日々草子 一輪の花 4

2011.12.06 (Tue)

一輪の花 4


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パンが沢山入った袋を抱え、琴子は別荘へと歩いていた。
「すげえな、それ全部一人で食うのか。」
同時に「ブルル…」という馬の声も聞こえた。琴子はその言葉を発した人間が誰かすぐに分かった。

「お前の胃袋、底なしだな。」
「そんなわけないじゃないの。」
馬に乗り自分を見下ろしている直樹を琴子は睨んだ。

「これは裕樹くんにどうかなって思って。」
焼き立てのパンの香りにうっとりとしつつ、琴子は答えた。


直樹と裕樹、二人は仲良く馬に乗ることが増えた。
乗馬だけではなく、時には別荘内のテニスコートでテニスをすることもある。

兄弟の両親はまだ当分、東京に戻れないという連絡が入ったのは、昨日のことだった。
それを聞いた裕樹はがっくりと肩を落とし、部屋に閉じこもったきり出てこなくなってしまったのだった。
なので琴子は何とか元気づけたいと思い、評判のパン屋まで出かけて裕樹の好きそうなものを見つくろって来たのである。

「まあ、食べ物でつられるとは思っていないけれど。」
それでも何かしてあげたいと思っている琴子だった。


直樹は馬に乗ったまま、何も答えない。
だが、気がつくと琴子の歩調に合わせていた。いつもだったら先に行ってしまうのに珍しいこともあるものだと琴子は思う。

「ん?」
ふと視線を感じ、琴子は辺りを見回した。
「うわっ!」
見ると、どこから湧いてきたのかと思うくらいの女性たちが直樹に熱い視線を送っている。

「そういえば、パン屋さんで…。」
「王子様が馬に乗って来た」と女主人や客が盛り上がっていたことを琴子は思い出した。
王子様とは直樹のことだったのである。

「確かにこんな格好で馬に乗っていたら目立つわけよね。」
馬上の直樹を見つつ、琴子は頷く。
当の本人は騒がれることが面白くないという顔をしている。

「おい。」
「はい?」
直樹に呼ばれ、琴子は顔を上げる。
「お前、歩くの遅いな。」
「そんなこと、馬に乗っている人に言われたくないわよ。」
二人の会話までは周囲の人間に届いていないだろう。
これが王子様の実際の姿だと、琴子は声を大にして言いたかった。

「先に行っていいわよ。別に一緒に歩いてなんて一言も頼んでいないし。」
パンの袋を抱え直し、琴子は「フン」と顔を背けた。
その琴子の前に、直樹が手を出した。

「何?パンが食べたいの?それは止めた方がいいわよ。パンを食べながら馬に乗るのはちょっと…。」
「ばあか。」
直樹は琴子を呆れた顔で見た。
「のろくてイライラする。乗れ。」
「はい!?」
「聞こえなかったのか。お前の足が亀のようにのろいからイライラする。だから乗れって言ってるんだ。」
どうやら直樹の差し出した手は、自分を馬に乗せるためだったらしい。

「キャーッ!!」
周囲の嘆く声を聞きながら、琴子は直樹の手を借りて馬に乗った。
琴子が乗ったのを確認し、その前に直樹がまたがる。

「普通、私が前じゃない?」
絵か何かで、男性が女性を抱えるように馬に乗っていた姿を思い出しながら琴子は尋ねた。
「お前、身幅があるから抱えるのは辛い。俺の腕が折れる。」
「何ですって!」
「いいからつかまれ。落ちるぞ。」
直樹の言葉に琴子はパンを前に挟みながら、直樹の乗馬服の裾を握った。
「そんなんじゃ、すぐに落ちるぞ。もっとしっかりつかまれよ。」
「え…。」
迷ったが、落とされてはたまらない。琴子は直樹の腰に手を回した。自然と顔が直樹の背中に触れる。



「…お父様の具合、あまり良くないの?」
恥ずかしさと馬に初めて乗る緊張から、琴子はそのようなことを口にした。
「いいや。快方に向かってる。」
あのようなことを言ったから馬を飛ばすのかと思ったのだが、直樹はゆっくりと馬を歩かせていた。
「そう。」
「ただ、やっと良くなってきたのに東京に戻ると、すぐに無理をするから。」
「そうなの。」
「ああ。いい機会だから完全に良くなるまでは別荘で静養することになっただけだ。」
ただ、そうは言っても裕樹は子供だから心配でしょうがないのだろうと直樹は続けた。

「お互い思い合って、素敵な兄弟ね。」
ずっと思っていたことを琴子は口にする。
「そうか?」
「うん、そう思う。」
「そりゃどうも。」
「兄弟っていいなあ。」
琴子の言葉に、直樹が少し顔を動かした。が、琴子からはその表情は見えない。
「お前、兄弟は?」
「いないわ。ついでに言うと両親もいないの。」
「え?」
直樹は馬を止めてしまった。突然のことに琴子は鼻を直樹の背中にぶつけてしまう。

「パン、パンは大丈夫かしら?」
鼻よりもパンがつぶれていないかを心配する琴子を、直樹は見る。
「本当?」
「ええ。知らなかったの?」
逆に琴子が驚く番だった。

「お前、そんなこと一言も言わなかっただろ。」
驚く琴子に、また直樹が驚く。
「だって当然調べていると思ったんだもの。」
あれくらい大金持ちだったら、自分の素性くらいとっくに調べているだろうと琴子は思い込んでいた。
その上で自分を置いてくれているものだと考えていたのである。

「何で調べる必要があるんだ?」
直樹の言葉にまた琴子が驚いた。
「だって私…突然来たし、脅迫めいたこともしたし。」
自分で言うのも何だが、かなり怪しい人間であることは間違いない。
「脅迫…ね。」
直樹がクスッと笑った。
「本気で脅して何かしてやろうと思っている奴は、あんなに足をガタガタ震わせないぜ?」
「うっ!」
直樹に全て見透かされていたことを知り、琴子は顔を赤らめた。

「それに、俺は胡散臭い人間しか調べない。」
「でも…。」
「こう見えても俺は人を見る目はあるんでね。調べる必要のない人間に手間暇かけるつもりはない。」
「つまり、私のことは…信用してもらえているってこと?」
「さあね?」
直樹は手綱を握り、また馬を進め始めた。

馬に揺られながら、直樹の背中を見ながら、琴子は直樹に話をする。
気がついた時には施設にいたこと。そこも十五になったら出なければいけなかったのだが、孤児を集めた学校に入れたこと。卒業して寮を出なければいけなくなったので、家庭教師の職に就いたことを、明るい調子で直樹に話したのだった。
直樹は黙って琴子の話を聞いていたのだった。

「もうすぐ東京に戻るのね。」
別荘が見えて来た時、琴子が言った。
それは琴子がまた、住む所を見つけなければいけないことを意味する。

「置いてくれてありがとう。とても楽しかったわ。」
心から琴子は直樹に礼を言い、馬を下りたのだった。
琴子がパンを抱えて別荘の中に入るのを、直樹はいつまでも見ていた。



「お兄様。」
その夜、直樹の部屋を裕樹が訪れた。
「…パンはうまかったか?」
「え、何で知ってるの?」
直樹は答えず、黙って笑った。

「あいつ、すごいお節介。」
部屋の椅子に裕樹は膝を抱え座った。
「あんなに大量のパン、食べられないよ。それに買って来た本人がでかい口開けて食べてるんだよ?」
きっと自分が食べたら、裕樹も食べるだろうと思って琴子はそうしたのだろう。
直樹にはそれが分かっていた。

「で、何の用だ?パンの感想を言いにきたわけじゃないだろ。」
直樹はペンを置き、弟を見た。
「うん、あのね…。」
言い淀む裕樹を、直樹は黙って待つ。

「あいつ…何も教えられないじゃない?」
「そうだな。」
「それなのに家庭教師とか威張ってるじゃない?」
「まあな。」
「…うち、部屋余ってるよね?」
裕樹が足をブラブラとさせながら、直樹の返事を待つ。

「余ってるけど?」
「あいつ一人くらい、置いても…何ともないよね?」
裕樹の真意が分かった直樹は、噴き出した。

「つまり、琴子を東京へ連れて帰りたいってことか。」
「いや、だってほら、家庭教師って名目だし。」
言い訳を考える裕樹に、直樹はおかしさを隠しきれない。

「まあ確かにあいつ一人くらい置いた所で、うちの懐は痛くもかゆくもならないな。」
「だったら…。」
「お前から本人に言えば?」
「僕が?それはちょっと…。」
照れもあるし、裕樹からは言いにくいようである。



「嘘!それ、本当?」
直樹に呼ばれた琴子は、裕樹の希望を聞かされ目を丸くした。
「他に行きたいところがあるというのなら、止めはしないけれど。」
「ないわ、ありません!」
興奮のあまり、琴子の頬は紅潮している。
「でも、御両親の許可は?」
「俺のやることを全面的に信頼しているんで、それは気にしなくてもいい。」
それどころか、行くあてのない身寄りのない女性を放り出した方が、両親の逆鱗に触れると直樹は思う。両親は優しい人物なのである。

「ありがとう、本当にありがとう!」
「…お礼を言うのはこちらの方だけど。」
直樹がボソッと呟いた。
「え?なあに?」
「いや。まあ裕樹にちゃんと礼を言ってくれ。あいつの望みを俺は叶えたまでにすぎないんだから。」
「勿論!これから言いに行ってくるわね!」
何度も礼を言いながら部屋を琴子は出て行った。

こうして、琴子は入江兄弟と共に東京の本邸へと向うことになったのである。



「ふわぁ…どこの宮殿?」
入江家本邸を見上げ、琴子はその昔物語の挿絵で見た宮殿を思い出していた。
「ほら、入れよ。」
直樹に膝で蹴られ、琴子は「はいはい」と中へと入る。

中には沢山の使用人たちが直樹たちを出迎えた。
「すごい…。」
ここで(自称)家庭教師として暮らしていくのだと思うと、琴子は緊張する。

「お帰りなさいませ。」
美しい声が響いた。
見ると使用人たちの中心に、美しい女性が立っている。
肩までの髪は緩く巻かれ、品のよい紺色のワンピースにアクセサリは真珠のネックレス。
こういうのを「深窓の令嬢」というのだろう。

「来ていらしたんですか?」
琴子を追い越し、直樹がその女性の前に進んだ。
敬語を使う直樹を、琴子はこの時初めて見た。

「お帰りになってすぐに、お顔を拝見したかったのです。」
女性は恥ずかしそうに答えた。


「裕樹くん。」
二人に聞こえぬよう、琴子は裕樹に話しかけた。
「あの方、どなた?」
「…大泉沙穂子さん。」
裕樹は小声で答えた。
「お兄様の許嫁だよ。」
「許嫁…。」
美しい笑顔の沙穂子、そしてこれまた優しい笑顔で答える直樹。

「あんなに優しい顔、できるのね…。」
驚く琴子の胸の奥がチクリと痛んだ。
「…何だろ、今ちょっと、胸が痛かった。」
直樹と沙穂子は連れだって中へと進んで行く。
琴子は感じたことのない胸の痛みに首を傾げつつ、自分に用意された部屋へと向ったのだった。



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