日々草子 一輪の花 3

2011.12.03 (Sat)

一輪の花 3

どうでもいい話なんですけれど。
今日新聞の別刷りで「最終回を読みたいマンガ」の第7位にゴルゴ13が入ってました。
最終回なんて読みたくないっ!!!と叫んだ私であります。
ゴルゴは永遠に生き続けるんだもん!!最終回なんてないんだもん!!

さ、お話の方はサクサクと進めましょう。ええ、サクサクと!!







【More】






「…どうしてあんな女を置いておくことにしたのさ?」
夜も遅いというのに、まだ仕事をしている兄に向って裕樹は不満をぶつけていた。
「今、余計な醜聞を巻き散らされてはこまるからな。」
書類をトントンと重ねながら、直樹は答えた。
「親父から預かっている財閥を、俺の不手際でつぶすわけにはいかない。」
「あんな女一人に何もできないよ。」
「俺もそう思う。だが、100%そうだとは限らない。だから万全を尽くしたまでだ。」
直樹は次の書類に目を通し始める。
「まあ三週間かそこらの辛抱だ。」
数週間後には東京には戻る。それまで置いておけばいいだけのことである。

「もう遅いぞ。寝ろ。」
直樹は裕樹の顔をチラリと見た。
「…まだ寝たくない。」
「いいから。お前は起きていると勉強ばかりしているから体に毒だ。」
裕樹はしぶしぶと直樹の部屋を出て行った。



「一応、家庭教師としての役目は果たした方がいいわよね。」
翌日、琴子は裕樹の部屋に向かった。
教えられることが何かあるかもしれない。
女中に教わった部屋のドアをノックする。

「…はい。」
思いきり不機嫌そうな声に負けそうになったが、琴子はドアを開けた。
「何だよ?お前に教わることは何もないぞ。」
机に向かって裕樹は本を読んでいた。
「あら、でも何かあるかも…。」
琴子は本の表紙に目をやった。
「こ…く…とみ?」
「国富論。アダム・スミスの国富論。」
裕樹は本を閉じた。
「ええと、それは国語の関係かしら?」
「はあ?」
裕樹は思いきり冷たい視線を琴子へ向けた。
「アダム・スミスも知らねえのかよ。」
「…外国人。」
間の抜けた琴子の答えに、裕樹は溜息をついた。そしてアダム・スミスは経済学の父と呼ばれるイギリス人だと話した。
「そんなんで僕の家庭教師なんて、へそが茶を沸かす。」
「…すみません。」
退散することしか、琴子に残された道はなかった。

実は琴子は勉強が得意ではない。いやはっきり言って成績は下から数えた方が早いくらいである。
それなのに家庭教師を名乗っているには理由がある。
住む場所と仕事、その両方を女性が手に入れるためには家庭教師が一番手っとり早い職業であった。
しかも家庭教師を雇うのは、財産のある金持ちの家庭である。変な仕事をさせられて危険な目に遭う心配もない。
だから琴子は幼児相手にいろはくらいなら手ほどきできるだろうし、子守も兼ねて雇ってもらえればと思い、家庭教師に登録していたのだった。

「それなのに…。」
自分の部屋に戻って琴子は項垂れた。
「何であんな優秀な子の元に来ちゃったんだろう…。」
何も教えなくても置いてもらえるならそれを素直に喜べばいいのだが(もっとも琴子が脅迫したからであるが)、何となく何もしないで置いてもらうのは気が引ける。



そして教えられることは何もなく、数日が過ぎた。
琴子は一応、家庭教師ということなので使用人たちもそれなりの態度を取ってくれている。
そして食事の席も入江兄弟と同じ席につくことを許されていた。

「ごちそうさま。」
フォークを置いた裕樹の皿にはまだ食事が残っていた。
「あら、もうおしまい?」
つい琴子が声をかけてしまう。
「好き嫌いが多いの?」
「うるさい、ばあか。」
裕樹は琴子に向かってあかんべえをする。
余計なことだとは自分でも分かっているのだが、琴子のお節介な性格がそうしてしまう。

「裕樹、もっと食べろ。」
優雅な手つきでナイフとフォークを動かす直樹が裕樹に声をかけた。
「いらない。お腹いっぱい。」
裕樹はさすがに兄にはあかんべえはしなかった。が、食堂を出て行ってしまった。



「直樹様は天才なんですよ。」
「へえ、そうなのですか。」
台所で漬物をお茶受けに、琴子は女中や料理人から話を聞いていた。
勉強はできない琴子であるが聞き上手であるため、皆簡単に心を許してくれたようだった。
「あのお若さで入江財閥を率いておいでですから。」
「あの、親御さんは?」
すると使用人たちは、直樹の父が少し前に過労で倒れてしまったこと、医者から休養が絶対必要だと勧められたため、母と共に違う別荘で静養していることを説明してくれた。

「こちらにいらしたのは、裕樹坊ちゃまを机から離す目的なのです。」
「あら、でも裕樹くんは勉強ばかりしているじゃない。」
「ええ。東京でもあのようにいらして。体に毒だと直樹様が休暇を取られてご一緒にこちらの別荘にいらしたのです。」
「つまりお兄様…直樹さんは裕樹くんを心配しているってわけね。」
「それはもう!」
使用人たちは全員強く頷いた。
「弟様思いでいらっしゃいますもの。」
「で、その兄心を知らない弟ってわけですか。」
「いいえ、違います、相原先生。」
使用人たちは琴子の言葉を否定した。

「裕樹坊ちゃまも直樹様を思って勉強されているのです。」
「どういうことです?」
「一生懸命勉強して早く直樹様を手伝われたい。そう思っていらっしゃるのです。」
「それはまた、兄思いですね。」
つまり兄と弟はお互いを思いやっている。
兄は弟の体を気遣い別荘へ連れて来た。
だが弟は仕事で忙しい兄を心配し、早く手伝いたいと勉強ばかりしている。

「お互い思い合っていることは間違いないのに、どこかずれているのね…。」
漬物をいい音をさせて食べながら、琴子は考え込んでしまった。



「あら、お出かけですか?」
台所から戻る途中、直樹の姿を見つけ思わず琴子は声をかけた。
直樹は面倒くさそうに振り返った。

「あ、また馬に乗るの?」
直樹は乗馬服だった。紺色の上着に帽子。その凛々しい姿に琴子はまた見とれてしまう。
「何か文句があるのか?」
「いえ、ないです。」
黙っていれば本当に貴公子という呼び名が相応しいのに、どうして口を開くとこうなのだろうか。
直樹はスタスタと歩いて行ってしまった。

廊下の窓から、馬場に向かう直樹の姿が見えた。
乗馬は忙しい直樹が仕事を忘れることのできる趣味の一つだと、先程聞いたことを思い出す。他にテニスも得意なのだとか。

「文武両道ってことですか。」
そういう人が本当に実在するのだなあと、琴子は溜息をついた。

「あれ?」
少し離れた場所の窓辺に、裕樹が立っていた。裕樹の目も直樹を追いかけている。
その目はまるで置いて行かれた子供のように寂しげだった。
「もしかして…。」
裕樹は琴子の姿に気付くことなく、その場を立ち去った。



「ねえ、裕樹くん。」
次の日、また姿を見せた琴子に裕樹はうんざりとした顔を隠さなかった。
「何だよ?」
「あの、裕樹くんは乗馬はしないの?」
「…え?」
琴子の質問に、裕樹の顔が変化する。それを琴子は見逃さなかった。

「お兄様が得意なんですもの。裕樹くんもしないのかなって。」
「…しないよ。」
「そうなの?」
裕樹は本をパタンと閉じて、俯く。
「僕、馬に乗ったことないから。」
「やっぱり」と琴子は思った。

「だったらお兄様に教えてもらったら?」
裕樹は力なく首を振った。
「なぜ?お願いしたら教えてくれるんじゃないの?」
「…だってお兄様の楽しみを邪魔したら悪いし。」
日々忙しい兄の唯一の息抜きの邪魔を自分がするわけにはいかない。
それに一人でのんびりと馬に乗りたいだろう。
それが裕樹の思いだった。

それを聞いた琴子は、胸が痛くなった。
と同時に、またお節介の虫がうずき始める。

「だったら…。」
琴子の提案に、裕樹は「え!」と驚いた。



「こちらが、直樹さんの乗馬の先生の吾作さん。」
「どうも、裕樹坊ちゃん。」
吾作は五十代半ば。この別荘の馬番であり、直樹に乗馬の手ほどきをした男だった。
「吾作さん、裕樹くんも馬に乗れるようになりますよね?」
いつの間にか、琴子と吾作は仲良くなっている。これにも裕樹は驚いていた。
「はい。坊ちゃんも練習されればすぐに直樹様のように乗れます。」
「…本当?」
裕樹がその気になってきた。
「大丈夫よ。直樹さんの先生が教えてくれるんですもの。」
琴子が裕樹の背中を押す。
「お兄様と一緒に…出かけられるようになる?」
「はい。」
吾作が力強く頷いた。

「直樹さんには内緒にしておきましょう。」
琴子の提案に裕樹がまた驚いた。
「こっそり練習して、突然直樹さんの目の前に馬に乗って現れるの。直樹さん驚くわよ。」
裕樹は驚く兄の顔を想像する。喜んでくれるだろうか。
「大丈夫、大喜びしてくれるわ。」
不思議なことだ。
少し前に初めて会ったというのに、なぜか琴子に言われるとその通りになる気がする。
こうして裕樹の特訓は秘密裏に行われることになったのである。



「それじゃあ、坊ちゃん。まず乗ってみましょうか。」
特訓初日。吾作が裕樹のために踏み台を持って来てくれた。
裕樹はそれに静かに登る。
馬は思ったより大きい。
「怖がらないでくださいね。」
「うん。」
思いきって裕樹は馬にまたがった。

「あ…。」
吾作と琴子は声を出しそうになったが、何とかそれを押し殺した。
「う…。」
裕樹からも声が漏れる。

裕樹は馬のお尻に向かって、乗ってしまったのだった。

恥ずかしさのあまりに裕樹は顔が真っ赤になった。

「ドンマイ!ドンマイ!」
琴子が声を張り上げる。
「大丈夫よ、初めてなんだから失敗はつきもの!」
「で、でも…。」
これだからと裕樹は練習を止めたくなった。

「初めての人で失敗しない人は誰もいないわ!」
琴子は懸命に励ます。
「直樹さんだって、最初は馬に蹴られそうになったんですもん!」
これには吾作がギョッと目を剥いた。
直樹が初めて馬に乗ったのは今の裕樹よりずっと年齢が下の時だったが、初めてとは思えない器用さだったのに。

「お兄様も?」
裕樹は吾作を見た。
琴子は吾作に目で合図を送る。
「…ええ、さようですとも!」
ここは琴子に従った方が賢明だということを吾作は悟った。
「直樹様も最初は苦労されておりました。」
「そうなんだ。」
どうやらそれに安心したらしく、裕樹は馬から下りて乗り直すことにした。
今度は上手く乗れた。



「お代わり!」
最近見違えるように食欲が出て来た裕樹に、直樹は驚いていた。
「よく食べるようになったな。」
「うん、最近お腹が空くんだよね。」
おいしそうに食べる裕樹を、琴子は笑顔で見つめる。
あれだけ毎日練習すればお腹も空くだろう。



「裕樹くん、背中を伸ばして!」
「坊ちゃま、真っ直ぐ前を!」
琴子と吾作に励まされながら、裕樹は練習に励む。
運動は苦手なのだが、乗馬の練習は楽しくてたまらない。

裕樹は馬の上から琴子を見た。
「上手よ、裕樹くん!」
笑いかける琴子に、裕樹は「フン」と顔を背ける。
「あ、ほら!前を見ないと!」
「あ、いけない。」
裕樹は視線を元に戻した。



そして――。

仕事の合間をぬって、直樹が乗馬服に身を包んで馬場に姿を見せた。
「お兄様!」
聞こえるはずのない声が聞こえ、直樹は驚く。

真新しい乗馬服に身を包んだ裕樹が、馬の上から直樹を見ていた。

「裕樹、お前…。」
驚く直樹に声をかけたのは、琴子だった。
「裕樹くん、ずっと練習していたんです。」
直樹が琴子を見た。
「俺に黙って?」
「お兄様と一緒に馬に乗って出かけたい一心で。」
直樹は裕樹を見る。
「そこを一周してみろ。」
言われた通りに裕樹が馬を進める。
難なく馬場を回る様子を見て、直樹は言った。
「あまり遠くまで行かなかったら、大丈夫か。」
「はい、直樹様。」
吾作が頷いた。吾作がそう言ってくれるのならと直樹も安心する。

「それじゃ、先に行け。」
馬にまたがった直樹が裕樹に命じた。
「え?」
不安そうな裕樹に直樹は優しく笑いかける。
「大丈夫。俺が後からついて行くから。」
「…分かった。」
裕樹は手綱を取った。
その後を直樹が進む。

琴子と吾作は顔を見合わせて笑った後、兄弟の姿が見えなくなるまで見守っていた。


上手くいったかどうかは、戻ってきた裕樹の表情で一目了然だった。
それはもう、楽しそうに笑っている裕樹を見て琴子は胸を撫で下ろした。

「よかった…。」
これで楽しい休暇を過ごさせることができた。
きっと直樹にとっても楽しい思い出になったに違いない。



「おい。」
その日の夕食後、直樹が琴子を呼び止めた。
「お前が俺に内緒で練習させたんだってな。」
「あ…。」
それはまずかったかと、琴子は反省した。
何事もなかったからよかったものの、直樹の知らないところで下手したら裕樹が大怪我をしたかもしれない。
「ごめんなさい。直樹さんを驚かせたくて。」
琴子は謝った。これでは家庭教師失格だろう。

「別に謝る必要はないけれど。」
直樹の口から返ってきた意外な言葉に、琴子は驚いた。
「確かに驚いたけどな。」
しかも直樹の口元には微笑が浮んでいる。
初めて見る笑顔に、琴子はまた驚く。
「笑えるのか…。」
「何か言ったか?」
「あ、いえ。」
また怒らせてしまう。琴子は口を閉じた。

「毎日練習すれば腹も減るわけだよな。」
「うん。」
つい軽口を叩いてしまい、琴子はまた口を押さえた。
が、直樹は大して気にしていない様子である。

「裕樹も勉強以外に楽しみを見つけられたし、悪いことではない。」
「それならよかった。」
「俺も休暇だってのに別荘に来てまで仕事してたからな。あいつに構ってやれなくて悪いことしたな。」
どうやら直樹は反省しているらしい。
「でも、今日兄弟仲良く過ごせたじゃない。」
軽口をたたいても直樹が気にしないと分かったので、琴子の口調は親しみを持ったものに変化した。
「そうだな。」
クスッと笑う直樹を見て、あ、また笑ったと琴子は思った。

「それじゃあ、私はこれで。」
機嫌の変わらないうちに退散した方がいいだろうと、琴子は直樹に背中を向けた。
「琴子。」
直樹が突然、琴子を呼んだ。それもいつもの「お前」ではなく「琴子」と下の名前で呼んだのである。
驚く琴子に、直樹は平然と言った。
「お前だって俺を名前で呼んでいるだろうが。」
「それはそうだけど。」
でも自分は「さん」と敬称をつけていると言いたかったが、無意味な抗議になることが分かったので止めた。

その失礼な態度の直樹が、更に驚くことを口にした。

「ありがとう。」

「ほえ?」
あまりに意外過ぎる言葉に、琴子の口から言葉にもならないものが洩れた。

「だけど、俺は馬に蹴られそうになったことは一度もないぞ。」
「あ!」
どうやら裕樹から聞いたらしい。
「えと、それはあの…。」
「いいよ。裕樹を落ち込ませないためについた嘘だって分かってるから。」
「それじゃ吾作さんのことも叱らないってことね!」
琴子が心配していたのは自分が嘘をついて怒られることではなく、それが原因で吾作が怒られることだった。
「…当然だろ。」
自分より他人を心配する琴子に内心驚きつつ、直樹は答えた。

「よかった!それじゃあ、おやすみなさい!」
琴子は嬉しそうに挨拶をすると、ルンルンと歌うように足取り軽く自分の部屋へと戻って行った。

「何だ、あいつ。」
今迄会ったことのないタイプの琴子に驚かされながらも直樹は悪い気がなぜかしなかった。
「変な奴。」
クスッと笑うと、直樹も自分の部屋へ戻ったのだった。


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