日々草子 めでたし めでたし 16
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めでたし めでたし 16





散歩から戻ると、実家の駕籠が家の前に止まっていた。

「母上。」
直樹が呼ぶと、玄関の前で立っていた紀子が振り返った。手には風呂敷包みがあった。

「洗い物でしたら、いつものように女中に運ばせればよかったものを。」
「たまには直樹さんの顔を見たくて。」
お琴がいなくなってから、直樹は洗い物を実家に頼むようになっていた。数日に一度、実家から女中が取りに来る。

家の中は相変わらず静かだった。
「お茶を淹れましょう。」
紀子は座らずに、真っ直ぐ台所へと向った。



「直樹さん。」
一服した後、紀子が切り出した。
「実家に戻ったらいかが?」
「実家?どうしてです?」
「…一人では色々大変でしょう。」
紀子は家を見回す。
お茶を淹れることもこれまではお琴の役割だった。
紀子が顔を見せると、女性二人で時間を忘れるほどおしゃべりに花を咲かせていたものである。直樹が「うるさい」と注意することもしばしばあったほど。
それが今では、針が落ちても響くのではないかというくらいの静かさであった。

「平気ですよ。これまでも一人でしたから。」
ただ洗い物で母上の手を煩わせるがと、直樹は言った。
「それは構いませんが…。」
紀子が直樹を心配していることは明らかであった。
「第一、旗本の屋敷では物書きなどできません。」
「そのようなことは気にせずともよいのです。父上も心配しておいでです。」
「父上が?」
「ええ。実家に戻って好きなだけ物を書けばよいものをと先日仰せでした。」
それで紀子がわざわざやってきたのかと、直樹は合点した。

「御心配なさらずとも大丈夫です。」
直樹は母の気遣いを有り難く受け取ったが、戻ることは拒否した。
ここでもうしばらく、お琴と一緒に過ごした思い出に浸りたい。そう思っている。

いつでも戻ってほしいと言い残し、紀子は持参した料理を置いて帰って行った。

それと入れ違いにやってきたのは、渡辺屋だった。

「悪い。まだ…。」
あれから直樹は筆が進んでいなかった。渡辺屋自ら足を運んでくれているというのに、毎度手ぶらで帰すことが申し訳ないと思う。
「いや、気にするな。俺は暇つぶしも兼ねて来ているから。」
いつも渡辺屋はそう言って笑った。
だが直樹とて、大店の主がそう暇を持て余しているわけではないことは分かっている。
母と親友にこうして気を遣わせていることが申し訳なかった。

「なあ、入江。」
紀子が置いて行った料理を直樹は渡辺屋に勧めた。渡辺屋は遠慮なくつまんだ。
「暫く休んでもいいぞ?」
「え?」
直樹は渡辺屋の顔を見る。
「ほら、お前はずっと書いて書きまくっていたろ?ここらで少し休んでもいいと思ってさ。うちも十分稼がせてもらったことだし。」
「それって、お払い箱ってことか?」
心配する直樹に、
「いやいや。とんでもない。うちの店で一番の売り上げの作家をそう簡単にお払い箱にはしないよ。」
と渡辺屋は手を振った。

「でも、この間も迷惑かけたしな。」
直樹が言っているのは、沙穂子が来ている間のことである。その時も筆が進まなくて渡辺屋には迷惑をかけてしまった。
考えてみると、お琴がいないだけでこのように仕事に支障が出るとは。我ながら何とも情けないと思う。
「いいんだよ。少し休んで、また面白い物を書いてもらえれば。」
渡辺屋も直樹のことを心配していることは明らかだった。

「そうだ、うちの寮に来ないか?」
「お前の家の寮?」
「ああ。根岸の寮。あそこは静かだし気分転換には丁度いい。俺も一緒に行くよ。」
「お前と?」
「そうだよ。二人で景色を眺めながら一杯やろう。」
「男二人でか?」
直樹が思わず笑った。渡辺屋もつられて笑う。

渡辺屋の思いやりはとても嬉しかったが、もう少し頑張ってみると直樹は返事をした。渡辺屋は無理だけはしないようにと何度も念を押し、帰って行った。



一人になると、静かさが直樹を襲った。
とても机に向かう気分ではなく、直樹はだらしなく横になる。
眠ろうとうとうとしかけるのだが、もう布団をかけてくれる人間もいないことに気がつき慌てて起き上がったりした。
最近はその繰り返しであった。

「まいったな…。」
ここまでまいってしまうとは、正直思いもよらなかった。
だが何とか立ち直らなければいけない。空気を入れ換えようと、直樹は縁側に出た。

物干しを見る。そこにはもう何も干されていなかった。

その時である。
ふと、直樹の脳裏に何かがよぎった。
「…。」
直樹は机の前に座った。そして筆を手に取る。
それから一心不乱で直樹は書き続けた ――。



「入江!!」
直樹が一つの話を書き上げてから、また一月が経っていた。
「よう。」
興奮する親友を直樹は出迎える。
「すごい、すごいぞ!!今までで一番の売り上げだ!!」
履物を脱ぐことももどかしい感じの渡辺屋は叫んだ。
直樹の新作は瞬く間に大評判となったのである。

「そうか…それならよかった。」
渡辺屋から報告を受け、直樹は安堵の表情を浮かべた。
「どうなるかと心配していたんだ。」
「心配する必要はないよ。刷った分全部売り切って、客に待ってもらっている状況だ!」
渡辺屋は満面の笑みを浮かべた。それを見て直樹も嬉しくなった。

「お前に一つ、頼みがあるんだが。」
「何だ、何でも言っていいぞ!」
渡辺屋の機嫌はすこぶる良い。

「…相原家から注文があっても、あの本だけは売らないでくれ。」
「え…?」
直樹の頼みに渡辺屋の顔色が変わった。
「どうして?お琴ちゃん…琴姫様が楽しみに待っていることはお前だって…。」
「わがままだとは分かっている。だがどうしても相原家に入れないでほしい。」
頼むと、直樹は渡辺屋に頭を下げた。
ここまでされてしまった以上、渡辺屋は何も聞くことはできないし、言い返せない。

「分かったよ。相原家より注文が入ったら、まだ出来上がっていないと返事をする。」
少し落胆した調子で渡辺屋は直樹の願いを聞き入れた。



「なあ。」
直樹は渡辺屋を呼んだ。
だがその視線は渡辺屋ではなく、相変わらず物干し竿に向かっていた。

「…竹取の物語って知ってるだろ?」
「え?あのかぐや姫か?」
突然直樹の口から『竹取物語』が出て来て、渡辺屋は驚いた。
「そう、それ。それにこう書いてあるだろ?かぐや姫がいなくなった後の屋敷は闇のようだったって。」
「ああ…。」
そして直樹はフッと笑った。

「…あいつはかぐや姫のような美しい姫じゃなかったけど、でもあの明るさはこの家と…俺の心を確実に照らしていたよ。だから…。」

相変わらず物干し竿から視線をそらすことなく、直樹は続けた。

「あいつがいなくなったこの家は、真っ暗なままなんだ。…いつまでも。」

そう語る直樹の横顔はとても悲しげであり、渡辺屋は見ることが辛かった。




一方、相原家に戻った琴姫は、退屈な日々を過ごしていた。
国許から江戸に向かっている父は、到着が遅れていた。

「…もうよい。」
琴姫は貝道具を置いた。女中たちを相手に貝合わせをしていたのだが飽きてしまったのである。
「お琴を弾かれますか?」
老女が尋ねたが、名前に似合わず琴が苦手な姫は首を横に振る。
「では茶の湯のお稽古でも…。」
「あの師匠は嫌いです。」
ガミガミとうるさい茶の湯の師匠の顔を思い出した琴姫は、うんざりした。
そういえば、紀子がこの次はお茶のお稽古をしようと言っていたことを思い出す。

稽古事が苦手な琴姫だったが、不思議と紀子に教わることは好きだった。紀子が決して怒ることをせず、些細なことも褒めてくれたからであろう。
だから料理も裁縫も、紀子に教わることが楽しくて琴姫はせっせと入江家に足を運んでいた。
「お琴ちゃん」と優しかった紀子の顔が懐かしい。

「そうだ!」
琴姫は思い出した。縫いかけの直樹の着物があった。
女中に命じ、それを運ばせた。
邪魔をされたくないので、女中たちを全て退け、琴姫は一人部屋で針を運ぶ。
不器用ながら何とか出来上がったのは、こちらへ戻って一か月過ぎた時だった。

「師匠に…。」
そう思った琴姫の顔が、すぐに曇ってしまった。
渡したい相手である直樹とはもう会えないのである。夢中になって縫ったが、それが無駄であったことに気がついた琴姫はがっくりと肩を落としてしまった。
琴姫の指は針で刺した傷だらけであった。



再びやることのなくなってしまった琴姫は、女中を呼んだ。

「渡辺屋の新作はまだ入らないのですか?」
「申し訳ございませぬ。何度も申し入れているのですが、まだ出来上がっていないとのことでございます。」
女中は頭を下げた。
「まだ…?」
琴姫の眉がひそめられた。自分があの家を出てから、もう三月も経とうとしている。直樹の筆の進み具合からして、あまりに遅すぎる。

女中を下がらせ、琴姫は一人考え込んだ。

「師匠、病気でも?」
そう考えるといても立ってもいられなくなる琴姫。
「いや、もしかして…渡辺屋さんと女性を争っているとか?」
病気など縁起でもないと思った琴姫は、あらぬ方向へと考えを働かせ始めた。

「渡辺屋さんが付いていて、出来上がらないというのはおかしいわ。ということは、二人に何かがあった…女性問題?」
おかしなもので、一度変な方向へと考え始めると、どんどん進んで行ってしまう。

「確かに師匠は黙っていれば綺麗な顔だわ。でも口を開いたら渡辺屋さんの勝ちに決まっている。師匠のあの口の悪さじゃ、どんな女性だって逃げていってしまうもの。」

渡辺屋は直樹ほどではないが、あの若さで大店を切り盛りする裁量の持ち主。そして何といっても大金持ちである。その上性格も温和である。
対する直樹は顔だけはいいものの、性格は…琴姫は溜息をついた。
だが琴姫は思った。自分だったら絶対に直樹を選ぶ、と。

「渡辺屋さんに負けてしまって、仲違いをして、やる気もなくなったとか…。」

琴姫は溜息を何度もついた。直樹が心配でたまらなくなる。まさか自分が原因で直樹が書くことができなくなっているとは思いもしない。



しかし、どんなに直樹が心配でも今の琴姫は会いに行くことは不可能だった。
なぜなら、自分の縁談が本格的に進み始めているのである。
乳母と江戸家老が自分の縁談を考えていることは、琴姫も知っていた。
今度父が戻ったら、本格的に婿探しが始まることになっているらしい。

「でもどんな方でも、師匠に敵う人はいないけれど。」
琴姫にとっては、今も直樹が一番である。だが好きなのは自分だけ。直樹の心が自分にないことを思い出し、また琴姫は悲しくなった。
そうなると誰の妻になっても同じだと思う。



「そうだわ。」
思い立った琴姫は老女を呼んだ。

「は…?今、何と仰られました?」
老女は目を見開き、琴姫を見つめた。
「ですから、客人を呼んでほしいのです。」
そして琴姫ははっきりと命じた。

「地本問屋の渡辺屋の主を呼ぶように。」


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ごめんなさい、ぴろりおさん!

ぴろりおさん
ごめんなさい!!
まず最初に断言しますが、ぴろりおさんのせいではないです!ぴろリおさん、全然関係ないですから!
そうですよね、こんなタイミングであんなことわりがきを出したら、気にしてしまいますよね。配慮できずに申し訳ありませんでした。

私は書いている話がこのようなものがほとんどなので、自分からリンクのお願いに上がることはないんです。普通のイリコトメインのブログだったら勇気も出せるのかもしれませんが…。

それゆえ、当然のことながら滅多にリンクの御依頼もないという、なんとも寂しい場所です。
だから今回のようにリンクの御依頼があると、もうすごくうれしくて!!「こんなところでもつないでくださるんですか?」という感じで浮かれちゃうんですね。

でも、もしかしたら後日、私が書く話の内容で何か問題が起きた際、「こんなところとリンクしているサイトって…」と、リンクをして下さった方がにご迷惑をかけてしまうのではないだろうかと不安になり、あのようなことわりがきを出したんです。

今回は全くの偶然なのですが、続いてリンクをさせていただけたこともあったので。

以前もやはり相互リンクをさせていただいた際(このことからお分かりいただけるとおり、リンクの御依頼は数年に一度あるかないか、なのです(笑))も同様に不安になって、せっかくご縁を結ぶことができた方にご迷惑がかかったらと思い、似たような断り書きを出したことがあります。

最近それを下げていたのですが、今回の嬉しいご縁で思い出し、似たようなことを書いて出したんですよ。

ですので、ぴろりおさんの仰られたことと、まるっきり正反対です。
私とリンクをしたことがご迷惑をおかけするのではなかろうかと思ったのです。

私は本当にぴろりおさんからコメント頂いた時、凄く嬉しかったですし、あのような勿体ないご紹介もしていただけて、感激しておりました!!

『いろんなイリコトに会えます』というのは、私にとっての最大級のほめ言葉です。ですのでどうか訂正なさらずに…いえ、『色々な時代のイリコトに会えます』も、もちろん嬉しいです。だからぴろりおさんの思われるがままに紹介していただけたらと思います。

もう本当にぴろりおさんが気にされることはありませんので!
本当に悩ませてしまって、ごめんなさい。

このような場所ですが、どうぞこれからも仲良くしていただけたらと思います。

No title

琴子ちゃんがお姫様!!
こんな展開が待っているとは!!!

直樹さん宅がシーーーーンとしているのは
文中からもすごく伝わります。
紀子ママも辛いよね。琴子ちゃんと何とかしてほしくても
こればかりは・・・姫様じゃ・・・・

琴子ちゃんが渡辺さんを読んで行動開始って感じですが
どう展開していくのでしょうか??気になります。
くれぐれも直樹さん。お馬鹿な行動だけはしないでくださいね。

コメント&拍手コメントありがとうございます。

コメントありがとうございます。

ゆみのすけさん
紀子ママや皆に愛されていた琴子ちゃん。
琴子ちゃんに去られて一番辛いのは入江くんだということを、皆分かっているからこそ心配になるんですよね。
何か力になりたくても、どうしてやることもできない…。
この話から少し、直樹さんには耐え忍ぶことを学んでいただこうかと(笑)←何様な発言
多分、もうゆみのすけさんから「お馬鹿」と言われることはないかと思います!

拍手コメントありがとうございます。

紀子ママさん
私の脳内にもすっかり大蛇森と夫婦になっている琴子ちゃんが…。
でも、どうせ設定するならもうちょっと悲惨な設定がいいなあ、なんて。
紀子ママさんの予想通りの見事なへたれっぷりですね。直樹さんは。
そんな直樹さんを見捨てない渡辺屋さんがとてもいい人過ぎて眩しいです。

Foxさん
どんな話を書いたかは次回で…。
入江くんの武器はペンじゃない、筆ですので、それを活用してもらわないと。
本当に渡辺屋さんだけがどんどん株を上げていっております。
渡辺屋さんはいい人です。誰か彼にお嫁さんを紹介してあげて下さい。
お金持ちで性格もよいとなると、相手には困りそうもないですね。

佑さん
続きが気になるのもあと少しですよ。
渡辺屋さんの獅子奮迅ぶりをどうか楽しんで下さい。

おかきさん
とんでもないです。読んで下さるだけで嬉しいですし、拍手ボタンを押して下さることも嬉しいです。
なんかちょっと変わった話ばかり書いているので、目立たないよう、ひっそりとをモットーにしているんです。
ちょっと変わっているとやはり、後々問題が発生する可能性もあるかなと。少しでも可能性があるのだからそこを回避する方法を考えなければと色々試行錯誤しております。
ですので、このようなサイトに足を運んで頂けるだけで本当にありがたいです。
おかきさんのように個性だと大らかに受け止めていただけることは、何より嬉しいですし続けていきたいなと思えます。
励まして下さりありがとうございます。
根岸は色々な時代小説に出てきますよね。剣客商売は私も読みました。読むと必ず剣道を習いに行きたくなるんです。
時代小説が好きな方とお知り合いになれて嬉しいです。

琴子らしく・・・

       こんばんは
  どこに行っても何をしても・・・心に在るのは『直樹への思いだけ』ですよねぇ・・・。
寝ても覚めても直樹と   心配のあまりの渡辺さんとの妄想も琴子らしく 二人の性格は妄想でなく ほんまの話ですがねぇ・・・。

 渡辺さん 呼んじゃったけど 呼べるのかなぁ?
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

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このブログについてのお願い
当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

コメント及びメールなどでの苦情及び批判は公開、非公開を問わず、私へ告げることはご遠慮いただけますよう、お願い申し上げます。

このブログ及び掲載されている話が嫌いだと思われたら、黙ってあなた様の中から、このサイトの存在を消去していただけますよう、お願い申し上げます。

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