日々草子 一輪の花 12

一輪の花 12





直樹と沙穂子の結婚式の日が近づいてくる。
琴子はカレンダーを見ながら、溜息をついた。
「いけない、いけない。おめでたいことなんだから。」
そんな琴子には最近、ある悩みがあった。

直樹と沙穂子の結婚後も、この家にいていいのだろうかということである。
何も教えていないとはいえ、裕樹の家庭教師という建前でこの家で暮らしている。
別にこのままここで暮らしても、特に問題はないはずである。
しかし、自分が男であったならいざ知らず、女性、しかも沙穂子と年齢が近いということが問題になるような気がしてならない。

同様の疑問は、裕樹も当然抱いていた。

「琴子のことなんだけどさ。」
ある晩、直樹の部屋で一緒にレコードを聞いていた時、裕樹は兄にこの疑問をぶつけた。
「…家庭教師なんだから、いたって構わないんだよね?」
弟の言葉を聞き、直樹は笑みを浮かべる。
「何だ、随分最初と違う態度じゃないか。」
琴子がここに来たばかりの時は反抗してばかりだったというのに、すごい変わり様だと直樹は笑った。
「だってさ、あいつ、どこも行く所ないんでしょ?ここだったら部屋だってたくさん余っているし、そりゃあ、あいつはよく食べるけれどうちの暮らしがあいつの食欲で揺らぐこともないよね?」
「まあな。」
直樹は曖昧に返事をする。
琴子がこの家からいなくなる。そのようなこと考えたこともなかったことに自分でも驚いていた。
ただ、琴子がいる前で沙穂子と夫婦として過ごすわけになる。
毎日毎日、それを琴子に見られるのは辛い所が正直な直樹の気持ちだった。
そして琴子は、そのような自分を見ても何とも思わないのだろうということも気がつく。
――好きなのは俺だけなんだし。
自分の一方通行な想いであることを知らされて、直樹の表情が翳った。

「琴子がどうするか次第だろう。」
直樹はそれだけ答えるのが精一杯だった。
辛いことではあるが、できれば自分と沙穂子を見るのが嫌だと思ってほしい。だから出て行くことを琴子が選んだとしたら、それは悲しいことではあるが少しの救いとなるような気がする。



結局、裕樹は琴子には何も告げなかったし、琴子から直樹にそのことについて訊ねることもなかった。



そのような落ち着かない日々が過ぎたある日のことだった。
入江家で大泉家の人間を招いて食事会が開かれることとなった。
結婚式も近づいてきたことだし、一度ゆっくりと話をとのことらしい。
両親が留守である直樹と裕樹の相談にも乗りたいと、沙穂子の祖父や父親が話しているのだという。

「別に相談なんて何もないさ。」
渋々仕度をしながら文句を言う裕樹。
「こら、そういう態度はよくないわ。」
そんな裕樹を注意する琴子。
「大体、どうして僕まで出席しなければいけないのさ。面白くないのに。」
確かに裕樹と同じ年頃の子供がいるわけでもないその席は、退屈だろうと琴子は思う。

「ねえ、裕樹くん。」
裕樹の曲がっている蝶ネクタイを直しながら、琴子が優しく話しかける。
「沙穂子さんのこと、ちゃんとお義姉様として接するのよ?」
裕樹の顔が不機嫌そうになった。
「沙穂子さん、とっても綺麗で優しくて素敵なお義姉様じゃない。きっと裕樹くんとも仲良くして下さるわ。」
直し終えて、琴子は裕樹に笑いかける。
「…お義姉様ね。」
「そうよ。お義姉様、お義姉様と慕えばあちらだって…。」
「うるさいなあ、お前、もうあっちに行けよ。」
「裕樹くん!」
裕樹は琴子の手を乱暴に振り払った。
そして琴子を部屋から追い出して、ドアに鍵をかけてしまった。

「もう、仕方ないんだから。」
困ったものだと思う琴子だったが、大好きな兄を沙穂子に取られてしまうという複雑な感情をもてあましているのだろうと考えたのだった。

「…だってさあ。」
裕樹は琴子が直してくれた蝶ネクタイを鏡に映しながら呟く。
「あの人は僕を励ましてくれたり、パンを買ってきてくれたり、自転車で一緒に遊んだりしてくれないじゃないか…。」
「お義姉様」となる人が琴子だったらと、裕樹は思わずにいられなかった。
何となくだが、直樹が琴子に特別な感情を抱いているような気がしている。
ただ琴子は直樹をどう想っているかは分からない。
「あいつ、色気より食い気って感じだからな。」



食事会に出席するのは当然、直樹と裕樹だけだと思っていた。
しかし琴子も同席をという伝言が直樹の口から伝えられ、琴子は驚いた。
「どうして私が!?」
直樹の部屋に飛び込んで、琴子は訊ねる。
「お前、裕樹の家庭教師だろ?」
直樹はカフスを留めながら、こともなげに答えた。
「裕樹、あんまり出たくなさそうだったから心配なんだ。お前が傍についていたら安心するかと思って。」
この間のパーティーの時、裕樹にエスコートをしてもらったお返しに頼むと直樹に言われ、琴子は頷くしかなかった。


祖父たちより一足早く、沙穂子がやって来た。
「琴子さんも同席されるのですね!」
琴子が出席することを聞くと、沙穂子は喜びを露わにした。
「よかったわ。女性が私一人で心細い思いをしていましたのよ。」
男の人たちは難しい話ばかりして退屈だと、沙穂子は笑う。
直樹は急ぎの電話が入ってしまい、まだ書斎にいる。
琴子と沙穂子は二人で応接間に入った。

「今日は久しぶりに直樹さんとお会いできるって、おめかししてしまったんです。」
今日の沙穂子は薄紅色のワンピースに、綺麗な色のブローチをつけている。
対して琴子の服の色は、モスグリーンであった。数少ない自分の服の中で外出着としているものである。といっても、大分着ているので裾のあたりがほつれている。
沙穂子と並ぶとどうしても地味に見えてしまう。が、これくらいが分相応というものだろうと琴子は思った。

「そういえば、先日はお会いできなくて残念でした。」
琴子は沙穂子に話しかけた。
「先日?」
「はい。裕樹くんのお誕生日のことです。沙穂子さんにも来ていただきたかったのに。」
「裕樹くんの誕生日…。」
沙穂子は考えをめぐらす。そのようなこと直樹から聞いたことはない。
ただ思い当たるといえば、大泉家で食事をと連絡したあの日である。

「沙穂子さん、先約があるって直樹さんが仰っていたから。きっと直樹さんも残念だったと思います。」
やはりそうだと、沙穂子は思った。
電話をした時、直樹の様子が少しおかしかった気はした。だが最近そういう時が多いし、きっと仕事で忙しいのだろうと思っていた。

それよりも、なぜあの時にその話をしてくれなかったのだろうか。
もししてくれたのならば、何を置いても駆けつけるつもりだった。義弟となる裕樹の誕生日である。
しかもあの時直樹は「接待がある」と嘘までついていたことになる。
どうしてそのような嘘を自分がつかれなければいけないのだろうか。

考えられる理由、沙穂子は琴子を見た。

「どうかしましたか?」
「いえ、別に。」
沙穂子は笑顔を作った。
まさか、琴子がいるからそうしたのかなどと思えない。

「すみません、お待たせして。」
やっと直樹が現れ、沙穂子は我に返った。
「ちょうどおじい様たちもお見えになったようです。」
「そうですか。」
沙穂子は直樹に笑顔を向けた。直樹も笑い返す。

琴子はその二人を、後ろからぼんやりと眺めていた。



「直樹くん、ますます業績を上げているようで。」
沙穂子の祖父、大泉伯爵が機嫌良く直樹に話しかけている。
そもそも、この縁談を誰よりも勧めたのはこの伯爵だった。
帝大を首席で卒業した眉目秀麗な直樹の評判を聞きつけ、可愛い孫娘の夫にと望んだのである。
「沙穂子も妻として、直樹くんを支えねばならないぞ。」
「分かっています、おじい様。」
「直樹くん、沙穂子は花嫁修業に夢中なんだよ。」
そう話すのは沙穂子の父親だった。今は子爵だがゆくゆくは伯爵の地位を継ぐことになる人物である。
「料理などする必要がないというのに、しょっちゅう台所へ入ってはうちの料理長を困らせている。」
「まあ、お父様。そんなお話、直樹さんになさらないで。」
恥ずかしそうに抗議する沙穂子。
「たまには沙穂子の手料理も食べてやってほしい。」
「ええ。」
直樹は完璧な笑顔で頷く。

これから料理が出されるという時だった。
「ん?あちらはどなたかな?」
大泉伯爵が、隅に座っている琴子に気がついた。

「どなたか親戚の方か?」
結婚を祝いに来た親戚かと伯爵と沙穂子の父は思った。

「裕樹の家庭教師です。」
直樹は隠すこともなく答えた。
「家庭教師…?」
途端に眉を潜めたのは、沙穂子の父だった。

「…家庭教師ふぜいが、なぜこの席に?」
そこには明らかに侮蔑の意味が込められていた。
沙穂子は父には何も言えないのか、困った顔を浮かべているだけである。

「図々しい。何だね、君は。上等の料理が食べたくて座っているのか?だとしたら意地汚いにもほどがある。」
琴子は小さくなって俯いてしまった。

「まったく、少しはうちの娘を見習って…。」
「琴子は…。」
沙穂子の父に物を言おうと、裕樹が口を開けた。

「彼女はただの家庭教師ではありません。」

しかし裕樹より先に口を開いたのは、直樹だった。

「彼女は私と裕樹にとって、家族同然の存在なのです。だから同席させています。」
凛とした直樹の声に、沙穂子の父が口をつぐんだ。

琴子は直樹の顔を見つめた。直樹は真っ直ぐに琴子を見つめている。

「しかし、直樹くん。」
黙ってやりとりを見ていた伯爵が口を開いた。
「家庭教師であっても、使用人には変わりはない。雇われていることに何の変わりはないのだから。」
「使用人」――その言葉が琴子の胸を突き刺す。

「いくら親しくしているとはいえ、やはりこのような席に同席させるのはあまり褒められたものではないかと思うのだが。」
「そうだとも、直樹くん。君はこの入江財閥を率いて行く人間なのだ。身分の違いをきちんとわきまえねば。裕樹くんにも悪影響を及ぼすだろう。」
大泉の男性たちは、口を揃える。

「しかし…。」
なおも直樹は言い返そうとした。

「申し訳ございませんでした。」
それを遮ったのは、琴子だった。
琴子は静かに立ち上がり、直樹たちを見た。

「私が悪いのです。直樹さん…直樹様のお言葉に甘えて図々しく座ってしまった私が全て悪いのです。」
「分かればいいんだ。」
沙穂子の父が「フン」と冷たい視線を琴子に浴びせる。
「まったく、我が大泉家だったらこのような使用人は即刻クビだ。」
「申し訳ございません。」
琴子は深く頭を下げた。

「今後は使用人としての立場をわきまえますので、お許し下さいませ。」
「おい。」
直樹は琴子を止めようとする。
「直樹くん、君も優しさを見せるのは程々にしなければ。」
大泉伯爵が直樹を咎める。
「優しいのは君のいい所かもしれん。だが、主人は使用人には時に厳しい態度で接しなければならない。それが我々上流階級の人間というものだ。」
「何が上流階級だ!!」
立ち上がったのは裕樹だった。
「どうしてあなたたちが僕たちの家にああだこうだと…。」
「裕樹坊ちゃん!!」
琴子の厳しい声が飛んだ。
「お客様に何てことを仰るのです。」
「だって…。」
裕樹は琴子を睨む。どうして庇っているのに叱られなければいけないのか。

「お前がここにいるから、裕樹くんまでおかしくなったではないか!」
とうとう沙穂子の父は琴子を「お前」と呼んだ。しかも全ての原因を琴子のせいにする。
「早く下がれ!お前がいなくなれば全て収まるということが、まだ分からないのか!」
「いい加減に…!」
今度は直樹が声を上げようとした。
が、琴子が自分を見つめていることに気が付き口を閉じる。
その目はとても悲しげであり、ここで自分が大泉家にはむかうことが琴子をますます苦しめることだと悟ったのだった。

「お騒がせさせて、申し訳ございませんでした。失礼致します。」
琴子はもう一度深く頭を下げると、食堂を出て行った。



「まったく、何て失礼な女だ。あのような女がいる家に沙穂子を嫁がせることが不安になる。」
琴子が去った後も、沙穂子の父はまだ不満を露わにしている。
「…だったら嫁がせなければいい。」
直樹は怒りを堪え呟いた。その言葉を聞いた者は誰もいなかった。


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水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
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当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

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二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

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