「素敵な物が見つかってよかったわね。」
「ったく、お前が迷うから。」
裕樹は文句ばかり口にしている。
「んまっ!可愛い好美ちゃんへのお誕生日の贈り物よ?ゆっくり、じっくりと選ばないと!私がいなかったら、裕樹くんは辞典にするつもりだったんでしょ?」
「あいつバカだから、それくらい読めってんだ。」
「こら、そういうこと言わない。」
裕樹の手には、好美への贈り物、可愛いブローチが握られていた。
文句ばかり言っている裕樹だが、正直琴子が一緒に来てくれて助かった。男兄弟しかいないので、好美が何を喜ぶのか皆目見当がつかなかったからだ。
「直樹さんのお手紙、ご両親へ届いたかしら?」
「多分。」
病から回復した直樹が一番にしたことは、医者を目指すために医学部へ編入したこと、そして仕事は週末等にすることにして、基本は勉学中心にしたいという手紙を両親へ送ったことだった。
結局、会社にも家族にも迷惑をかけてしまうこととなった。直樹は深く反省していた。
「でもすごいなあ。さすが兄様。あんな短期間で医学部の学費のほとんどを稼いだなんて。」
休息に入ったレストランで、裕樹は感心する。
裕樹も医学部の話を聞いた時は本当に驚いていたが、でも嬉しかった。
「兄様は経営者よりも医者の方が向いているかも。」
「そうね。私もそう思う。」
琴子も嬉しくてたまらない。これで誰に気兼ねすることなく、直樹は好きなことに打ち込めるのだから。
―― ったく、あいつは…何をしているんだ。
その頃、直樹はピアノを弾きながら帰らない琴子たちに苛立ちを募らせていた。勿論、買い物だということは分かる。
だが…直樹は鍵盤の上で手を止め、後ろを見る。いつも座っているはずの琴子の姿がそこにないことが、どうしてこんなに自分を不安に陥らせるのか。
―― ああ、腹が立つ!!
再び鍵盤の上を指が動き始める。
その音色…琴子が聴くまでによく弾いていた重々しい曲に、使用人たちは直樹の機嫌の悪さに怯えていた。
「あれ、入江くん?」
声をかけられた裕樹は首を動かした。
「ああ、高丸くん。」
どうやら同級生らしい。高丸と呼ばれた少年は裕樹と一緒にいる琴子に礼儀正しく「こんにちは」と挨拶をした。
「入江くん、お兄さん一人じゃなかった?」
琴子を見ながら高丸少年は不思議そうに訊ねる。姉ではなさそうだけどと、その顔が語っている。
「ああ、これは…。」
「これ?」
何という礼儀のなさ。琴子は裕樹にはダンス以外にも教えることが多いと内心思っている。
「…遠縁。」
やはりダンス教師とは紹介できないらしい。裕樹は以前琴子が好美に言ったことと同じことを口にした。
「幸次、ここにいたのか。」
高丸少年に男性が近寄ってきた。
「ああ、お兄様。」
どうやら男性は少年の兄らしい。年齢は…直樹と同じくらいだろうか。
「こちら、同級生の入江くん。」
「ああ、入江侯爵家の御次男だね。」
「そしてこちらは、入江くんの遠縁の方だって。」
「へえ。」
高丸の兄は琴子を見た。琴子は「ごきげんよう」と挨拶をした。
「これはこれは可愛らしい御令嬢だ。」
「可愛い」と言われた琴子は素直に喜んだ。
「ただいま!」
漸く帰ってきた二人を直樹は不機嫌そうに居間で迎えた。
「…遅かったな。」
「そう?そうでもないと思うけど。」
直樹の心など気がつかずに、琴子は平然としている。
「高丸くんとそのお兄様に会ったんだよ。」
裕樹が直樹に報告した。
「高丸…ああ、高丸伯爵家のか。」
「そうそう。それがさあ。」
裕樹はそこでチラリと琴子を見る。琴子は「フフフ」と思い出し笑いをした。
「何だよ?」
「…こいつ、高丸くんのお兄様にちょっと褒められただけで有頂天になってやがるの。」
裕樹は「バカみたいでしょう?」と直樹へ同意を求めた。
「可愛い?」
「そうなの!私、男の方にそんな風に褒めて頂いたの、初めてなんですもの。」
心底嬉しそうに、琴子はその場でターンしている。
―― そんなことで遅くなって…俺がピアノを弾いていることも忘れて…。
別にピアノを聴かせると約束をしていたわけではない。だが、直樹は自分がピアノを弾く時は琴子が傍にいる、それがもう直樹にとっては当たり前のこととなっているのである。
それに気がつかないことにも腹が立つし、男に少しほめられたくらいで浮かれている琴子を見ると、直樹の怒りは増す。
「…お前、いい加減にしろよ。」
自分でも驚くくらいの低い声が、直樹の口から発せられた。
「え?」
その声に琴子はおろか、裕樹までもが驚く。
「何を浮かれてるんだ?男にちょっとほめられたくらいで。」
「いや、そんなに浮かれているつもりは…。」
そう言いつつ、琴子は思う。
―― 直樹さん、ちっともそんなこと言ってくれないし。
だがそれは言いたくとも言えない。
「大体、それは遠回しに、てめえは尻軽だって言われてるも同然だ。」
「し、尻軽!?」
上機嫌だった琴子の形相は、たちまち直樹への怒りへと一変した。
「そんなこと、一言も言われてないわよ!」
「言うわけないだろ。だけどあんまりお前がヘラヘラしてるから、遠回しに注意してくれたんだよ!」
「ヘラヘラもしてないわ!どこをどう受け取ったら、そんな意味に取れるわけ?直樹さん、ちょっと病気で感情がおかしくなってしまったんじゃない?」
「俺は至って普通だ。お前に言われたくない。」
「私だって言われたくありませんよーだ!!」
そして琴子は直樹に「あっかんべえ」とすると、居間を出て行ってしまった。
さすがに裕樹から見ても、直樹の方が言い過ぎだと思う。だが兄が怖くてそんなことは言えない。
―― ったく…俺以外の男に褒められてヘラヘラ笑ってるな!
直樹はまだ怒りが静まらなかった ――。
「何よ、何よ、何よ!!」
自室に戻った琴子はベッドに倒れ込む。
「…直樹さんが言ってくれないからじゃない。」
そう呟き、ハッとなる。
「…バカじゃないの。言われたら…余計困るだけなのに。」
そして琴子は枕に顔を埋めて…声を殺して泣いた ――。
「先日は弟様がお越しでした。」
「そうですか。」
「今日はお兄様とは…何をお持ちしましょう?」
「…女性に似合うものを。」
宝飾品店の主人は驚きのあまり目を丸くした。
長年の上客である入江侯爵家の次男が先日、初めて来店したと思ったら、女性への贈り物を選んで行ったばかりである。
今度は長男…しかも多くの華族が「我が娘を輿入れさせたい」と願っている直樹が自ら、来店して…しかもこちらも女性への贈り物を選ぶらしい。
「お相手はおいくつくらいで?」
「俺より少し下かな。」
―― 別に俺は…看病の礼をしたいだけだ。
主人が品を持ってくる間、直樹は何度も自分に言う。
そう、決して琴子を可愛いと褒めた男に対抗しているわけではない。
「こちらなどいかがでしょうか?」
主人が出してきたのは、エナメルの飾りがついたペンダントだった。
「こちらはこのようにペンダントトップにも、ブローチにもなります。」
深い緑色のエナメルの中には可愛い花があしらわれている。
直樹の脳裏にこれを身につけている琴子の姿が浮かんだ。
―― 似合うだろうな…。
身につけて微笑む琴子を見てみたい…。
直樹はそれを購入した。
「招待状、届いたぞ。」
裕樹がヒラヒラとそれを琴子に見せに来た。好美の誕生パーティーの正式な招待状である。
「裕樹くんも、もう心配いらないものね。」
「ふん。」
見違えるように裕樹のダンスは上達した。この分だと本番も見事、好美をリードすることだろう。
「…ほら。」
裕樹は琴子に招待状を差し出した。そこには「相原琴子様」ときちんと書かれている。
「お前と兄様にも。」
「…。」
琴子は受け取ったが、その表情はどこか冴えない。
―― ああ、そうか。
裕樹はその時になって、初めて気がついた。
裕樹のダンスが上達し、好美の誕生パーティーが近付いたということは…それは琴子との別れを意味することに ――。
もっとも、琴子の表情が翳っている理由はそれだけではないのだが…。
直樹は、いつあのペンダントを贈ろうかと考えていた。
驚く琴子の顔が早く見たい気もする。
そして直樹はそれと同時に…ある提案をすることを考えていた。
『この屋敷でこれからも…裕樹のダンス教師を続けないか?』
最初と比べると見違えるほど上達したとはいえ、まだまだ裕樹のダンスは発達途上である。立派な言い訳にはなるだろう。
三人がそれぞれ、思い悩んでいる所へ…女中が現れた。
「…客?」
直樹は時計を見る。夕食後のお茶を楽しんでいるところである。客が訪れるにしてはふさわしい時間とは言えない。
「それが…天宮司様のお家の方とか…。」
「てんぐうじ?」
直樹には、聞き覚えのない家だった。
ガシャーン!!
突然の音に直樹と裕樹がその方向を見る。
そこにはカップを落として、青ざめている琴子がいた。
「…カップを落としたくらいで青ざめなくても。」
直樹は軽く言い、とりあえず来客を通すように命じた。
現れたのは、品のいい老紳士であった。
「夜分遅く申し訳ございません。私、天宮司家の執事でございます大田と申しまして。」
丁寧に挨拶をした後、その老紳士、大田は顔を上げ…直樹の後ろにいる琴子を見て、静かに口を開いた。
「…そろそろお邸にお戻りになる頃合いでございます…奥様。」
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直樹さんにとって、いつの間にか琴子ちゃんは安定剤のような存在になっているのね!
そして、ペンダントを身につけ微笑む琴子ちゃんを想像して幸せそうな直樹さん~。
恋する直樹さん!可愛いのでは~~♪
と・・・・・・。
“奥様”!!!!!????
衝撃的な展開に~~~~~!
山の入り口から一気に頂上へ~~~?
いやいや本当の山登りはこれからなのか!!!!!
ドキドキ。。。続きた~の~し~み~に~しております。。。(--)