日々草子 蜜月旅行 5

蜜月旅行 5






旅行も残り少なくなってきた。

「はあ…。」
掃除をしながら琴子は溜息をついた。
あの夜以来、直樹とはしっくりいっていない。
別に冷たくされているわけではないのだが、二人の間には新婚の甘さどころか、もはや倦怠期の雰囲気が漂っている。

「やっぱり…東京に戻ったら家を出た方がいいかも。」
自分の無知さゆえに直樹を傷つけてしまったことが、琴子にはこたえていた。
だからといって、「それじゃあよろしく」と直樹の部屋へ忍び込むことはできない。

「こういうことも、きちんとしたお家のお嬢さんだったらきっと…。」
つくづく、自分の境遇に泣きたくなってくる。
やはり直樹にはきちんとした家の令嬢の方が似合っているのだ。

「かといって、どこへ行けば。」
あの孤児院に戻ろうか。親友が院長となった今はかなり快適な場所にはなっているのだが、それも直樹が琴子のために改善してくれたのである。
そこへは戻りづらい。

「どこかの旅芸人一座にでも入って、踊りでも踊って暮らそうかな。」
そんなことを考えていた時だった。

リリリリリ…。

電話のベルの音で琴子は我に返った。
急いで受話器を取った。

「もしもし?」
「あ、琴子様!」
「渡辺さん?」
電話は東京の渡辺からだった。
「すみません。今、直樹さんは買い物に出かけていて。」
少し前に「買い物に行って来る」とだけ言い残して直樹は出かけてしまっていた。

「そうですか。」
「お仕事のことですか?」
「いえ、そういうわけでは…。」
「それでは?」
渡辺にも本当に世話になったと琴子は思った。
何の恩も返せずに家を出ることになりそうなのが心苦しい。

「あの、琴子様?」
「はい。」
「実はこの間のことが気になりまして。その、新婚旅行中にこちらから連絡をするのは野暮だと分かっているのですが心配で。」
「ああ…。」
この間、琴子の話を聞き逆上した直樹が夜中に渡辺に電話をかけたことだった。

「ごめんなさい。あれは私が余計なことを直樹さんの耳に入れてしまったので。」
「いえ、それは別に構いません。」
渡辺の声は優しかった。

「そのですね、あのように激しい直樹様を目の当たりにされて琴子様が戸惑っておいでなのではと心配になりまして。」
「戸惑うというか…ちょっとびっくりしてしまいました。」
素直な気持ちを琴子は告げた。
まさかあそこまで直樹が怒るとは思ってもいなかった。

「そうでしょうね。あのような直樹様は私も初めてでしたから。」
「そうですよね。…って、ええ!?」
思わず同意しそうになった琴子は目を丸くした。
「わ、渡辺さんも見たことがなかったのですか?」
「ええ。」
狼狽する琴子とは対照的に、渡辺は落ち着いていた。

「だって渡辺さんと直樹さんのお付き合いは結構長いですよね?」
「はい。しかし、あのように我を忘れてお怒りになる直樹様は初めて拝見しました。」
「それって、それだけ直樹さんが私に対して怒っていたということですか?」
「いいえ、そういうわけではございませんよ。」
渡辺が笑った。
「直樹様が怒っていたのは琴子様ではなく、犬…じゃない、竜造寺のお嬢様です。」
「でも赤の他人ですよ?」
「だからですよ、琴子様。」
「どういうことでしょうか?」
琴子にはよく意味が理解できない。
そもそも、怒りを向けるのならば他人よりも身内なのではないだろうか。

――まさか、結婚しても身内と思っていないとか?

琴子の脳裏に不安がよぎった。

「他人に琴子様をコケに…いえバカにされたからあのようにお怒りになったのです。」
「それは私が無知だったためです。あのお嬢様だって…。」
直樹はあの令嬢とかつて見合いをした(正確に中止になったのだが)と、話していた。
彼女だけではない。一時期は大泉沙穂子という、素晴らしい令嬢と婚約まで話が進んだほどである。
そのような令嬢たちを差し置いて、自分が直樹の妻の座にいることはおかしなことなのだろう。
きっと竜造寺の令嬢の目には、こんな世間知らずな娘がなぜ直樹の妻にと思うと腸が煮えくり返る思いだったに違いない。

「それだけ、直樹様が琴子様を愛されているということなのです。」
渡辺は不安に陥っている琴子をまるで慰めるかのように、ゆっくりと告げた。
「最愛の琴子様を傷つけられて、直樹様は相当お腹立ちになったのでしょう。」
「そんな…。」
琴子は戸惑う。
あの直樹がそこまで自分に愛情を抱いているだろうか。確かに好きだから結婚したのだとは思うが、いつも冷静な直樹を見ていると、そこまで推し量ることはできない気がする。

「直樹様は琴子様を本当に大切にされておいでです。それは私の目にもそう映っております。」
確かに、この間も勝手に家を飛び出した自分を迎えに来てくれたし、その後も何一つ責めなかった。

「でも渡辺さん…。」
渡辺の話を聞き、琴子は泣きそうになりながら受話器へ話す。
「私はそんなに大切にしていただけるような人間じゃないのです。」
「何を仰っているのですか!」
渡辺が語気を強めた。

「琴子様はとっても素晴らしい女性ですよ。」
「そんなことありません。」
琴子も言い返す。
「だって私は…。」
直樹を傷つけてしまったと言いかけた琴子だったが、それは言わなかった。

「琴子様。」
受話器の向こうから渡辺が呼びかけた。
「はい。」
「琴子様は直樹様のことがお好きですか?」
「えっ!?」
突然の渡辺の問いかけに、琴子は赤くなった。
「それは…もちろん…はい。」
怪しい返事をしどろもどろになって琴子は受話器へ返す。
「直樹様も同じお気持ちですよ。」
「だといいですけれど…。」
やはりきちんと結ばれないと、不安なままである。
それなのに、それを拒否してしまったのは他ならぬ自分なのだ。

「直樹様は少し…いえ、かなり不器用な方ですが、大変お優しい方です。」
受話器の向こうにいる、笑顔の渡辺が琴子には想像できた。
「不器用故に誤解されることも度々ございます。」
琴子は渡辺の話に聞き入っている。
「その不器用さを一番ご理解して下さるのは琴子様だと、私は信じております。」
「私が…。」
「これから、もしかしたらまた直樹様の知らない一面を見ることがあるかもしれません。でも忘れないでいただきたいんです。直樹様がお優しい方だということを。」
「はい…。」
話を聞きながら琴子は、目を押さえていた。
直樹がどんなに優しい人間であるか、一番分かっていたのは自分ではないか。

「…乗馬服、もうお召しになりましたか?」
渡辺は琴子が泣いていることに気付いているのか、ゆっくりと静かに話してくれている。
「はい…。」
「あれを選ぶ時、本当に直樹様は嬉しそうでいらして。私も久しぶりにお手伝いいたしました。さぞ直樹様、喜ばれたでしょうね。」
「私もすごく嬉しかったです。」
直樹が自分のために誂えてくれた乗馬服は琴子の寸法にぴったりだった。
乗馬服だけではない。
孤児院を出た時から、いや、出るきっかけから与えてくれたのは直樹である。
女学校へ入り、何不自由なく面倒を見てくれたのは直樹だった。

「私…。」
「謝らなければ」と琴子は思った。
そんなに優しい直樹をどうしてあそこまで傷つけてしまったのか。
本当に取り返しの付かないことをしてしまったと、琴子は悔やんだ。

「琴子様。」
渡辺が優しく呼んだ。

「琴子様の“あしながおじさん”は、過去も、そして未来もずっと琴子様を幸せにすることだけを考えている方なのですよ。」

「本当にそうですね…私のあしながおじさんは…。」
琴子は手の甲で涙を拭きながら答えた。

「これから先、何があってもあしながおじさんを信じて、あしながおじさんに寄り添って下さいませ。それだけが私の願いです。」

そして渡辺は最後に力強く言った。

「あしながおじさんは、決して琴子様を不幸にはしません。」





渡辺からの電話を終え、少し経った後に直樹が戻ってきた。

まず謝らねば。琴子はそう思った。
しかし、いざとなると何と言って謝ったらいいのか。
悩む琴子に、直樹は声をかけて来た。

「今夜は早く寝ろよ。」
「え?」
一体、どういう意味なのか?
もう子供扱いでいいかという遠回しの意味なのだろうか。

「それはどういう意味?」
「明日の朝は早いから。」
「朝早いって、どこかへ行くの?」
どうやらきちんとした理由があって、そう言ったらしい。しかしおかしなことを口にする直樹である。
琴子の問いに、直樹は窓を指さした。

「山へ登る。」
「山?」
琴子は直樹が指をさした方向を見た。

そこには那須連山が堂々たる姿をあらわしていた――。


関連記事

comment

管理者にだけ表示を許可する

家出はダメよ~♪

お早うございます。このDaddyシリーズの琴子ちゃんにはいつもウルウル&ハラハラドキドキさせられてますが、今回は特に!
あれほど直樹が愛して止まない琴子ちゃんなのに、家を出るですって!万が一にもそんなことしちゃあ駄目よ、直樹が発狂しちゃうわよ!と思わず叫びながら読んでしまいました。怪しいオバサンになってます(笑)
渡辺執事のナイスフォローに大拍手です。もともとの優しさもあるけれど、直樹との信頼関係あってこそですよね。
そして、この後2人で山に登るんですね。せっかくの新婚旅行だから、少しずつでも心が近づいて欲しいと祈るような気持ちです。
また続きを心待ちにしております。有難うございました。

直樹の前から消えるなんて… 肺炎どころか今度こそ死んでしまうわよ(≧ヘ≦) ダメダメ 直樹には琴子が傍にいないと♪ 琴子がいなきゃ直樹は幸せになんかなれないわよっ(>_<) 山に登って絆が深まるといいねっ!!

純粋で不器用な二人~

水玉さん、更新ありがとう~!

琴子の天然にσ(・・*)?・・(´0`*)呆れてる?直樹!?・・でも不器用な言葉の超少ない直樹に似合うのも琴子だけかも・・・まだまだお互いを想い合っていても絆が混がらがって素直になれないお二人・・
登山にどんな意味があるのか?凡人には解り辛いな~だから私も一緒に登山する気分に成ってます~はあ~体力保つかな~
❥直樹の愛が琴子に届きますように!❥~

水玉さん、こんにちは♪

渡辺さん、結婚までの二人を大切に見守ってきたから、直樹さんの電話からぴんと来るものがあり、心配で電話せずにいられなかったのね。。。
不器用な親友の足りないところを補いながら、琴子ちゃんへの大丈夫メッセージ。。。素敵です!!!

~~二人で山登り♪新鮮!どんな山登りになるのかな~♪
・・・“そこには那須連山が堂々たる姿をあらわしていた――。”
わくわく♪一緒に山に登った気分で次回を楽しみたいです!♪♪

乳母様、立候補します!笑

更新ありがとうございます。
琴子の不安が無くなるまで待っている直樹さん、ステキですね。
琴子にもそれはしっかり伝わっているからこそ、逃げ出したい気分なのですね・・・
渡辺さん、グッジョブ!
直樹様のフォローを入れつつ、琴子を諭す・・・乳母様のような暖かさ・・・
残念なのは、異性なだけに、教えてあげることは控えてるって感じでしょうか・・・微笑。まあ、そんな物教えた日には、三日三晩寝ずの仕事どころか、一週間は寝れませんよね・・・お仕事は山積しているようですし・・・怖っ。
早く、身も心も開けると良いですね・・・
「大人な殿方」が2人も、見守ってくれているのだから、勇気を出すのよ、琴子ちゃん!もう、もどかしいわぁ~苦笑。これからでも、琴子の乳母様に立候補します!
続きも楽しみにしています。

コメントありがとうございます。

ひろりんさん
家出なんてしたら、本当に直樹さんは半狂乱になってしまうでしょうね。
そうなる前に渡辺さんから電話があってよかったです。
まあ渡辺さん、あんたもエスパーかっていうくらいに(笑)見事に二人の悩みを解決に導いているし。
いい友達ですよね~。
初めての二人きりの旅行なんですから、幸せな思い出だけをいっぱい作ってほしいなと私も思いつつ、頑張っております(笑)

あやみくママさん
そうだった。最初に肺炎になっていたんだった、こちらの直樹さん(笑)
今度は肺炎じゃすまなくなりそうですよね。
でもそうなる前に渡辺さんが助けてくれたので!
山と一緒に、二人の距離も乗り越えていってくれるといいのですが。

美優さん
不器用な男に天然な女…見事なくらい、二人の心が重なるのが難しいカップルですね(笑)
登山、私ももう十何年以上登っていません。いや、体力持たないわ。やったら絶対翌日、筋肉痛で歩けなくなるだろうな(笑)
この二人がくっつくまで、後少しです!

あおさん
そうなんですよ~。
渡辺くんは直樹の親友だけに、何かが起きていることを感じたんでしょうね。
親友夫婦のことを本当に心配する渡辺さん、なんていい人なんでしょうか!!と書きながら自分で思ってました。
渡辺さんのおかげで琴子ちゃんも一歩踏み出す勇気が出たようですが、肝心の本人は山とか言い出すし(笑)
頑張れ、琴子ちゃん、あなたの選んだ旦那様はそういう人なのよ~♪

Reeさん
琴子ちゃんのお乳母さんに立候補ですか!
それは頼もしい!!でもそうやって手助けしたくなると思っていただけて私も嬉しいです。
渡辺さんが手取り足とり教えたら…そりゃあ裸にひんむかれて家から追い出されるんじゃないでしょうかね?(笑)
「教えるのは俺だ!」とか怒鳴られて。
哀れ渡辺さん…と想像の世界で泣いてしまいました。
今回は本当に皆さんから直樹さんが素敵とほめられて、慣れないことに(笑)戸惑っております!

拍手コメントありがとうございます。

紀子ママさん
普段の直樹の行状のせいで(笑)なんて気の毒な!!
でも確かに、結婚直前のころはひどいことをしでかしていましたからね。
犬発言する渡辺さんは、主人の口の悪さがうつってしまったんでしょう!
でもそれでも許されるのは、やはり渡辺さんの人柄所以なのでしょうね。
彼もあの犬一家にはひどい目に遭いましたしね…でも悪役を書くのはやはり楽しい!!

まあちさん
確かにやっていることは結局、入江くんのお守ですよね、渡辺さん!
でも本当に直樹のことが好きなんでしょうね。だからこうやって色々と気遣いを…やっと捕まえた理想の花嫁ですもんね!
渡辺くんがいなかったら、顔がいいロボット…確かに!さすがまあちさん、見事に言い当てていらっしゃる!

るんるんさん
もう本当に「救世主」という呼び方がぴったりですよ、われらが渡辺くんは!!
これでどうにもならなかったら、もうすべて入江くんの責任ということで!

ゆっぴさん
ありがとうございます!
続き、頑張って書きますね!

りんさん
ありがとうございます!
早くラブラブ…私もそうしたいです!

Foxさん
こんなに琴子ちゃんに惚れこんでいるあしながおじさんですもの!
もうあとは琴子ちゃんが勇気を出して飛びこめば万事OKなんですよね。
頑張れ、琴子ちゃん!
渡辺くんの未来のためにも(笑)

佑さん
うわ~大変な中ありがとうございます!
本当に渡辺さんの穏やかな日々は、これにかかっていますよね!
そう願わずにいられません。

ぴくもんさん
ぴくやんまで○○溜派だったとは…(笑)
そして、そして…!!
んもう!!そんなこと言うから、道路のまん中でにやける、超危ない人になったじゃないですか!!
そうですよ、そこはもう萌え萌えポイントですよ♪♪
指ちょいちょいは反則ですよ~!!キャー!!
最後は「枕と仲良くするの、やめ」ですよね!!キャー打ちながら笑いが止まらない!!
あの巻は萌え要素がこれでもかってくらいに入ってますからね。告白の場面とかあとあと…キャー!!←手がつけられなくなっている
やっぱりあれですかね?「乙女の夢」クラブにバスローブも追加するべきですよね?気が向いた時によろしくです!!
倦怠期夫婦が新婚に戻れるか、ぜひ最後までお付き合いください!!
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

現在の御訪問者
現在の閲覧者数:
御訪問ありがとうございます
このブログについてのお願い
当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

コメント及びメールなどでの苦情及び批判は公開、非公開を問わず、私へ告げることはご遠慮いただけますよう、お願い申し上げます。

このブログ及び掲載されている話が嫌いだと思われたら、黙ってあなた様の中から、このサイトの存在を消去していただけますよう、お願い申し上げます。

カテゴリー+月別アーカイブ
 
最新コメント
最新記事
カボチャの世界
Private
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
リンク