが裕樹は嬉しくてたまらなくなった。
そして裕樹も嬉々として手伝い始める。

「さ、皆さんにお礼を言ってね。」
席を作ってもらったお礼をと促す琴子。
「…ありがとう。我儘言ってごめんなさい。」
素直に琴子の言うことを聞く裕樹に、使用人たちは「可愛い」と思ってしまった。



「…直樹様、いかがいたしましょうか?」
一部始終をそっと見ていた直樹に、執事が訊ねる。
「楽しそうだから、そのままで。」
裕樹を心配して早めに帰宅したのだが、心配する必要はなかったらしい。
琴子たちに囲まれて食事を取る裕樹は、とても楽しそうである。

「俺の食事は書斎に運んでくれ。」
「かしこまりました。」
自分もあそこで琴子と一緒に食事ができたら、どんなにいいだろうか。
しかしそれをやると、また琴子に嫌われることは間違いない。
少なくとも、裕樹に対する態度だけは以前と変えてほしくないと直樹は思っていた。



そんな琴子ではあったが、やはり近いうちに入江家を出た方がいいだろうと考えるようになっていた。
それを打ち明けようと、琴子は直樹の書斎に足を運んだ。

「…家を出る?」
いつかそういうことが琴子の口から出るだろうと覚悟はしていた直樹であったが、やはり驚かずにいられなかった。
「やはり沙穂子様にとって、私がこの家にいることはよくないと思うんです。」
相変わらず距離を置いた話し方をする琴子。
「それに大泉様だって、御心配でしょうし。」
「出るといっても、住む所がないだろ?」
「どうにかなります。今までもそうしてきました。」
顔色一つ変えずに話す琴子。
「…少し待ってほしい。」
沙穂子と夫婦として暮らす姿を見たくないと琴子には思ってほしい、そのために家を出ることを選んでくれた方が嬉しいと思っていた直樹は、琴子を止めていた。
「なぜでしょうか?」
「裕樹があれだけ世話になったんだ。きちんと…。」
「きちんと?」
「お前の身の振り方を考えたいと思う。」
「…分かりました。」
琴子は一礼すると、書斎を出て行った。

「身の振り方か…。」
廊下の窓から空を見上げながら、琴子は呟く。
あそこで「行かないでくれ」なんて、直樹が言うわけがない。
自分のことなど、何とも思っていないのだから。
「まあ、明日にでも出て行けと言われなかっただけ、ましよね。」
涙で滲む星を見ながら、琴子は思った。



そんな中、沙穂子が再び入江家にやって来た。
沙穂子は琴子を応接間に呼び出した。
直樹は休日ではあるが、所用で外出していた。どうやら前もって訪問を約束していたわけではないらしい。

「ごめんなさい、琴子さん。」
沙穂子は琴子に謝った。
「祖父と父が失礼なことを申し上げて。」
「いいえ。本当のことですから。」
琴子は頭を上げるよう、沙穂子に言った。
本音をいえば、もう沙穂子と関わりたくはない。しかしここで無碍な態度を取るとまた直樹と裕樹に迷惑をかけることになってしまうかもしれない。

「…ですが、どうか祖父と父を許して下さいましね。」
沙穂子は言った。
「あれも私を思ってのことなのです。どうぞ愚かな親心、祖父心と思って下さい。」
そう言われても、親も親戚もいない琴子にはそれがよく理解できない。
子供のためにああいう態度を取るのも、また親心なのかと考える。

「…何とも思っておりませんから。」
琴子の返事に、沙穂子は笑顔をやっと見せた。



「本当にあの日は申し訳ありませんでした。」
戻った直樹にも、沙穂子は謝罪した。
今二人がいる場所は、直樹の書斎だった。
直樹が仕事をする部屋を見たいと沙穂子がせがみ、連れて来てもらったのである。
「琴子さんにも謝りました。」
「そうですか。」
琴子の名前を出した時、直樹がどんな反応を見せるだろうと沙穂子は気になった。
しかし、特に動揺している様子は直樹には見られなかった。

やはり、直樹が琴子に特別な感情を抱いているなどということは、自分の思い過ごしだったのだろうと沙穂子は思う。

「ですが、直樹さん。」
「はい?」
書斎に置いてあるソファに向かい合わせに座っている直樹を、沙穂子は見つめる。
「父たちの言うことは間違っていないとも思います。」
「どういうことでしょう?」
「直樹さんと裕樹くんは琴子さんに親密すぎませんか?」
直樹はムッとなったが、沙穂子にばれないよう堪える。
「琴子さんは家庭教師、この家に雇われているということは間違っておりませんでしょう?」
「それは…。」
「あまり家庭教師と親しくされるのは、世間体がよろしくありませんわ。」
この時、直樹はやはり沙穂子も特権階級の意識が強い人間なのだと気がついた。
もっとも無理はない。そういう世界に生まれ生きてきたのだから。

「主人として毅然と接しませんと。恥をかくのは直樹さん…いいえ、お義父様では?」
「…。」
直樹は沙穂子に何も言い返すことはいなかった。
言い返す気力すらなかったのである。



沙穂子があのようなことを直樹に言ってしまったのは、琴子に直樹を取られてしまうのではないかという不安からだった。
直樹は婚約者として、今も変わらず自分と接してくれている。今日だって沙穂子の言うことに対して何も怒らなかったではないか。
安心して結婚式を迎えればいいのに、沙穂子の胸に広がる不安はどんどん大きくなっていく一方だった。

そして、そんな娘、孫娘を心配しているのが大泉伯爵、子爵の二人だった。
特に父親である子爵は琴子が娘の幸せを邪魔しているように見えてならない。
眉目秀麗でありながら、浮いた噂一つなかった直樹を見込んで娘を嫁がせるつもりだったのに、式の直前でとんだ邪魔が入ったものだと思う。
自慢の娘である沙穂子を捨てて、直樹が琴子を選ぶような真似だけは許すことはできない。
家庭教師に負けたとして、沙穂子は笑われることになるだろう。
そのようなことになったら、大泉家にとっては屈辱以外の何物でもなかった。



「大泉様が?」
沙穂子の父、大泉子爵が入江家にやって来たのは突然であった。
しかも琴子に会いたいと言っているのだという。
この日、直樹と裕樹は二人で父重樹の友人の家に招かれて留守だった。
なぜ自分にと不思議に琴子は思った。しかし、子爵を待たせておくのも失礼である
琴子は急いで応接間へと向った。

「突然すまないね。」
子爵はこの間とは打って変わって、とても愛想の良い笑顔で琴子を出迎えたのだった。


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