日々草子 鴛鴦文様(おしどりもんよう) 14

鴛鴦文様(おしどりもんよう) 14




どうやら、お琴は屋敷へ戻ったらしい。
らしい」というのは、直樹を心配してやってきた弟、裕樹から聞いただけであるから。
紀子は嫁とはいえ、娘同然に可愛がっていたお琴がいなくなり、更に直樹ではない別の男の元へ輿入れするになるかもしれないということを知り、寝込んでしまっているのだという。

――結局、また母を苦しめることになってしまった。
養子の自分を実子として可愛がって育ててくれ、名門の旗本の息子が物書きになるということも嫌な顔一つ見せず賛成してくれていた紀子を、こうして苦しめる結末になってしまった。
直樹はそれが心苦しかった。

直樹を気遣って、父重樹も足をここまで運んでくれた。
何と慰めていいのか分からないだろう。ただいつもと同じ笑顔で「体にだけは気をつけるように」と言っただけだった。
渡辺屋も時折、ここに来る。
作品も何一つ、まともに仕上がっていないというのに、渡辺屋は催促を全くせずに「ちゃんと食べているのか」等々、気遣ってくれる。
時には店の女中を伴い、家の片づけから食事の支度までやってくれた。

そして直樹は、今日もぼんやりと庭を眺めていた。
庭の物干しに何も干されていないのは、何日になるだろうか。
そしてあれだけお琴の悲鳴で溢れかえっていた家の中も、針一つでも落ちようものなら響くくらいに静まりかえっている。



「先生。」
物干し竿を眺めていた直樹は、顔を動かした。
「おうめさん…。」
そこに立っていたのは、隣に住むおうめ婆さんだった。

「玄関先に、これが落ちていたよ。」
おうめ婆さんは直樹に、石を紙でくるんだものを手渡した。
何だろうと思い開くと、日付と刻限だけが書かれている。
悪戯か誰かの家と間違えたのだろうと、直樹は放り投げた。

「…あのうるさい娘がいないと、静かだねえ。」
縁側に腰をおろし、おうめ婆さんはケタケタと笑った。
「でしょう?」
直樹も笑う。だが、その目は笑っていない。
おうめ婆さんも、お琴がもうここに戻って来ないことは恐らく知っているに違いない。
だが理由を直樹にあれこれと尋ねることはしなかった。
普段お琴と遣り合っていた婆さんだが、こういう気遣いはさすが年の功といったところか。

「あの娘…いい所のお嬢さんなんだろ?」
おうめ婆さんがふと呟いた。
「…ええ。」
直樹は否定はしなかった。
「だろうね。だってあたしの若い頃にそっくりだからさ。」
「ええ!?」
思わず声を上げ、直樹は婆さんを見た。

「…何だよ、その失礼な所はあの娘と同じじゃないか。」
「すみません。」
素直に謝った直樹に、婆さんはまたケタケタと笑った。

「と言っても、あたしの場合はいい所の生まれってわけじゃないんだ。」
「それでは?」
「…あたしは元は吉原で花魁をしていたんだ。」
「嘘!」とまた直樹は声を上げそうになった。が、何とか堪えた。
言われてみると、じろじろと観察したことがなかったから気がつかなかったが、なかなか若い頃は美人だったのではと思う顔立ちである。

「で、爺さんに落籍されたってわけ。爺さんは日本橋にある呉服屋の主。」
その店の名前を聞いて、また直樹は驚いた。
そこは大店も大店ではないか。

「花魁ふぜいが、そんな大店のおかみさんなんて無理だって最初は断ったんだけど、どうしても嫁になってほしいって、手を合わされ頭を下げられてね。」
婆さんは懐かしそうに、しみじみと語る。
「それに、後添えじゃなくて一人目の女房として迎えたいって。それにもう、心打たれちゃって。」
「…余程、御亭主はおうめさんに惚れていたんですね。」
「まあね。」
婆さんは堂々と惚気る。

「そんなことで、飛び込んでみたものの、想像以上に辛かったねえ。」
それは直樹も容易に予想できた。
「吉原あがりのくせにって、親類から店の奉公人まで冷たくて。味方はあの人だけだで、毎日が針のむしろのようなもんだった。」

吉原の花魁といえば、書道に和歌、三味線などの音曲などの教育を施され、その辺の大店の娘など太刀打ちできない教養を身につけている。
それでも、やはり風当たりは辛かったに違いない。

「それまで、花魁、花魁ってちやほやされていた所から今度はお客様に頭を下げて。自分を馬鹿にする奉公人ともうまくやってかなければならない。何度家を飛び出したいと思ったことか。」
「でも」と婆さんは続ける。

「あたしが周りから意地悪されれば、あの人がいつも庇ってくれたし。何があってもあたしを守ってくれるって口癖のように言ってくれたから、何とか頑張れたんだよね。」
そう話す婆さんの横顔は、うら若い娘のようで可愛らしい。

「だからあたしも、一から商売を勉強して。何度も自分には無理だって思ったけれど、でもあの人のためにって頑張れたんだ。」

そのうち、おうめ婆さんの努力は周囲に認められるようになったのだという。
誰も婆さんを馬鹿にする人間はいなくなったし、やがて子供にも恵まれたと、婆さんは嬉しそうに話をしめくくった。

「…その頃のあたしと、あの娘が似ているんだよ。」
確かに大名の娘顔負けの教養を身につけている花魁ではある。しかし本物の大名の姫であるお琴は稽古事が苦手だった。
一体、どこが似ているというのか、直樹は首を傾げる。

「好きな人のために、慣れない事を頑張っている所が。」
直樹が疑問に思っている事に気がついた婆さんは、笑いながら答えた。

「きっとさ、あの娘も先生の傍にいたい一心で頑張っていたんだろうね。最初はおぼつかない手つきで先生のふんどしを洗っていたのに、最近じゃ手際もよくなってきて。」

直樹は初めてこの家に来たばかりの頃のお琴を思い出した。
本当に、一体どこでどんな暮らしをしてきたのかと何度思ったか。それくらい何もできなかったため、「弟子になりたいのなら家事の一つくらい覚えろ」と、紀子の元へ送り込んだのである。

「いい家に生まれて、きっと台所にも立ったこともなかったんじゃないかい?毎日悲鳴が聞こえてたしさ。」
アハハハと婆さんは笑った。

「その生活を捨てて、慣れないことをやって。でも辛いってあの娘、一言も言わなかっただろ?違うかい?」

「…ええ。」
直樹は小さな声で頷いた。
お琴からは確かに、「辛い」という言葉は一度も聞いたことがない。

「楽しかったんだろうね。先生の傍で、先生の世話をすることがさ。きっとすごく幸せだったんだと思うよ。」

そうだったのだろうか。
お琴は幸せだったのだろうか。
その男に当たり散らされ、追い出され…今は何を考えているのだろうかと、直樹は思った。

「おうめさん。」
「ん?」
直樹はおうめ婆さんを見る。
「例えば…大名とかの側室になって周囲から頭を下げられる暮らしをしたかったと思ったこと、ありませんか?大店のおかみさんのように気苦労もなく、客に頭を下げることもない暮らし。」
花魁ともなれば大名の側室になることだって夢ではない。
とにかく、それくらい大金がなければ花魁を落籍せることはできないのである。

「一度もないね。」
おうめ婆さんは何の迷いもなく、きっぱりと気持ちいいくらいに応えた。

「確かにお大名様の中にはあたしを側室にって言ってくれた方もあったよ。でもね、それでもその暮らしだったらと思ったことは一度もない。」
おうめ婆さんは二パッと笑った。

「どんなにお偉いお殿様だって、あの人くらいあたしを大切にしてくれる人はいない。そしてあたしもあの人ほど傍にいたいって思う男はいないからね。」

爺さんには先に逝かれてしまったけれど、息子や娘は自分を大事にしてくれている。
店もきちんと守られている。
古い人間は引っ込んだ方がいいと、息子の代になった時に今の家を買って越してきたのだと、おうめ婆さんは話した。


「…先生とあの娘も、あたしたちみたいになると思うんだけどねえ?」
おうめ婆さんはまるで孫をあやすように、優しく直樹に呟くと、自分の家へと戻って行ったのだった。


暫く直樹はまた庭を眺める。
庭の物干し竿をじっと見つめる。
あそこにふんどしを干していた時、お琴は幸せだったのだろうか。
いつも鼻歌を歌いながら、楽しそうに洗い物をしていたお琴を思い出すと、直樹の胸が痛む。

おうめ婆さんの亭主のように、お琴を優しく包み込んで、何があっても自分が守ってみせると言えればこんなことにはならなかったのに。

そこまで考えて、直樹はフッと笑った。
おうめ婆さんの亭主はきっと自分のように悋気深くなかったのだろう。
吉原の花魁だったくらいなのだから、婆さんの若い頃はさぞ美人だっただろうに。
きっと周囲の男たちの視線もかなり集めていたのではないだろうか。
それでも、亭主はおうめ婆さんに当たり散らすことはなかっただろう。だから幸せな夫婦として過ごせた。

――あいつは選んだ男が悪かったんだろうな。

辛くなって直樹は物干し竿から目をそらした。
すると、庭に放り投げた、先程の文が目についた。

何か感じるものがあった。
直樹はそれを拾い上げた。

そこに書かれている日付は、明日のものだった――。


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明日?

明日会えるんですか?お琴ちゃんに!
それとも、啓太?んん~!素直にお琴ちゃんからの文って思いたい。
おうめ婆さんの旦那さんのように、直樹がんばれ~!!

正座待機っキリッ

おぉ~明日はPCもしくは携帯の前で正座待機しないといけないですね!!

入江くん…じゃなくて直樹がんばれー!

あぁ、ほんと、江戸時代の人たちを自由自在に描けたらいいのにっ。

#かろうじて手元にあるのが大奥…っ
#琴姫描きたい…

ドキドキしながらお待ちしています。

水玉さん、おはようございます。
更新ありがとうございます。

おうめさんのお話、胸にキュ~~ンですね。
直樹、あなたも本当に素直になら。無いと。
皆に心配をかけて。
自宅に投げ込まれた文、あれは琴子から。
明日になったら判るの??
どちらにしても、直樹の気持ちだよね。
意地を張らないで、琴子奪われてもいいの??

コメントありがとうございます。

杏子さん
会えるかどうかは…もうお分かりですよね!
おうめ婆さんの旦那様の話を聞いて、入江くんが少しやる気を出してくれるといいのですが。

えまさん
好きだけに、髪形だけは描けるんですよね…かなり下手ですが。
大奥のあの絵はかなり迫力がありますね!

tiemさん
本当に素直にならないと!
みんなにそこまで心配かけてどうするつもりなんでしょう?
全てを捨てて行くくらいの覚悟があればいいのですが。

拍手コメントありがとうございます。

佑さん
あ、そうなんですね!
こちらも「これじゃコメント催促しているみたいだ!」と我に返りました(笑)
すみません!
どのお話も必ず読んで下さっていることを知って、とても嬉しいです。

ひろりんさん
あ~読み逃げで本当、申し訳ございません!
コメントが下手で何だか空気をぶち壊しやしないかと心配で。
13.5は本当に皆さんの印象が強かったみたいで。
入江くんが動くかどうかが、この話のポイントですよね。

名無しさん
待っていて下さって、ありがとうございます。

紀子ママさん
お~紀子ママさんから入江くんは優しいっていうお言葉が出るとは!
そうなんですよ、すごく優しいんですよ。なかなか表現されないだけで。
そして、そうそう(笑)
こんな男でついてないなんて、全く性格を直す気がないですよね。
おうめ婆さんも、これで直樹が動かなかったら本当、見離しそうですよね。

まあちさん
まあちさんは余程13.5がお気に召したようですね^^
なんか展開が違って逆に申し訳なくなってきました。
ここで奪還しなければ、本当に入江くんはヘタレ決定ですよね。
一生ヘタレ人生を歩んでいくんでしょうね。

おばっちさん
ありがとうございます。
やっとゴールが見えてきたので、頑張りますね!

ぴくもんさん
花魁を落籍せるためには、大名レベルのお金が必要だったみたいですよね。
そして、花魁もかなりの教養を身につけていましたし。
それにしても、今のおうめ婆さんを見ていると、とてもそんな過去があったように思えませんけれど(笑)
お琴ちゃんも全く違う生活に飛び込んで頑張っていたんですよね。
入江くんもそれは本当に分かっていると思います。
そんなお琴ちゃんが選んだ入江くんなんですから、もっと自信をもってほしいです。

いたさん
あ、でももうそんなにハラハラしなくなったところじゃないですか。
読んで下さってありがとうございます。
入江くんもやきもちをほどほどにしないと、一生独身ですよ(笑)
13.5のような穏やかな旦那様になれるといいのですけれどね。
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

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当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

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二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

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