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2011.01.24 (Mon)

赴任先には誘惑が待っている 17


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「聡、どうしてここに?」
琴子が現れた時に直樹が発した台詞を、美久も口にした。
「お前に会いたくて。どうしても会いたかった。」
森川聡は、そう言った。そして傍らに立っている直樹と琴子を見て頭を下げた。

「お久しぶりです、入江さん。」
「お久しぶりです。」
森川と直樹は挨拶を交わす。そして次に森川は琴子を見て、
「先程はありがとうございました。」
と、丁寧にお礼を言う。
「い、いえ…。」
驚いたままの琴子は、そう言うのが精一杯だった。

―― この人が、森川さん…。
琴子は森川聡の顔を見つめる。
―― 本当に入江くんがクビにしたのかな…?
森川の様子に直樹を恨む様子はなかった。



「い、いつからここに…いたの…?」
美久は明らかに動揺していた。立っているのもやっとのようである。
「…お前がパーティーだか何かの話をしていた時から。病院へ行ったらお前はもう帰った後だって教えてもらって。ここを通りかかったらお前の声がしたから…。」
「そう…。」
美久に最初の頃の勢いはもうなかった。そこにいるのは、一番見られたくない姿を、一番見られたくなかった人間に見られてしまったことにショックを受けている女性の姿だった。



「お前、すごい誤解しているよ。」
森川は言った。
「俺がパンダイを辞めたのは…。」
「森川さん、何も言わなくていい!」
森川の話を遮ったのは直樹だった。
「でも、入江さん…。」
「いいんだ、もう終わったことだし。」
直樹は森川を止める。琴子はそんな直樹を心配そうに見つめている。
「だからです!」
しかし、森川は一歩も引かなかった。その迫力に直樹は驚く。

「…あの時、入江さんには本当に…だから今、辞めて何年も経った今だからこそ、ちゃんと本当のことを言わないと!」
「森川さん…。」
直樹はもう森川を止めなかった。



「俺は、自分の意志でパンダイを辞めたんだ。」
森川は美久に向き直って、はっきりと告げた。
「入江さんにクビにされたわけじゃない。」
「で、でも…。」
美久は反論する。
「私、色々調べたのよ?パンダイの社員の間では聡は入江直樹にクビに…。」
「違う。入江さんは…俺を庇ってくれただけだ。」
「庇う…?」
美久はただただ驚いて、森川を見ている。
琴子は直樹を見た。直樹は二人から目をそらし、違う方向に目をやっていた。

「俺がおもちゃを好きだっていうのは知っているだろ?」
「…おもちゃオタクよね?」
美久のその言葉の響きには、森川を揶揄している様子は感じられない。むしろ…それを誇りに思っているかのようだった。

「ああ、そのオタクの俺は…パンダイのような大企業に合わない人間だったんだ。」
「え?」
「入社して数年は夢中で働いていた。憧れの企業に入社できて…夢中で。」
「知ってる…。」
初めて会った時から、森川はそうだった。顔を合わせてもいつもおもちゃの話ばかりで、デートはおもちゃ店巡り。だが、そんな森川と過ごす時間を美久は決して嫌いではなかった。
「だけど、薄々気がついた。」
「何に?」
琴子は話す森川を見つめる。琴子だけが森川と面識がない。
「朴訥」、その言葉がぴったりと合う男性だと思った。

「俺みたいな人間って、大企業に合ってないんじゃないかって。」
「え…?」
森川の話すことに、驚いたのは美久だけじゃなかった。琴子も驚く。が、直樹は顔色一つやはり変えない。

「俺が作りたいおもちゃは何ていうか…もっと手作り感があって…上手く言えないんだけど、同じ物を大量生産するようなものじゃなく、数は少ないけどずっと子供の心に残るみたいなものじゃないかなって。」
そこまで話して、森川はハッとした顔をして直樹を見た。
「あ、勿論、パンダイにだって子供の心に残るおもちゃは沢山あります!俺だってパンダイのおもちゃが好きで入社したわけでして。」
気を遣う森川に、直樹は静かに微笑んだだけだった。森川が取り繕ったわけではなく、本音を言っていることは分かっているのだろう。

「嘘…だって、あなた…そんなこと…。」
唇を震わせて、美久は呟く。
「ああ、お前には言ったことがなかった。」
森川はそんな美久の言葉を先回りした。
「お前は…大企業パンダイの社員である俺を好きだったから。」
「…。」
琴子は美久を見た。美久は涙を必死で堪えている。肩が震えていた。

「だから、そんなパンダイが合ってないなんてお前には言えなかった。」
「…。」
森川も美久もそれっきり黙り込んでしまった。その時の辛さをお互い思っているのだろう。



「だから、頑張ってお前のためにパンダイにいようって…。」
少しした後、森川はまた口を開いた。
「それに…。」
森川は直樹を見た。言いにくそうな顔をしている。
「…辞めるに辞められなくなったんですよね。」
直樹がそんな森川を助ける。直樹は琴子を見た。
「…パンダイの経営が傾いたから。」
「あ…。」
それがその時かと、琴子は合点した。



「社内にリストラの嵐が吹き荒れるんじゃないかとか、どこかに買収されるんじゃないかとかすごい噂が飛び交って…そのうち、倒れた社長に代わって経営再建に乗り出した息子さんが…大企業の令嬢と結婚して窮地を救うらしいって噂に変わって。」
「結局、起死回生を狙う新製品発表に落ち着いたんだけどな。」
それが『ラケット戦士コトリン』だった。

「デザイン室勤務の俺にも『コトリン』のキャラクターデザインの仕事が来た。極秘でね。」
「だけど、そういう仕事は…森川さんは向いていなかった。」
直樹と森川は、二人であの時のことを語り始めていた。

「勿論、向いていないからってその仕事を拒否するなんてことはできない。社員である以上は。それくらい俺だって分かっているさ。」
森川は美久との目を見つめてゆっくりと話す。
「だから、『コトリン』に全力を注ごうって思っていた。」
「じゃあ、どうして辞めたの?あなた、あのゲームが完成する前に辞めたじゃない!いいえ、辞めたわけじゃなくて、この男にクビにされたんでしょ!!」
美久は我慢できなくなり、直樹を指さして叫んだ。
「だから、それが違うって言ってるだろ!!」
森川も叫んだ。





**********

それは、ある夜のことだった。

「あ、入江さん…。」
『ラケット戦士コトリン』の製作は社内秘だった。極秘プロジェクトチームが組まれて進んでいる。そのメンバーだった森川は、この日も会社に泊り込むことになっていた。

夕食を買いに外出し、戻ると部屋にいたのは直樹だけだった。

「青木さんたちは?」
「2時間だけ寝かせてくれとうるさいので、追い出しました。」
そういう直樹は書類から目を離すことなく答える。

―― ん…?
森川は鼻をひくつかせた。異様な匂いが部屋に籠っている。
「ああ、すみません。」
気がついた直樹は書類から目を離し、指さした。そこには、
―― ね、ネギ…?
と森川が目を丸くしてしまうくらいの大きく切られたネギがどーんと上に乗せられている弁当があった。

「ネギ…お好きなんですか?」
何だかまずいことをしてしまったと焦る森川は、何か言わないといけないと思い訊ねる。
「別に、普通です。」
「あ、そうです…か。」
「ただ…。」
「ただ?」
「妻が熱烈なネギ信者でして、ネギさえ食べれば全て上手く行くと思い込んでいて。」
「ああ、奥様が…。」
森川は思い出した。直樹は少し前に結婚したばかりであった。つまり愛妻弁当というわけか。

二人はそれぞれの弁当を食べ始める。直樹は片手に書類、片手に箸。
森川がコンビニ弁当を食べようとした、その時だった。

ガリ、ガリ、ガリ!

―― 何だ、この音は!?
まさかとは思う。だがそこから聞こえる。森川はそうっと音がした方を見た。

ガリ、ガリ、ガリ!

綺麗な形をした唇から、その信じられない音は聞こえていた。

「何か?」
森川の視線に気がついた直樹が訊ねて来た。
「あ、すみません。あの…いい音がする…タクアン…かな?」
タクアンはガリガリとは音がしないことは知っている。だが咄嗟に浮かんだ音がする食べ物はそれしかなかった。
「玉子焼きです。」
「ああ、玉子焼き…ええ!?」
森川は自分の弁当に入っていた玉子焼きを口へ入れた。そんな音はしない。

「玉子の殻が入っているんです。いつものことなので。」
「は…あ…。」
その後も、部屋にはそのガリガリ音が響いた ――。



「これ、森川さんが書いたものですよね?」
森川の前に、直樹は見ていた書類を差し出す。
「あ…す、すいません!!」
森川はまた焦り、割りばしを床へ落としてしまった。
それは、今開発している『コトリン』関係のものではない。森川が仕事の合間に作っていた、木工のおもちゃの設計図だった。
「いえ、別に謝ることは。」
直樹は怒ってはいない。森川はきちんと『コトリン』製作に力を注いでくれている。この設計図だって仕事の邪魔にならない時間に少しずつ作っていたものだろう。

「よくできていますよね。乳児から遊べるくらい安全ですし。」
「あ、そうなんです。それくらいから遊べるようにって思って…。」
「俺も子供が出来たら遊ばせたいくらいです。」
「是非…。」
褒められているのか何だか分からない。



「森川さん。」
直樹は森川の顔を見る。森川も直樹の顔を見た。
「今の仕事、面白くないんじゃありません?」
意外な問いかけに、森川は呆気に取られる。
「いや、そんなことは…。」
図星だった。テレビゲームに正直、森川は興味はあまりない。
「嘘でしょ?」
そして直樹は図星をついた質問だということを知っていた。
「…。」
答えに困っている森川を見て、自分の言ったことは当たっていると直樹は確信する。

森川を抜擢したのは、青木達だけでは偏った製品になってしまう可能性があったからだった。これまで森川がデザインを手がけたおもちゃは素晴らしい物が多かった。ぜひこのセンスを『ラケット戦士コトリン』に生かすことが出来たら…そう思ってのことだった。

だが、チームに入った森川は、直樹の予想とは違っていた。彼の才能を生かすことができるのは、テレビゲームのようなものではないことが分かってきたのである。
そして彼もこのような仕事に乗り気じゃないことも…。

「…退職を考えてますか?」
「え!?」
また図星を突かれ、森川は驚いた。
「やっぱり。」
直樹はその森川の様子を当たり前のように受け取る。
「何となく…そうなんじゃないかと思ってはいたんですが。」
「あ、いえ。別に今の仕事が向いていないから辞めようだなんてことは…。」
「分かってます。経営が傾いた会社になんて将来を預けたくはないですものね。」
「いえ、それも違うんです。」
そして森川は、以前からどうも自分がやりたい仕事は大企業での仕事ではないんじゃないかと悩んでいることを素直に直樹に打ち明けた。
「…そうですか。」
「あ、でも気にしないで下さい。せっかく入江さんが抜擢してくれたんです。きちんとこの仕事を完成させますから!」
「…。」
「さ、仕事、仕事。あ、いけない。お箸を落としたんだった!」
森川は落ちた割りばしを拾い、洗うために部屋を出て行った。


それから数日後。森川は直樹の言葉にひっくり返りそうになった。
「森川さん…会社、辞めませんか?」
またもや二人きりとなった部屋で、唐突に直樹はそう言ったのである ――。











☆あとがき
長くなったので、ここで一度切ります(*^。^*)
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*Comment

★直樹のせいじゃくて

良かった~~!!というか、絶対直樹のせいじゃないと思ってましたよ~!!直樹って、琴子のことになると信じられないぐらい分析出来ないとこあるけど、他の人だと冷静だ!!何でも見透かされてる感じが凄いしある意味恐いぐらい・・・。
しかし、琴子のお弁当について、会話している直樹と森川さん、メッチャ受けましたよ~~(お腹痛~いぐらい笑えたもん!)もう、待ってたかいがあった!!
美久と森川さんも、琴子と直樹のように愛情があるからこそ、ちょっとしたボタンの掛け違いですれ違ってしまったみたい・・・。この二組のカップル・・・早く仲直りしてくれなきゃ!!
☆水玉様の返信コメとあとがき!!いつもメチャクチャ楽しく・面白くて・・・吉本興業も顔負けですよ!!
密かな楽しみの一つです!!
なおピン |  2011.01.24(Mon) 23:02 |  URL |  【コメント編集】

★ネギ信者(爆笑)!!

すいません。回想シーン思わず笑っちゃいました。直樹、琴子の差し入れちゃんと食べてパワーを貰ってたんですね。カルシウム入りの卵焼き。森川さんにその音が聞こえるなんて、卵の殻、半分位入っているんじゃないですか!?森川さんにとって直樹はちょっと近寄り難い人間だったんじゃ…そんな直樹が琴子の豪快なお弁当をきっと美味しそうに食べてる。そんな直樹を見て森川さん、親近感が湧いて自分の気持ちを素直に話せたんじゃ。やっぱり琴子は凄い!!
祐樹'Sママ |  2011.01.25(Tue) 03:05 |  URL |  【コメント編集】

★葱信者かぁ・・・ポリポリ

こんにちは
 男の密談ですねぇ・・・森川さんは直樹を恨んでないからメッキさんの誤解かと 思うのですが・・・
直樹~の退職持ちかけ・・・裏は必ずついてると思ってます。
 
 新婚間もない頃の琴子の料理ですよねぇ・・・。
お初の方には、ビビルような噛み音ですから・・・

琴子と同じく『葱信者』私もだったりして・・・ポリポリ・・・食べやすく切って甘醤油の油炒めにしたり、ぶつ切り白葱をホイルで包んで魚焼きグリルで焼いて味もつけずに(火止めて暫くグリル放置)、弁当にほり込んだり(甘くて美味しいですよ)・・・葱はその他にも化けさせて弁当に ほり込んでます。 私も頻度も多い葱信者みたいです。 たぶん文句言えない主人も葱信者?
吉キチ |  2011.01.25(Tue) 13:17 |  URL |  【コメント編集】

☆自称葱信者の吉キチさんのコメント~~うけましたー(笑)
明るく楽しい気分になりました♪
レシピも参考にします!
吉キチさん、ありがとうございました!!
そして水玉さん、いつも温かで素敵なブログをありがとうございます!!
あお |  2011.01.25(Tue) 17:02 |  URL |  【コメント編集】

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