日々草子 めでたし めでたし 12
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めでたし めでたし 12





沙穂子が用意した夕食の膳を直樹は黙々と平らげていく。

「お味はいかがでしょうか?」
沙穂子は給仕をしながら直樹に訊ねた。
「おいしいです。」
直樹は微笑む。
「おいしい」―― この言葉以外を聞いたことがあるだろうか。沙穂子はそう思う。

「直樹様。」
「はい?」
沙穂子は直樹を見つめた。
「…ああ、そうだ。」
沙穂子の視線に耐えられない直樹は、目を反らせた。
「そろそろ、大泉家にお返事をしなければいけませんね。まずは…結納の日取りを決めねば。」
結婚を承諾するという意味合いのことを直樹は口にしたのだが、なぜか沙穂子は浮かない顔のままだった。
「沙穂子殿?」
さすがに直樹は不安になり、沙穂子を見た。

「直樹様。」
「何でしょう?」
意を決して沙穂子は口を開いた。
「もしも、私がお料理に失敗したらどうされますか?」
「沙穂子殿が?料理を失敗?」
直樹は笑った。
「そのようなことは…。」
「ないとは限りません。」
笑う直樹とは対照的に、沙穂子の顔は真面目だった。
「直樹様のお嫁様にしていただいて、私がお魚を焦がしたり煮つけの味を間違えてしまったりしたらどうされますか?」
そう言われてもと、直樹は思った。まだ沙穂子には打ち明けてはいないが、直樹は大泉家に婿入りするつもりでいる。大泉家には女中も大勢いるので、沙穂子自ら台所に立つことはない。
ただ、沙穂子の性格を考えるともしかしたら直樹のために手料理を振る舞うつもりかもしれない。

「失敗とてあるでしょう。どうかお気にされずに…。」
そうとしか直樹は答えようがなかった。
「…やはりそういうお答えなのですね。」
直樹の返答を聞き、沙穂子は溜息をもらした。

「直樹様はきっと、この先もずっとお優しいままなのでしょう。私がどんな失敗をしても決して咎めないのでしょうね。」
「失敗は誰にでもあります。」
優しい事の何が沙穂子は不満なのだろうか。これも女心というものなのか。直樹には理解できそうもない。

「私がこちらでお料理を作っても、いつも直樹様はおいしい、おいしいと召し上がって下さいます。」
「沙穂子殿の作る物は全ておいしいですから。」
「ですが、直樹様の仰り様はまるでお芝居の台詞を口にされているようなのです。」
沙穂子は直樹に抗議するかのようだった。
「私としては直樹様のお口に合う味付けをと思います。育ってきた家が違うのですからお味とて違うでしょう。それなのに好みも仰られないのは、寂しゅうございます。」
口ぶりは寂しさであふれていたが、沙穂子の姿勢はどこまでも凛としている。

「直樹様は、この先もずっと…一緒になった後もそうやって優しいままなのでしょうか?ご自身の好みを口にもされず、不満も口にされずに長い年月を私と共に歩まれるおつもりですか?」
沙穂子にそこまで言われても直樹は、何も言い返すことができなかった。全て沙穂子の言うとおりだった。
これから先、自分の心を殺していこうと思っていたのだから。

「私、知っております。直樹様は毎日お琴さんのお姿を見るために足を運んでおいでなこと。」
「あれは…違いますよ。」
直樹は否定しなかった。
「あれは、あいつが馬鹿なことをして渡辺屋の御隠居を怪我させたりしないかが心配なだけです。御隠居に何かあったら、俺の仕事まで取り上げられてしまいますからね。」
「嘘です。」
沙穂子は即座にそれを否定した。
「嘘じゃありません。」
直樹も引かない。
「嘘です。お琴さんのことを見つめる直樹様のお顔はとても優しいお顔です。心配などしていらっしゃる様子じゃありません。」
沙穂子は悲しそうに直樹を見つめた。
「いつまで、ご自分の心に嘘をつかれるのですか?」
「…。」
全て沙穂子には見抜かれていた。これ以上、嘘をつくことは沙穂子をも傷つけることになる。

直樹は黙って頭を下げた。
「直樹様…。」
直樹は何一つ語らず、頭を下げたままである。
これが直樹の答えだと、沙穂子は知った。
直樹は頭を下げる。

「やっと…ご自分の気持ちに正直になって下さいましたね。」
直樹が顔を上げた。沙穂子は笑顔だった。
「よかった…最後に直樹様の本心を知ることができて。」
「沙穂子殿。」
「…家のことはご心配なされませんよう。私が上手に話しますから。」
「ただ、素直になってほしい」と沙穂子はそれだけを直樹に願った。



「沙穂子様!」
「お久しぶりです、お琴さん。」
来客と言われ客間に向かったお琴は、そこにいた人間が沙穂子であることに驚いた。
「少しお琴さんとお話がしたくてお伺いしました。」
いつもの美しい笑顔を向けられたお琴は、何の話だろうと少し緊張を覚えた。
だが丁度よかった。お琴も沙穂子に頼みたいことがあったのだ。

「私にお願いですか?」
沙穂子はお琴の言葉に驚いた。
「それでは、先にお琴さんのお話をお聞かせ下さいませんか?」
「はい、あの…。」
お琴は手をついた。
「お琴さん?」
「私がこのようなお願いをするのはおかしいと分かっています。でもお願いです。」
「何でしょうか?」
「師匠が物書きを続けることができるようにしていただきたいのです。」
「直樹様が?」
「はい。師匠は沙穂子様と婚礼を上げたら、物書きはやめられるつもりです。」
そのようなことを直樹はお琴に話していたのかと、沙穂子は内心驚いていた。

お琴は沙穂子の目を見た。その懸命な表情に沙穂子は息をのむ。
「でも、師匠は物を書くことがとてもお好きなんです。あんな感じですけれど、お話を書いている時はとても真剣で夢中で。好きじゃなければあそこまで没頭できないと思います。」
「そうですね…。」
沙穂子も直樹が懸命に机に向かっている姿を見て来た。声をかけるまで沙穂子に気がつかなかった直樹を思い出す。
「ですから、どうかどうか、大泉の家に入られてもお仕事を続けることができるよう、お願いいたします!」
お琴は真剣そのものだった。
お琴は自分の幸せよりも、直樹の幸せを願っている。その姿は沙穂子の胸を打った。
そして初耳なこともあった。お琴は大泉の家に直樹が入ると口にした。ということは、直樹は婿養子に入ることを考えていたということである。
やはり、入江家のことを考えて自分と一緒になるつもりだったのだと沙穂子は知った。直樹が自分を選ぼうとしたことは、愛情からではなかった…。

「ごめんなさい、お琴さん。」
沙穂子は優しくお琴に声をかけた。お琴は顔を上げる。
「沙穂子様!」
「ごめんなさいね、お琴さん。そのお願いは聞くことができませんわ。」
「そんな!」
お琴の顔色が変わった。沙穂子は直樹が作家でも構わないと最初言ったではないか。だからきっと自分の願いを聞き入れてくれると信じていたのに。

「なぜなら…。」
沙穂子はフフフと上品に笑った。
「私は家に戻ったのです。直樹様とのお話はなかったことになりました。」
「ええ!?」
お琴は目を丸くした。
「ど、どういうことでしょうか?」
「婚礼も上げません。今日はそれをお伝えに参りました。」
「なぜですか?」
あんなに…あんなに直樹のことが好きで家にやってきた沙穂子である。どうして突然こうなったのか。
お琴はハッとなった。
「もしかして、私の…せいでしょうか?」
自分が直樹の弟子だったために、沙穂子の祖父や両親が難色を示したのだろうか。だとしたら、お琴は大泉家に乗り込んででも、事情を説明するつもりだ。

「いいえ。お琴さんのせいではありません。」
沙穂子は笑顔で否定した。
「私、やはり物書きの方のお嫁さんは無理だと分かったのです。」
そう答えた沙穂子だったが、お琴はまだ信じられない。
「やはり私には無理でした。」
「…嘘です。」
お琴はそう思った。沙穂子は嘘をついている。
「嘘ではありません。」
「嘘です。沙穂子様は嘘をついておられます。」
どうして今の生活についていけないと決めつけるのだと、沙穂子が最初にそう直樹に詰め寄っていたことをお琴は見ていた。その沙穂子が今更そのような気持ちになるわけがない。

「…今の直樹様には、奥方よりもかゆい所に手が届くお弟子さんの方が必要のようですよ。」
沙穂子は直樹の気持ちまでお琴に告げる気持ちはなかった。
そのようなことを直樹は望んでいないし、お琴とて他人に伝えられるよりも直樹の口から伝えられた方が嬉しいはずである。
「沙穂子様…。」
あとは直樹とお琴の問題である。自分にできることは全てやった。
沙穂子はそう思い、渡辺屋を後にした。



沙穂子も去り、直樹は一人暮らしに戻った。
この日、直樹は実家に呼び出され大泉家との縁談が正式に破談となったことを告げられた。
重樹はどこか安心していた様子だった。しかし紀子は姿を見せなかった。
あれだけ酷い言葉を投げつけてしまったのだから、自分の顔も見たくないだろう。
紀子は重樹には何も言っていないようだったが、重樹は直樹が裕樹のことを考えて大泉家との話を進めようとしていたことは見透かしていたらしい。


重い気分で家に入ると、不思議な感覚を直樹は覚えた。
誰もいないはずなのに、なぜかいる気がする。
床の間には沙穂子がいなくなってから花はもうない。いつもの殺風景な家だった。

自室に入った直樹は、違和感の正体を知る。
机の上に置かれた硯と紙の位置が違っていた。それは、お琴がいた時に置かれていた形だった。
そしてそこには、わらび屋の包みも置かれていた。



「お琴!」
直樹はその名前を呼んだ。
「いるんだろ、お琴!」
直樹は呼びながら、家中を探す。しかしお琴の姿はどこにもない。
「お琴!」
直樹は庭に下りた。そしていつもお琴がふんどしを洗っていた場所へと向う。

「お琴…。」
お琴はやはり、そこにいた。傍の物干し竿にはふんどしがはためいている。
「あ、あの…師匠…。」
お琴の前掛けを掴む手が震える。
破門されたにもかかわらず、こうして押しかけてしまった。直樹に叱られるかもしれない

「…お茶。」
直樹は静かにお琴に命じた。
「え?」
「お茶を淹れろって言ったんだ。」
「師匠…。」
「いいから早く言われたとおりにしろ。俺は甘い物は苦手なんだ。お前の好物のわらび屋の団子なんて、渋いお茶がなければ食えたもんじゃねえ。」
「師匠、それじゃあ…。」
お琴の顔が輝いた。
「ただいま、ただいま淹れてきます!」
お琴は勝手口へ向かって駆け出した。

「きゃあっ!!」
勢い余って何かにぶつかったのだろう。お琴の悲鳴と共に物音が聞こえた。
思わず直樹の口元が綻んだ。

こうして、二人の日々がまた始まった。




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Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
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二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

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