日々草子 一輪の花 6

2011.12.06 (Tue)

一輪の花 6


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「沙穂子さんは大泉伯爵家のご令嬢なんだよ。」
琴子にカードを引かせながら、裕樹が説明をする。
琴子は引いたカードがジョーカーであったことに、顔をしかめた。
「お前、顔に出過ぎ。」
「あ、ごめんね。」
琴子はカードを切り直す。

「でもあんなきれいなお義姉様ができて、裕樹くんも嬉しいでしょう?」
「お義姉様?」
裕樹が不思議そうな顔をした。
「だってお兄様と結婚したらお義姉様じゃない。」
「ああ、そうか。」
裕樹はジョーカーじゃないカードを難なく引いた。

「…まあ、あんまり実感ないけどね。」
「そう?どうして?」
「だって四六時中顔を合わせるわけじゃないし。」
確かに言われてみたらその通りだと思う。
琴子たちは居間でカードゲームに興じていた。
この居間も相当な広さであり、一体全部で何部屋あるのだろうか見当もつかない広さの屋敷である。

「…広さじゃないぞ?」
琴子の考えていることが分かったのか、裕樹が睨んでくる。
「違うの?」
「そうだよ。結婚したってお兄様が忙しいのは変わりないし。別に沙穂子さんが僕の世話をするわけでもないし。」
「そういう意味か。」
琴子はまたカードを引いた。

「家族が増えるって嬉しいことじゃない。」
「家族…かなあ?」
首を傾げながら、裕樹がカードを引いた。
「よし、僕の勝ち!」
裕樹は手持ちのカードをテーブルの上に置いた。
「ああ、もう一回!」
「お前弱過ぎて相手にならないんだもん、やだ。」
裕樹は居間を出て行ってしまった。
「もう…まったく。」
自分の弱さに情けなくなりながら、琴子はカードを揃えた。


「あ…お帰りなさい。」
外出から戻った直樹にバッタリと出会ったのは、琴子が自室に戻る時だった。
確か今日は沙穂子と演奏会に出かけていたはずである。
それを思い出した時、琴子の胸がまたチクリと痛んだ。

「あれ?」
胸を押さえる琴子に、直樹が不思議な顔をする。
「何だよ?」
「いや、ちょっとチクリと痛くて。」
「どこが?」
「胸。何だろう?お魚の骨が刺さったのかしら?」
「魚の骨が刺さって痛くなるのは喉だろ。ばあか。」
直樹はまた琴子を馬鹿にした。

「何か最近、チクチクと痛むのよね。」
痛むのだが、すぐに治るのだと琴子は直樹に話した。
「息苦しいとか、立っていられないとかは?」
「それはない。」
「じゃあ、気のせいだろ。」
そして直樹は意地悪く続けた。
「もしかしてお前の胃はそこにあるのかもな。」
「胃が?どうしてよ?」
「バカスカ食って、胃が痛いんじゃねえの。」
「ちょっと失礼な!」
琴子はむくれた。

「…ねえ。」
琴子の胸の痛みは直樹と話している間に止んだ。
「もしかして、双子の弟とかいる?」
「は?何だ、それ?」
また何を馬鹿なことをと直樹は呆れた顔をする。
「違う?それじゃあ二重人格とか?」
「お前は俺に何が言いたいんだ?」
直樹の眉間に皺がたちまち寄せられた。

「だって、沙穂子さんに対する態度と私への態度、全然違い過ぎるんだもん。」
「はんっ!」
直樹は笑った。
「当然だろうが。」
「どういうことよ?」
「馬鹿な女と、完璧な女性が二人いて、同じ態度を取ると思うか?」
「ば、馬鹿って…。」
直樹は帽子を指の先で回しながら、続ける。
「俺は相手によって態度を使い分けているんだよ。」
「…最低。それって裏表があるってことじゃない。」
「違うね。」
直樹は琴子を冷たく見た。
「沙穂子さんは誰かさんみたいな馬鹿なことは口にしない。優しく美しく賢い。そんな女性にどうして馬鹿とか言う必要が?え?」
確かに直樹の言うとおりだと琴子は思った。
そして止んだ痛みが、また琴子の胸にぶり返してきた。

「…痛い。」
胸を押さえる琴子に、直樹はさすがに顔に心配の色を浮かべた。
「おい、大丈夫か?」
琴子の顔を見ようと、直樹は顔を近づけた。
「大丈夫よ、ふん!」
琴子は直樹から顔を背けた。
「馬鹿は風邪も引かなければ病気にもならないって、賢い直樹さんならよくご存じでしょう!」
そして琴子はあっかんぺーをすると、自室に駆けて行った。

「あいつは裕樹と同じか、それ以下だな。」
あれだけ元気だったら心配することはないかと、安心した直樹も自室へと戻ったのだった。



「まったく、どうして直樹さんと話していると胸が痛くなるのよ!」
部屋に戻った琴子は、行儀悪く枕をベッドに投げつけていた。
「そしてすぐにおさまるし。」
そこまで思った時、気がつく。
直樹と話しているという時より、沙穂子がいたり、比べられたりしている時に胸が痛むのである。

「…きっとお嬢様に嫉妬しているのね。」
琴子はそう結論づけた。
自分は身寄りもなければ住む所もない人間、かたや相手は伯爵令嬢。
自分にないものを持っている沙穂子に嫉妬しているに違いない。
「何て醜いのかしら…やだやだ。」
琴子は自分が嫌になり、枕に顔を埋めた。



その日、琴子は裕樹を庭に引っ張り出していた。
庭といっても屋敷同様広大であり、庭園という呼び名の方がふさわしい。
「まったく、本ばかりなんだもの。」
家の中に籠りきりになりがちな裕樹を心配する琴子。
「お前も少しは読めよ。」
文句を言いながらも、最近の裕樹は琴子に従うことが増えている。
赤の他人である琴子に逆らえないことも不思議であるが、嫌な気分はしない。
むしろ最近では琴子が自分を連れ出すことを楽しみに待っていることに気付き始めていた。

「これって庭師さんたちがお手入れをしているの?」
「そうだよ。」
「へえ。あそこにいるのが庭師さんたちね。」
庭に咲き誇る花に目を奪われながら、琴子は手入れをしている庭師たちに気軽に声をかける。
そしてあっという間に庭師たちと仲良くなる様子に裕樹は舌を巻く。

「人懐っこいというか、何というか。」
庭師たちと盛り上がっている琴子をその場に残し、裕樹は庭を歩いて行く。

すっかり裕樹を忘れていた琴子は慌てて後を追いかけた。
「ごめん、裕樹くん!」
少し離れた場所に止まっている裕樹を見つけ、琴子は声をかける。
「裕樹くん…?」
どうかしたのかと、琴子は裕樹の視線の先を追いかけた。
「あ…。」



「本当にいつも綺麗なお花でいっぱいですね。」
咲き誇る花に沙穂子は目を奪われる。
「このお家にお嫁に来たら、毎日直樹さんのお部屋に飾りますね。」
「楽しみにしています。」
直樹の返事に、沙穂子が笑った。
その時、沙穂子の足元にミミズが現れた。
「きゃあっ!!」
ミミズを踏まないよう、遠ざかろうとする沙穂子。だがそのために足元のバランスを崩してしまう。
「危ない!」
直樹が沙穂子の体を両腕でしっかりと抱きとめた。

「大丈夫ですか?」
腕の中で息を少し荒くしている沙穂子に、直樹はゆっくりと話しかけた。
「はい…。」
当の沙穂子は顔を赤くして動くことができない。
婚約しているとはいえ、直樹の腕の中に飛び込んでしまったのである。
そしてこれくらい直樹に体を密着させたことも、初めてであった。
なので、ここからどう動いていいのか、沙穂子には分からない。

直樹は沙穂子の肩が震えていることに気がついた。
沙穂子の女心は残念ながら分からない。恐らく深窓の令嬢にはミミズは余程恐ろしかったのだろう。それくらいの認識くらいしか直樹にはなかった。

何となく、震えを抑えようと直樹は沙穂子の腰に片手を、もう片方の手を背中へと回した。
そして優しく震える背中をさすった。
それに気付いた沙穂子は落ち着きを徐々に取り戻し始めた。
が、もう少しこのまま直樹の優しさに甘えたいと思い、直樹の腕をしっかりと掴んだままにしている。



「うわ…。」
この様子を見ていた裕樹の顔が真っ赤になった。
無理もない。どこから見ても男女のラブシーンなのである。
兄にこのような一面があったとは、裕樹は驚いて口をパクパクとさせていた。

「邪魔しちゃ悪いよな…行こう。」
裕樹は小声で呟きながら、隣を見た。
「あれ?」
そこで一緒にこの場面を見ていたはずの琴子の姿はどこにもなかった。



「痛い…。」
胸を押さえながら、琴子は家の中に入った。
今までで一番の痛みである。心臓かどこか悪いのだろうか。
痛みと共に、先程の直樹と沙穂子の様子がまざまざと浮かんで来た。

「抱きしめていた…。」
まさかあの直樹があのようなことをするとは。
結婚を控えている者同士なのだから、咎める行為ではない。むしろ自然である。

突然、胸の痛みが消えた。
が、同時に琴子の双眸から涙が溢れ出した。
「…ゴミでも入ったかな?」
そう言いつつも目に痛みは特に感じられない。しかし涙はどんどん溢れ出す。
「おかしいな…。」
拭っても拭ってもとめどなく流れる涙に困りながら、琴子は漸く胸の痛みの原因が分かった。
沙穂子と自分を比較して、卑屈になって痛むのではない。

直樹が沙穂子を大事に扱うよう、自分もそうしてほしい。
直樹のあの優しい笑顔を自分にも向けてほしい。

直樹に大事にされている沙穂子に、自分は嫉妬している。
そして自分が直樹に恋心を抱いていることに、琴子は気がついたのである――。

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